いっちー

読書が好きです。理工系やそれに付随する本をよく読みますが頭の回転が鈍いので論理的な判断…

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読書が好きです。理工系やそれに付随する本をよく読みますが頭の回転が鈍いので論理的な判断が苦手です。歴史とか美術とかそこそこ興味があって挫折を繰り返しながら学んでいます。

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データサイエンスは現代の神学だ

 カントは形而上学を認識不可として、人間は知覚できる事物のみ知り得るとした。知覚できる物質を追求することこそ自然科学であり、20世紀になると原子物理学が登場し、唯物論が台頭した。  19世紀末の物理学最大の論客であった原子論者ボルツマンは統計物理学をつくり、ミクロとマクロの橋を架けた。シュレディンガーのように生命現象を統計物理学から説明する者もあらわれた。  自然科学はいまや原子論と原子の振る舞いを説明する統計物理学の産物だ。原子と統計ですべて説明できる、とする。精神と物

    • 肉体 (完全と欠損)

       手塚治虫のエロティシズムは生命の根源的なパワーを感じさせる。これが生きているということなんだ!生きているときこれほどのパワーが溢れているんだ!と手塚治虫の訴えがガツンと体全身にぶつけられる。血、それが流れた肉体、その質感、さらに呼吸までもそこにあるかのような感覚がある。  しかし、『奇子』は様子が違っていた。幼少期に地下の土蔵に幽閉され20年間もの間外に出ることを許されなかった奇子は、異様な成熟をとげる。第13章光陰、以下の描写 完全で清潔な肉体がかえって無機体だった、

      • 日本語ラップと日本語

         私は日本語ラップが大好きで、なぜ好きかというと、単にカッコいいからというのと、日本語の可能性をひろげている文化だと思うからだ。  というのは、日本語は読み書きでいうと書き言葉に向いていて韻が踏みにくい言語であるというのをどこがで聞いた。感覚として納得したので真偽はおいておくが、その言語で韻を踏んでいるのは見事であるし、また、五十音字でひとつの文字にひとつの音が割り振られている言語は音楽で心地良くしようと思うと、音を伸ばす方が簡単だと思うのだが、近年の日本語ラップはこれに逆

        • 中森明菜『トワイライト-夕暮れ便り-』連想

           私は懐かしい思いになるとき、胸がぐーっと締めつけられて、ああしておけばよかったこうしておけばよかったみたいな感情になる。この感情の名前が分からない。もし名前がなかったら、なんとつければいいか。それも思いつかない。懐かしくて昂揚するから、懐揚感!なんだそれ。  昭和の音楽を聴いて、よく「懐揚感」になる。生まれてもいないでしょ、と皆に笑われるけど、とにかく懐かしい。その中でも中森明菜の歌声はやはり格別だ。最近『トワイライト-夕暮れ便り-』を口ずさむ。とても気持ちが良くて、懐揚

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          無様

           一体誰が、私を見ているのか?どれだけの人が私を見ているのか?見ているとしたらどこを見ているのか?何に注目して見ているのか?  たとえば、私は友達と寿司屋に行って、醤油を小皿に注ぐとき、私は自分のお皿に注ぐのではなくて、誤って醤油を乗せる別の小皿に注いでいた。あとになって自分のお皿が用意されているのを知って、思わず「え?あっ…」と言ってしまった。この「あっ…」の静寂は私を無様にさせた。友達はにこにこ笑っていたのに、私はこんな小さなミスをなぜしてしまったのか悔いた。  一体

          島崎藤村『初恋』連想

           京都市の街を歩くとき、当たり前の日本さが感じられる。私は、比叡山などのやわらかな自然と寺社などの複雑な構造物の調和はちょうどひらがなと漢字が織りなす日本語の調和とよく似ていると思う。私は文学に夢中になることはほとんどないが、時々しびれるような文学に出会い、美しい日本語の調和をみて、そのたびに京都市を想う。  そういえば川端康成の『古都』を読んだ時、冒頭に出てきたマリア観音という言葉が印象的であった。マリア観音は、江戸時代のキリスト教禁令下に隠れキリシタンが観音菩薩像に見せ

          島崎藤村『初恋』連想

          過去に怯えず泣いた彼

           私が小学生のときに私のことを仲間外れにしようとしていた彼は一児の父になった。別に大したことをされたわけでもないが、どんな人だって親になる資格があるんだなと思った。  彼は仲間外れにするのには半端者だった。第一、そこまで悪者ではない。大きな暴力をふるって追い出すわけでもなし、暴力的な言葉を浴びせるわけでもなし、「絶交な」と一言、そして彼の前ではじめて泣いてしまった私をどうしたらいいのかわからず笑って誤魔化していた。だから私もなかなか「いじめ」と断定しきれず、ズルズルとその仲

          過去に怯えず泣いた彼

          『いちご白書』をもう一度

           荒井由実作詞の曲「『いちご白書』をもう一度」は学生運動が激化した1970年代に、武力で訴えても学生の力ではひっくり返らないのだと国の大きな存在を知って挫折した貧乏学生が、それでも確かにここにはあったという恋愛を歌った四畳半フォークだ。私は中森明菜さんのカバーでその存在を知った。  『いちご白書』はコロンビア大学の学生が大学の運営に猛反発して行った学生運動に対して、学部長が「学生のしたことなど、いちごが好きだといった程度の内容だ」と揶揄してしまうという内容を原作とした映画で

          『いちご白書』をもう一度

          深い愛を受け止められなくて

           二年前のバレンタインの日に私は愛の告白を受けた。京都市内にあるお土産屋の袋に、手作りのスコーンと一枚の恋文だった。彼女のそうした思いに気が付くことができなかったから、動揺した。なんとなく、断ってしまった。  愛をくれた彼女のことを傷つけてしまったと思った。私は幾度となく誰かを傷つけてきた。意図を持って傷つけたことはなかったと思うが、自分の中の常にある焦りや緊張が、ふと誰かを傷つけてしまうことが何度もあった。意図がなかったゆえ、そのたびひどく辛い気持ちになる。   彼女は

          深い愛を受け止められなくて