見出し画像

ファイア・サイド・チャットをオンラインで

実験的な試みでしたが、オンラインの対話会でFire Side Chatをやってみました。zoom疲れがなぜ起こるのだろうかとか、オンラインの対話でのぎこちない一方通行のやりとりをなんとかできないかという中での思いつきでしたが、思わぬ効果があったので、お伝えします。

オンラインの対話でよく起こること

オンラインで学び合う機会や対話の機会が多くなってきたので、慣れてきている人もいるかもしれませんが、一方でオンライン疲れなどの言葉もありますし、オンラインでのプレゼンス(存在感)をいかに大きくするか、効果的に話し合うかなどのスキルを学ぶ研修なども出てきました。
しかしながら、やはりリアルの対面のコミュニケーションとは違うので、対話をスムーズ行うことを阻む要素は無くなりません。

zoomでオンライン対話をすると画面いっぱいにたくさんの顔が出てきますよね。皆がカメラを見て話しているわけではないですし、カメラを消している人はこちらをみているのかどうかすらわからないとかがあります。

また、自分がどのようにみられているのかが気になって発言がしにくいとか、目が合わないですし、相手も内職がしながらったりすると集中して聞いてもらっていない感じがあったり、自分自身も画面の外に意識が行ってしまって気が散ったりということが起こります。

みんなが画面に注目していたところで、全員に真正面から凝視されているように感じられる環境というのはなかなか自分の想いを素直には出しにくいですし、出したところで人から自分がどう見えているのかが気になるので、通常の対話で起こる内省的な振り返りは浅くなりがちです。

画像2

そこでブレイクアウトなどを使って少人数にしたりという工夫を通常はしますが、人数がせいぜい4人以内でないと深い対話にならないので、結果的にこじんまりとしてしまいます。
「対話会」と称してそれなりに人数を集めているのに、グループ討議してから全体共有みたいな流れはどうなんだろう…と思っていたので、対話会においてブレイクアウト以外の工夫が必要だなと感じてはいました。

Fire Side Chatとは

キャンプファイヤーや焚き火を囲んでの会話や対話のことをFire Side Chatと言います。起源はヨーロッパなのかなと思っていましたが、アメリカの昔のラジオ番組が割と有名らしく、第代米国大統領のフランクリン・D・ルーズベルトが1933年から1944年の間に行っていたらしいです。1933年というとルーズベルトが大統領になった年で、1929年から1932年までが世界恐慌と呼ばれていた時期だったのでそのあたりの昔の話です。

社会が不安とそれを煽る噂によって混乱している中、この夕方のラジオ番組から穏やかに国民に向けて自分の政策について語りかけていたということです。なので、対話というよりは彼が語る時間だったというわけですね。日本語では「炉辺談話」と呼ばれていました。

画像1

そこからFire Side Chatは民間に展開していきます。ただラジオ番組ではなく、椅子が円形に並べてあって(特に焚き火は必要ないみたい)企業の幹部社員を囲んでなごやかな雰囲気で談笑する対話の場をアメリカ系企業でそのように呼んできたようです。つまり、このあたりから一方通行から双方向になってきたというわけです。

最初にこの言葉を聞いた時、私にはキャンプファイヤーで火を囲んた円陣を組んで、皆の顔が炎に照らされてぼんやり浮かんでいる中で、皆んなが対話している情景が浮かびました。そして、その時に自分の中で起きていたことやその場の醸していたなんとも柔らかく温かい雰囲気を思い出していました。
そして、思いました。これをオンラインでやってみると、オンラインでの対話が違ったことになるのではないか、と。

では、どうやるか、ですね。
YouTubeで検索すると結構長時間の焚き火動画が出てきます。短いものでも1時間とか長いものだと8時間とかあります。音も入っているので、パチパチと音を立てながら火花が散っている様子が高解像度だと見えますし、長時間ものだと薪が燃え尽きて灰になって行く様子もしっかり捉えられています。
場所も、海あり、河原あり、山ありなので、気に入ったものを用意します。ほとんどのものが途中の広告が入っていませんが、最初に映すときに割り込んでくる時がありますので、気をつけたほうが良いでしょう。

