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エア寺主催のいのちの会がはじまった

思えば18ヶ月ほど前に立ち上げて放ったらかしだった廃寺のクラウド寺であるエア寺に、真言宗のお坊さんである加藤さんとの出会いを通じて、この3月あたりからいのちが吹き込まれました。

そこから、2ヶ月ちょいと時間が経過して、エア寺では真言宗のお坊さん2名と浄土真宗のお坊さん1名と仏教好きの僕との4名で定例会が行われておりまして、そこで「みんなで話す会がつくりたい」ということが語られて、じゃあもうさっそくやっちゃうべきっすね、やっちゃいましょう、ってことで開催をしたのが今日でした。

ゴールデンウィークやること多過ぎで、告知もままならないなかで、北海道から愛知からもお坊さんが参加してくれたりして、あとは秋田とか静岡とか奈良とかからも友人が参加してくれて本当にありがたい機会となりました。


さすがにいのちの会というだけあって、今日は自死に関する話があり、それぞれの立場からの悩みや葛藤、そして意見と想いが聞けました。


ずっとこれまでも、生き死にの話にものすごく興味があります。根本的にはそればっかりが大事なことだと思っていますが、根本的にそうなのであって、すべてそれが正しいとまで思っているわけではありません。

やはり食べ物を得て、健やかな生活を送るための活動が基本的には必要だし、またお金を稼ぐための手段を考えるということも現在の世の中においては非常に重要なことであり、さらにこれまでとは違う非日常が経過していく中において、これまでどおりの生活を取り戻すための努力も重要なことだという認識があります。


けれども。


やっぱり僕は結局のところ、生き死にの話が好きだなと思いました。この話を通じて、この領域でのやりとりを通じて、暮らしていきたいなとまで思っているし、人がなぜ生きるのかに悩んだとき、答えをみつけるために一緒に考える機会をつくり、いつかそれが見つけ出せるような安心した関わり合いをつくることが僕の目指す暮らしだなと思います。

そんなことがこの2ヶ月でトントン拍子で進んだことがとてもとても嬉しいことです。それでも僕が思うのは、タイミングさえこれば進むけれど、時期がこない限りは16か月ほどは全然ウンともスンとも動かなかったということもまた事実であり、だからこそどんなひょんなことがその先で面白いことになるかなんてのは誰にもわからないなと思うのであります。


昨日は最悪だなーと思っていたことも、今日なんだかいいかもと思えることだってあるだろうし。

先月は落ち込んでいた気持ちも、今月に入ってどんどんいいことが起こるかもしれないなんてこともあるのが人生。

昨年に起こったことはほんとに絶望的だったことのはずなのに、今年なんだかそれが結局めっちゃ面白いことになっちゃっているなんてことは、人生ではわりとそこそこの人が経験していることじゃないのかと思うのです。


そんなわけで、こんな風に始まった「いのちの会」ですが、いつかどんな風に誰と語らうことになるかはわかりません。

それでもこれをやろうねって思った「この想いが巡り巡って、ひとりでも、明日生きようかなと思うようになりますように」という気持ちが、必要な人のところに届いて、そんな風に誰かを支えることになったら嬉しいなと思うのです。


だから、またみんなと穏やかに話せる時間があれば嬉しいなと思います。


これから毎月4回。おそらく毎週水曜日の20時〜22時で開催をいたしますので、是非ともお気楽にお越しいただければと思います。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。