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無様

 一体誰が、私を見ているのか?どれだけの人が私を見ているのか?見ているとしたらどこを見ているのか?何に注目して見ているのか?

 たとえば、私は友達と寿司屋に行って、醤油を小皿に注ぐとき、私は自分のお皿に注ぐのではなくて、誤って醤油を乗せる別の小皿に注いでいた。あとになって自分のお皿が用意されているのを知って、思わず「え?あっ…」と言ってしまった。この「あっ…」の静寂は私を無様にさせた。友達はにこにこ笑っていたのに、私はこんな小さなミスをなぜしてしまったのか悔いた。

 一体誰が、私を無様だと思ったのか?それは私である。たったひとり私が私を無様だと言ったのである。私は好きな人に無様だって言われたことなんてないのに、無邪気に笑ってくれた人しかいなかったはずなのに、たった一人私は私を無様だと言ったのである。耳を真っ赤にさせて、なんでこんな無様なんだとただ自意識を過剰にさせている。

 「自意識過剰」私は小学生のとき、はじめて姉からこの言葉を聞いてその意味を知った。人を馬鹿にしたような怖い響きだ。そんな風に誰も思ってないのに、たった一人自身のことを不当に評価する。「自意識過剰」怖い響き。自意識を過剰にこじらせた無様。

 みんなの前で叱責されて無様。友達が待ち合わせ場所に来なくて無様。大切だと思っていた友達が私のことなど微塵も思っていなくて無様。醤油を注ぎ間違えて無様。家に財布を忘れて無様。自分を無様にさせた経験を積めば積むほど自分が無様かどうかが気になってしまう。これもまた無様。

 私はこの宿痾から逃れることができない。強い言葉をふりかざしたのを反発しないで素直に受け止めた結果、こんなことになってしまったのか?考えすぎ?いずれにせよ私は不当な扱いに疎い。

 ま、元気だからいまはどうでもいいが、ときどき苦しいなあと思うことがある。

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