いよいよ薪ストーブを導入へ

いろいろと諸説あるから値段はピンキリだけど、とりあえず50万円ほど予算を立てて、家をそれなりに全体を温めてくれそうなストーブの工事に取り掛かってもらうことにした。家に関わってから、ペース的3年に1回くらい、ちょっとした工事をしてもらっているかもしれない。

そして今回は薪ストーブ。冬をなんとか乗り切っていくための必須アイテムである。自分で工事でもできりゃやればいいのだが、時間も知識もないし、代わりにやってもらうしかない。なんやかんやで、これはこれで必要な資金だし、実際にこれでみんなが喜んで住んでくれるなら、やっぱりたいせつ。


薪ストーブは安く購入できるらしいんだが、なんか煙突とか耐熱材とかがね、いろいろと高いらしい。よう知らんけど。

だから薪ストーブ自体は安く手に入れることができるとしても、それ以外に無事に、家が燃えちゃわないように安心できる準備が必要になるらしい。


なんだかいろんなことがあるけど、ちょっとずつ家はみんなで住めるようになってきてて、実際にこうして住んでくれている。薪ストーブもみんなから要望があったわけだけど、みんなが住んで展開していかなければ、こんな風にもなってないし、家が新たな発展をすることもなかったわけである。


「わたしたちは、なんかのきっかけででてっちゃうかもしれないのに、なんか、ごめんねー」とサイカちゃんが言ってくれたけど、そんなのは仕方ないし、もう何度も、ちょっとした寂しさを経験してきているつもりだ。

できれば一生たのしく暮らしていけるよう、みんなでずっと過ごせたらいいななんて思うけど、それぞれの暮らしや生き方とか出会いによって、すぐに人はどこかにいくことができる、選択することができる。自由なのだ。


僕もまた自由だ。家はあるけど、週1くらいしか帰ってこないのに、家主としてやさしくみんな接してくれて、家族の一員扱いである。最高に嬉しい。

そうだから、ずっといることもできれば、すぐに去ることもできて、それでまた戻ってくることだってできる。そんなふうに家族になれたらいいなと、僕はこの家に集まってくる人たちとの関わりを通じて感じてたりする。


ひとがひとと暮らしていくことは、結婚を途中でやめて離婚したからこそ、とても簡単じゃないことを知っている。自分ができもしないことを期待させて傷つけるのなら、それを予め期待させないよう、自分の弱みを示しておくべきだったとおもうようになったのも、そんな経験から得たものだから。

それでも、いまからの暮らしには、多様な家族観を受け入れていくような、そんな場所があるといいんじゃないかと僕は思っている。いつも変わらずにそこに戻れるような、血縁でない家族がそこにいる、そんなことが人生にはあってもいいんじゃないかと思っている。


心は温かいが、物理的に寒いから、そういうわけで薪ストーブ導入である。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。