市長選に出ないか

今日は知人からそんな話をもってきてもらえました。全く出馬する気がないのでこんなところに書くわけですが、短いですが38年の人生を生きてきて、そういう話を声をかけてもらえることはありがたいことだなあと思います。


11月末には丹波市長選挙・市議会選挙の同時開催が予定されておりまして、4年ぶりの街の政治的な「まつり」シーズンの到来であります。

いろいろと自分の周りでも「政治に関わってみる!」みたいな気持ちを固め始める方も増えてきて、すごくいいことだなーと思っています。


立場的には「いやいや、またまた御冗談を~」っていう話でもなく。

ああ、たしかに今回の市長選立候補者のお二人が60台中盤であることから考えると、38歳が出馬するとちょっとだけ盛り上がる感じはします。

そして、一期しかやってませんが元市議会議員であれば、それなりに選挙のイメージはついているだろうしなーってことと、まあ4年間それなりに元気にやらせてもらったこともあってのことかと思います。

真剣に検討をしたうえで、「街が盛り上がること」やら「今後の地域活性について新しい施策を考えること」やら「難しい未来に手を打つこと」やら、山積する課題に対して誰がそれをやっていくのかを考えて、自分なりに今後の身の振り方を決める、そんな機会があることが本当に貴重なことです。


とはいえ、僕は仏教に関わる時間をもっと持つことで幸せに過ごしたいと願って人生を展開させていく方向性ですので、基本的にはもう政治の世界に顔を出す必要はないのです。穏やかに合掌して過ごしていきたいと思います。


興味がどんどん自分なりに変化していくことを感じていますし、それぞれの人たちがいろんなことに興味を持ち、自分の立場を変えていくことがあるのだなあということを、ぼーっと眺めるような気持ちで過ごしています。

個人的にはやはり仏教。統治する政治機構が変わっても、世の中に資本主義が蔓延しても、企業の顔ぶれや業界地図が変わっても、「人の悩ましさ」は結局なんも変わってないのだなあと思います。


さらにいうと、技術的にその悩みごとを解決しようと思っても、技術的また科学的にその解決策や物事の本質を一定の説明をすることはできたとしても結局のところは「体感」「実感」「知覚」することがなければ理解することはできず、その悩みを超えていくことがぼくには想像ができません。

お坊さんになるというよりも、日常の中に「悩ましさを味わって生きる」ということを共感しつつ、心強く支えていける、人が人を責め合わない、条件づけで人の存在価値をジャッジすることがない、ただ生きることが許されるような暮らしが見つけていけないものかと考えています。


これから政治に関わる方の強い覚悟を応援したいし、多くの人の眼に晒され、評価される立場に立とうとする勇気に心から感謝したい気持ちです。

人生で政治の世界にすこしだけでも触れることは、心からおススメしたいという気持ちです。知らないのと、見るのと、口を出すのと、実際にやるのは、それぞれ本当に雲泥の差ですから、是非ともやってみてほしいです。


なにせ、世界が平和でありますように合掌、という気持ちです。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。