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SF(スギカフン フィクション)

20XX年、
人類はたった数μmの毒粒子に社会的生命を脅かされていた。
肉眼では見えないそれに触れてしまった人間は、ある割合で、
疼くような頭痛、滝のごとき鼻水、皮膚のただれ、痒み、眼球の腫れが現れ、阿鼻叫喚の事態となる。ひどい者は意識まで朦朧とする。
ともすれば発狂してしまいそうになるのを、
小指の爪ほどの理性で耐えている者ばかりだ。眼球を抉り出して、じゃぶじゃぶ洗いたくてたまらなくなる。
鼻をえぐり取って流水で清めたい。人によって症状は異なるが、色んな症状によって「ただ普通に生きること」を制限されている世界だった。

21XX年。
「その粒子」は空気中の澱み(それは人類が排出したものだが)を取り込み、どんどん凶悪になっていった。量も増えていった。雪が舞っているようだった。ホレおばさんの羽毛布団が雪になるのならば、ダレおじさんの何なんだろう、と思った。
それが舞う時期、どうにも外は危険だと、諦めた人類は高精度の粉塵除去装置を発明し、その季節だけ、各々の家や地下フィルターにこもるようになった。だが世界規模となったそれの除去は追い付かず、世界はもはや黄色かった。毎朝五時に除雪機ならぬ、除粉機が闊歩し、その運転はライフラインには欠かせないエッセンシャルビジネスとなって市民から賞賛を浴びる職業となった。
かつてすべてが芽吹く、心浮き立つ「春」と呼ばれた季節は、今はもう、ただただ憎まれていた。



その毒粒子は非常に小さかったが、人類よりおよそ長くこの世界に存在していた。むしろかつては、ありとあらゆる地方で人類から崇められていたものの種子だった。
非常に尊いものだった。
その粒子は本来大地に根を下ろし、民のために長い年月をかけて大きく成長する樹木だった。
他のものより成長が早く、それでいて捻くれることもない、大地から愚直なまでにまっすぐに伸びる。
古来より、天上から神が下りてくる際につたってくると言われ、今なお清い場所に祀られていたりする。
それはゴシンボクといった。

かつての人類が、
自分らが踏みしめる大地を焦土にした時も、その樹木は人類のために尽力した。
戦ですっかり何もなくなった焼け野原に、それは希望として渇望された。
その垂直に伸びる美しい体は、建材としても有効だったはずだ。
しかもそれは本来、金になるはずのものだった。

だが、人類の思惑はなかなかうまくいかなかった。
結果、「春」は「神の反乱」とよばれるようになった。
かつて神木とあがめられ、その根をもって洪水をおさめよと期待された木々が、春一番を背負い、人類に反旗を翻す戦の季節となっていたのだった。
その毒粒子らは周辺の植物にも声をかけた。ヒノキ、イネ、ブタクサ、……きりがない。人類よりおよそ多いのだ。
「さあ己の身を震わせろ、ヒトの子に己の子をふりかけろ。やつらにとっては異物だ。」と。やつら植物は子をなし領土を広げることと同時に、地球上でもっとも害悪である人類への攻撃手段を身に着けてしまった。



25XX年。
私がこれを筆記している今現在の年代だ。ついに毒粒子は意思を持つようになった。目薬を体内に吸収し、除去装置を自発的によけ、人類の服の裏に忍び込み、人類の最後の砦となっていた「屋内」に進出してきた。彼らはフローリングというコーティングされた同胞の上に根を張ることができるようになっていた。粘着成分をも身に着け、人類の皮膚から離れないようにもなっていた。我々人類にはもうなす術がない。助けてくれ。これまで奴らの変遷を書いてきた。意味のないものだろうが、誰かの助けになってほしい。あわよくば解決のヒントにも。どんな進化をするか私には分からない。
この文章を読んでいる誰かが、英雄になることを切に願う。私はもうだめだ―――――私を見つけたら、抗ヒスタミン薬と目薬を持ってきてくれ。


冒険家 ヨゼフ・チャールズ・ヘイフィーバー
スギカフン発祥の地 ニホンにて記す――――




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