実際の対話会では、最初にFire Side Chatでやる意味を説明します。その中で、対話が始まったら画面共有をして焚き火の映像を流すこと、対話が始まったら自分のビデオはオフにする事を依頼します。皆が主旨と流れを理解できるよう質問に答えたらスタートです。
冒頭の主旨説明は、以下のような感じです。

今日の対話は、Fire Side Chatという方法でやります。やや実験的な試みとなりますので、最初に主旨説明をしたいと思います。
みなさんは、焚き火や暖炉を囲んでの対話って経験あるでしょうか?燃える炎を見てその暖かさを感じ、人々の顔が闇にぼんやりと浮かんでいる中で、誰に語るでもなく炎に向かってとつとつと人々が自分の想いを語って行くのをゆったりとした気分で聞いている…そんな体験だったのではないでしょうか。
オンラインで対話をやっていると、人の顔が正面から映るので皆の表情やどこを見ているのが気になったり、リアルでは読めない空気感を一所懸命そこから読もうとするので、対話がぎこちなくなったり疲れてしまったりします。もっとリラックスしてお互いの思いが行き交うような対話ができないだろうか、と思いませんか?
焚き火を囲んで語り合ったあの時の雰囲気を思い出し、誰が話しているのかを気にしたり顔を色を伺うことなく、自分の内側で感じたことを素直にその場に出してみるように今日は語ってみましょう。
対話が始まったらみなさんビデオはオフにしてください。その後私から画面共有で焚き火の動画を流します。焚き火の動画が画面共有されたらスタートです。
始める前に、確認をしておきたいことや質問はありますか?

On-lineでやってみて

やってみて最初に気づいたのは、zoomは全員がビデオをオフにすると画面の中に人の名前すら出てこないということでした。
戸惑う人もいましたが、画面に100%集中できるというメリットもあります。

最初はぎこちない沈黙が生まれかねないので、口火を切る話題提供者は必要でした。それの人の話を聞いての感想であったり、そこから思い出した自分の経験や思いについて話したくなった人が語り継いでゆく流れになります。

ビデオを消していて表情が読めないので、発言したい時にどのように入って行ったら良いのかを気にする人がいましたが、そこは「ちょっと聞きたくなったんですけれどイイですか」とか「それを聞いて話してみたくなったんですけれど」とか言って対話に自然に絡んでいくことに慣れて行く感じになりました。

画像4

焚き火を映し続けている効果についても発見がありました。まず、炎に癒されるという効果が大きいです。画像と音だけで温度は伝わってこないのですけれど、それでもなんとなく暖かくなってくる感じはあります。冬場にやってるせいもあるかもしれません。おそらく皆の中にある焚き火の経験が暖かさを体感覚として蘇らせるのだと思います。

そして、対話が途切れた時の沈黙が気にならなくなります。対話が途切れた時に間を繋ごうとかせずに、ただただ炎を眺めているだけで良くなります。また長時間動画なので、薪が燃え崩れて行く様子を観察しているだけで何も語らなくても良いような感覚にもなってきます。

対話の効果としては、顔が見えない分だけ話にものすごく集中して聞くという効果が表れていました。そして相手の言葉を正面から聞いている感じがなく、横や後ろから語りかけられているような感覚になるので、内省的な問いかけをされると深く入って行くことができます。そして、自分の中にある声をとつとつと炎に向かって吐露してゆくことになりますし、そこから思わず出た自分の言葉に気づかされるということにもなります。

お勧めします、ファイヤ・サイド・チャット

自分自身ともじっくり向き合いつつ疲れにくい、深い対話をオンラインでしてみたいということであれば、今回試してみたオンライン・ファイア・サイド・チャットはお勧めかもしれません。

私もこれから何回か試して、どんなトピックを選ぶと良いのか、どんなプロセスや進め方をするとさらに良い結果になるのかを探究してみたいと思います。
探求の結果わかったことが出てきたら、ここに書き足してゆきます。

これをここまで読まれた皆さんもぜひ試してみてくださいね( ´ ▽ ` )/

画像3


最後まで読んでくださってありがとうございました ( ´ ▽ ` )/ コメント欄への感想、リクエスト、シェアによるサポートは大歓迎です。デザインの相談を希望される場合も遠慮なくお知らせくださいね!