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「ああ、流行りのトランスジェンダーね。」

『議員の数は「好みの問題」などではありません。世の中の女と男がだいたい100対96くらいの割合なので、当然議員も半々くらいを目指すのは当たり前です。ものを決める場所には多様な代表が必要でしょう。
 でも、この話で必ず思い出すのが、アメリカの連邦最高裁判事、ルース・ベイダー・ギンズバーグ(通称RBG)のことです。女性やマイノリティーの人権分野で大きな実績を残した彼女は「連邦最高裁判事(定員9人)のうち何人が女性になったらよいか」と聞かれると、いつも「9人」と答え、驚く人々に「9人の判事が全員男性だったときは、誰もそれに疑問を抱かなかった」と言いました。私はこの話が好きです。聞くたびにジェンダー不平等に慣らされた自分に気付くことができるからです。』しんぶん赤旗
『日本では、なるべく目立たずおとなしくしろと教育され、面倒くさいことを避ける風潮があります。でも、面倒くさいことをしないと世の中は変わりません。』ブレイディみかこ
『「個々人が持っている不平不満は、専門家でない一般庶民でも、子どもであっても、誰憚(はばか)ることなく表明できるべきである」というのは、民主主義の「原理原則」「理想」です。簡単に言えば「我慢しなくたっていい」「声を押し殺さなくていい」ーーその基本的な人生態度を、僕は子どもたちにまずは教えたいと思いました。』会田誠

「それ流行ってるみたいだね!」
「近頃はこういうのが流行りらしいですが…」
との言葉には、同時に
「俺は(私は)興味ないけど」
という意味が含まれることが多い。

先日、noteで定期購読(有料)している文章に、
「最近流行りのトランスジェンダー」
と書かれていた。
果物の作家名がついている彼女は、普段から自分自身のことを「おじいさん」と形容する。

この2つとも、なんだかモヤモヤする。

また、数日前に同僚が会話のなかで
「流行りの夫婦別姓」
という言葉を使った。果物の作家が使った言葉に対してぼんやり抱いていた違和感を思い出した。

テレビなどで夫婦別姓の話題が増えるのは、とても良いことだと思う。でもだからといって、「流行りの」という修飾語を付けるのは何か違う。

いま(ようやく)、多くのひとが知るようになった問題には、それがほとんど認識されていなかった頃から声を上げ続けてきた人たちがいる。
例えば、女性が選挙権を持っているのは現在では当たり前のことだけど、昔は男性だけが持つ権利だった。そのことに対して疑問を持ち、「おかしい!」と意思を表明した人たちの戦いの積み重ねが選挙制度を変えてきた。

「夫婦別姓」に関して、
女性が配偶者である男性の姓に変えることは、女性にとってストレスだったと聞いたことがある。なぜいつも女性の側が(当たり前のように)、氏を捨てなければならないのかと。
「入籍」という言葉についても違和感がある。女性が、夫の家へ「新メンバー」として加入するような意味にとれる。新入りだから、立場は一番下で家事も育児も全て女性がするのが当たり前なのですか?
そんな関係性はおかしい。夫婦別姓を認める制度が求められている背景には、仕事などでの事務的な不都合だけではなく、夫婦の対等な関係性を求める声があるんじゃないか。

LGBTQ+のことについても同様で、例えば映画や小説などでレズビアンやゲイの恋愛を主軸としたものが(特に海外で)多く作られてきたと思う。そういう文化芸術に触れることで、実生活ではマイノリティのひとと接する機会がほとんどない(僕のような)人間でも、彼女ら彼らに対してリベラルな考えをもつことができるようになった。もちろん100%理解することなんてできないけど、少なくとも誤った認識により差別的な発言をする可能性は、かなり減らすことができたはず。

このことは、映画や文学などの文化芸術を作ってきた人たちの仕事の成果である。街中でSNSで、声を上げ続けた人たちと同様に。

だから、トランスジェンダーや夫婦別姓に対し「流行りの」という形容詞を付けることは間違っている。

どんな言葉も、使い方を間違えれば差別的な(軽んじたり蔑んだりするような)言葉になることを、自分のためにも記しておく。

『本来はどっちでもよいことのはずなんだけど、根深い家父長制的価値観に抵抗するためには、「どっちでも良いこと」もあえて通例と逆にすることで意思表示していくことが必要だと思う。』
中村佳太

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