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なぜ「多様性」が大事なのか

多様性を尊重しようとか、ダイバーシティ推進とかの言葉が日本でもすっかり定着しており、もはややっているのが当たり前であり、組織の中でどのような取り組みをしているのか方に注目が集まっているようになってきました。

私自身も人事としてこのテーマについては日々考えているところであり、過去にもいくつのかのnoteを書かせていただきました。

言葉の定義や意味については以下のnoteが最もわかりやすいと思います。

また、最近ではDiversityとInclusionだけでなく、Equityを含めたDEIという考え方が出てきており、それについては以下のnoteに簡単に思うところを書かせてもらってます。

しかしながら、まだ多様性の本質については触れ切ってない感じがあるので、そもそも「多様性」ってなぜ大切なのか、についてちょっと考えてみたいと思います。

多様性を持つことのメリットは何か

前述してきたように、多様性が大事だと言うのはどこの企業でもお題目のように唱えられていると思います。
多くの場合、それは昇進機会や賃金などの均等や公平さというコンテキストの中で語られているでしょうし、それがあるからフェアだということで社員のモチベーションも上がるというのはあると思います。
でも、それだけではないはずです。

まず、世の中にはいろんな人がいます。
性別だけでなく、年齢、人種、身体的な特徴や健康状態。
企業であれば、その製品と買ったりサービスを受け取る顧客もその状況はさまざま。だから、男性向け、女性向けの製品を別々に持つことは必要でしょうし、健常者ばかりではないので使いやすいデザインも必要かもしれません。

組織の中に多様性を担保してるということは、顧客のさまざまなニーズを理解できるだけの土台を持っており、顧客体験(Customer Experience)を理解してそれに対応したものが生み出せるということもあります。
そして、それが他社との競争優位であったり、市場のパイを大きくすることで成長にも繋がります。

また、多様性を尊重しているということが対外的に伝わっていれば、排他的ではないとイメージができ、それが良い評判ともなるでしょう。
その結果、企業に対するイメージアップになったり、能力のある人材が採用できるようになるかもしれません。

ただ、属性というラベルによる多様性推進は却って、差別などにつながってゆくリスクがあります。特に、属性による差を埋めようとして歪(いびつ)な施作を行うと、それによって受益する側とそれを受けられないものの間に溝を作ることになりかねません。

なぜ多様性が必要なのかの核心はそこにはないことを私たちは知っていないといけないと私は思います。本当に必要な多様性は属性のそれではないのです。

多様性の真の価値

多様性に必要であり目指しているのは、考え方や意見の多様性です。
属性が違うと考え方や意見が異なっていることが多いため、分類しやすい属性を使っているだけです。

社内研修などをするときに、グループ討議のためのディスカションに、役割や性別の違う人が混じったグループを作るようにしています。
討議の時に自分の考えとは異なる意見に出会うことで、気づきや発見があり、そこから自身の考え方が独りよがりにならないように磨き上げられます。また個人にとっての盲点を補完して素晴らしいアイディアを作り出すことにもつながりますし、実際やってみてそれは実感することが多いです。

大きく分けて、意見の多様性のメリットは二つあると思います。
一つは創造性と革新(イノベーション)、もう一つはリスク回避です。

一つ目の創造性は多様性のメリットしてよく言われていることですね。
アイディアとアイディアが出会い、掛け合わされることで今までなかったイノベーションが生まれることになる。
イノベーションで有名な企業は、社員の多様な意見を引き出し、それが掛け合わされるような状況を意図的に作り出しています。

二つ目のリスク回避の意味は、グループ・シンキング(集団思考)の危うさのことを言っています。
一つのことを信じて一丸となって邁進するのは悪いことではないのでしょうけれど、他の意見を聞かなくなったり、視野が狭くなってしまいます。
変化が起きた時に、幾つのオプションが出てきてその中から選ぶというプロセスがない組織では、出てくるはずのオプションの数だけやり直しが発生します。

