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D&IとEquityを考える

D&I(Diversity and Inclusion)という言葉を聞くようになって随分経ち、日本でもすっかり定着していると思いますが、海外では最近DEI(Diversity, Equity and Inclusion)と言うようになっています。

Black live mattersのような運動がクローズアップされ、人種差別が未だに世の中にあることに対してなんとかしようという中でEquity、すなわち公平であることの価値や大切さを再認識しようと言う事のようです。

このEquityという考え方は、単一民族単一言語の日本人にはなかなかピンと来にくい言葉ではないでしょうか。あまり関係ないし、日本は公平性が担保されている国だと考えているかもしれません。

もともとはD&IのDiversity側にもInclusion側にもEquityのニュアンスとしては含まれていたはずなのですが、敢えて外に出して来たのは人種差別以上の意味があるはずと私は考えています。
多様性があるだけでは「誰一人置いて行かない」包摂を保つことは困難であり、公平性(Equity)が欠かせないということなのではないか、と。

そこで公平性(Equity)とは本来どういうことなのか、ちょっとだけ掘り下げて考えてみたいと思います。

Equality(平等)とEquity(公平)

Equityと混同しやすい概念がEqualityです。英語でも混同してしまう人がいるようで、以下のようなビデオが説明のためにあったりします。

日本語にするとEqualityは「平等」であり、Equalityは「公平」でしょうか。ビデオの中で触れられているように、Equality(平等)は皆が同じ量だけ受け取ることになります。一方でEquity(公平)は皆が同じようにできる(成功する)ように配分することを指しています。例えば支援がなくても大丈夫な人には支援を行わず、その分を支援が必要な人に厚く配分するようなことになります。

具体的な例を出してみると、Basic Incomeという考え方はEqualityに根ざしています。集めた税金を国民全てに均等に配分して最低限の生活を保障しようという考え方ですね。税収源は日本よりもかなり高い消費税だったりするので、消費した分から国民全て等しい比率で徴収しているという意味ではここもEqualityと言えるかもしれません。

一方、同じような生活支援でもEquity的な考え方に則っているのがUniversal Creditです。こちらは社会的弱者の就労を支援する目的であり、一般的な人たちと同じように就労ができるようになれば減額される仕組みです。

日本ではBasic Incomeの議論の方が活発ですね。
アベノマスクや10万円の給付も全国民に等しく配分していました。個人的には困ってる人たちもっと手厚く配分するべきだろうし、既に足りてるところにマスクを送らなくても良いのではないかと思いましたけれど、手間の問題なのかそれともEqualityの観点なのかはよく分からないですね。

D&IとEquity

DEIの中でのEquityは、人種や性別や年齢などが不当にハンディキャップになってしまっているケースにおいてそれを排除したり、そのハンディキャップを超えられるだけの支援をしてゆくことを指しています。当然ですが、同じものをそれがない人に与えるようなことはしません。
Equityを行うことで、多様性が本当の意味で生かされ、皆が対等にインクージョンされることになります。EquityがD&Iのドライバーでありイネーブラーになるというニュアンスなのだと思います。

日本においてEquityの例をあげる、ないしは作るとしたらどんなものになるのでしょうか。

女性管理職を増やすというのは私は、DiversityよりもEquityの要素があるのではないかと思います。その組織の文化にもよるかもしれませんが、女性がなんらかの理由で今まで管理職になれないでいるとしたら、半ば強制的に男性の管理職登用比率と女性の管理職登用比率を合わせるような調整を行い、その上で能力や経験が追いついていない部分を積極的に支援する形が考えられます。

…と書いてみると、それは能力もないのに女性だけ贔屓してしまって不公平ではないのか、という意見が出てきてしまうのが日本のややこしいところですね。

もう一つあるとしたら、男女間の給与格差をなくす、がそれだと思います。
しかし、こちらは給与だけ注目するとおかしな話になってしまいます。職務内容の対価としての給与なわけですから、例えば付加価値の低い事務職をしているにもかかわらず総合職の給与を与えてしまうわけにもいきません。
よって、同じ仕事をしているのに男女で給与差があるのであれば是正することになりますが、男性全体と女性全体の平均給与の差を見て議論するのではなく、男女間で職務の差があるのはなぜかと言うところに議論が向かなくてはなりません。

ここも、先ほどと同じで、能力的に無理があるのに女性だからという理由で下駄を履かせるのかという意見が出てきそうです。

それでもEquityを論じよう

こうやって考えてみると、公平だと思える日本の組織の中に本当にEquityはあるのだろうか?と思えてきます。
日本でもどうも「平等」の方に価値が置かれているような気がして仕方ありません。

そうなってしまう理由は結局のところ、本当の意味での多様性の価値を日本人は信じれるところまで行っていないからなのではないでしょうか。
それは日本人が単一民族単一言語そして長い男性社会の歴史に浸り切ってしまっているから無理がないことなのだと思います。経験してないのですから、それの価値を解るのは難しいのです。

だからこそ、何のために公平である必要があるのかを含めて本当の意味での「公平」とは何かをもっと真剣に論じ合うべきではないでしょうか。

「公平」への理解不足は男女に限ったことではなく、年齢や経験値の差によって若年層の意見が無視されたり成長が遅くなったりというところにも影響しています。
皆が「参加する」「成功する」のを阻害するものが何であるのか、これは組織やチームの中にいる人同士でよく対話してお互いを理解するものだと私は思います。

多様性に対して公平であること。私たちはひょっとしたら自分とは異なるものを無意識に評価してしまっていないでしょうか。
あるいは、自分達が実は不公平なことを意識的・無意識的を問わずしてしまっている、あるいは仕組みとしてそうなっていることに気づいていない事を知ろうと努力していないのかも。
実はそんなところから真のダイバーシティが始まるのかもしれません。

あなたの周りで作れるはずの小さなEquityから見つめてみませんか?

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