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過去に怯えず泣いた彼

 私が小学生のときに私のことを仲間外れにしようとしていた彼は一児の父になった。別に大したことをされたわけでもないが、どんな人だって親になる資格があるんだなと思った。

 彼は仲間外れにするのには半端者だった。第一、そこまで悪者ではない。大きな暴力をふるって追い出すわけでもなし、暴力的な言葉を浴びせるわけでもなし、「絶交な」と一言、そして彼の前ではじめて泣いてしまった私をどうしたらいいのかわからず笑って誤魔化していた。だから私もなかなか「いじめ」と断定しきれず、ズルズルとその仲間内のグループにいた。

 小学六年生のとき、彼がチック症を発症し、発話の際に苦労していた。彼は最初、病気であることを隠していたから、周りの人はちょっと不思議に思ったが、みんな優しい人ばかりなので気が付かないフリをしていた。しかし彼は苦しかったらしい。ついに道徳の授業中に泣きながら病気とその辛苦を告白した。

 私はさすがに辛そうだなと同情する気持ちもあったが、みんなの前で素直に泣くことができるのが分からなかった。私だったらできない。仲間外れにする行為に及んだなら、仲間はずれにされた側より悲しいなんてことは愚かだからだ。この人は過去の自身の言動と、現在との整合性をとることにこだわらないのだ。当時から思っていたが、彼は器用だ。

 私は常に過去に怯えていたのに。過去と照らし合わせてばかりでいつまでも変化がないように努力していたのに。でもいまは人は変化していくということを知っている。不器用な私は彼を許してしまった。


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