そうやって何度かやり直しする余裕や時間があれば良いのですが現代では、それは泥舟に乗ってみんなで一緒に沈んでいくことを選んでいるようなものかもしれません。

ただ、その一方で多様性が莫大に広いと収拾がつきません。全ての多様性を内包してるということは結局どこにも向かうことができないのです。
意見の多様性はあれば良いということではなく、ある程度の範囲に狭める必要はあるのではないかと私は考えています。

多様性と心理的安全性

ここで、ちょっと整理をしてみましょう。
多様性の要素を、コンテンツが属性のように固定的なものなのかと、外から見えるものかどうかで2軸のマトリックスにしてみました。

①の象限は一般的に言われているダイバーシティ推進のことを指していると思います。男女の雇用機会不均等、人種差別などを廃止して公平に平等にということです。
これらの属性は多くの場合、外から見えるものとして把握できるでしょう。

②の象限は、同じく属性に関するものですが、外から見えているものではなく本人に聞いてみないとわからないものです。
多くのものが後天的で、本人が選べる場合もありますし、後から変更もできるものでしょう。また、この部分のダイバーシティは組織の中で意図的に作ることができるものです。グループを分けたり、職種を変えたりすることで、ですけれど。

さて、ここからがこれまで述べてきたダイバーシティの核心となります。

③の象限ですが、ここは外から見える個人の思考、ということなってきます。
ここは、その人が成果として出した制作物(アウトプット)であったり、意見として言語化されたものであったりというところです。
あるいは、他者から見た見え方や一般化されたステレオタイプであることもあるかもしれません。

この象限で注意しないといけないのは、表に出てきてる思考は本当にその人の思考であるのかというところです。
外に出している時点で、相手に伝わるように整えたり調整をしてしまうアウトプットするときのバイアスもあるでしょうし、酷い場合は相手側が勝手に決めつけたり思い込みをしてしまっている受け取る側のバイアスもあるでしょう。

象限③は、多分に象限①や②の属性に影響を受けやすいのです。
言語化するにしても、自分の役割にふさわしいことを言おうとしたり、男だからと性別が影響したりはあるでしょう。受け取る側も同様に一般的なステレオタイプで相手を見てしまうとそこから先の言葉そのフィルターを通じて解釈されることにもなってしまいます。

そこで大事になってくるのが象限④、まだ言語化されていない、外からは見えない思考です。
ここに来て心理的安全性が重要になってきます。
象限①②の影響を受けない意見を言っても、バイアスで擦り潰されないような状況、それが心理的安全性が高い状況と言っても良いのかなと思います。

ますます重要となる多様性

ChatGPTやBard、bingといった生成AIが世の中で一般的になってきつつあります。
そのような状況になってくると、強く人間に求められるのは多様性ではないでしょうか。

と言うのも、何らかの命題が与えられた時に、言わないといけないことを言うのは生成AIでもできるのです。プロンプトに状況と属性を打ち込めば、もっともらしい回答が得られます。
でも、それは世の中の平均的な答えであり、一般的な正解です。
(もちろん、プロンプトに突飛なことを入れて創造性を出すこともできますが)

それが欲しい時もあるでしょうけれど、どこも同じような意見になってしまうと述べてきたイノベーションやリスク回避は期待するのが難しくなりはしないでしょうか。
今まで起きていたことをベースに、もっともらしい正解に沿って先に進むのは堅実なようでいて、結局は少し規模が大きくなったグループ・シンキングに過ぎないのではないかなと私は思います。

ここでの多様性は、組み上がった完全な思想や意見である必要は全然ないと思います。むしろ不完全な方が人間らしい思考のはずです。
そもそも、全く同じ思考をしている人と言うのは本当はいないはずだと思いませんか?それを表に出す、それぞれ違うことを認め合うと言うことです。

ChatGPTに正解は任せて、まずは自分の中にあってまだ表に出していない思ってること言ってみるところから、本当のダイバーシティは始まると思います。
綺麗に整える必要はありません。生煮えの考えで良いのです。
それが人間らしさなのですし、その多様性が人類をこれまで前進させてきた訳なのですから。

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