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情報整理。マスターしたい「タグ付け」

情報が溢れる世の中で、どのように持っている情報を整理するかはパソコンが世の中に出てきてからずっと悩み考えてきたことのひとつです。

特にネットから大抵の情報が得られる現代では、集めた情報をどのように格納し取り出して使うかがより難しくなってきていると日頃感じています。
と言うのも、せっかく持っていても見つけられない情報なら意味がないので。

全てが書類だった頃は、引き出しやフォルダ、そしてキャビネットと比較的分かりやすく整理しやすかったと思います。
そのメタファーを取り入れてるパソコンのファイルシステムは、それがバーチャルなものであるが故に使いづらさを感じる時も私は多いです。

未だ探求の途上ではありますが、どうするとやりやすくなるのか、私なりに考えてみました。

ファイル整理の定石にある欠点

仕事関係のファイルの場合、多分ほとんどの人がそうであるように私もプロジェクトや案件ごとのフォルダを作ります。
PDFやPowerPointやWord、Excelなどファイルの種類は問わず、プロジェクトに関連するあらゆるファイルを一箇所に入れておくことで見つけやすくするわけです。
まとまった量の情報になっているものは大抵電子ファイルになっていて、すべからく同じフォルダに入っているようにするために、場合によってはメールの本文や電話のメモなども全部入れておきます。

当たり前のように思える方法でしょうけれど、このやり方はフォルダーの中に入っているファイルの量が多くなってくると破綻してしまいます。
具体的には一覧表示にしたときにウィンドウで一覧できずにスクロールが必要になってくると目的としていた「一覧性」を果たせません。パッと見つけることができなければ整理している意味はそれほどないと私は思っています。

さらにファイルの厄介なところは、ファイル名を見ただけでは中身がわからないことがあり、そのためにはいちいちアプリケーションを起動しないといけない場合があるということです。
ファイル名を変えれば良い話なのかもしれませんけれど、他者とやり取りすることを考えると相手がつけてきたファイル名を変えるわけにもいかないでしょう。

よって、ファイルの中身に何が入っているのかがわかるようなフォルダ名を作って管理するという訳のわからないことを時々することになります。

ファイルがシェアポイントやTeamsで共有されるようになっても、結局ファイルが保存されている先の構造は同じなので、同じことが起きることになります。全く困ったものです。

フォルダの階層構造や、そこに何が入っているのか、どのようなルールで整理しているのかを誰が見ても分かるようにするために、私の場合はフォルダの中に「Read Me」と名付けたテキストファイルを入れるようにしています。
こうしておくと、いちいちファイルを開いて中身を見なくても、あるいは説明をしなくてもフォルダの中身やフォルダ整理のルールが一緒に仕事をする人たちに共有されることになります。なので場合によっては、そのフォルダを作った経緯のようなものを書くこともあります。

「情報の積読」をどう整理する?

仕事においては、どのプロジェクトで使ったファイルなのかとかどのミーティングで使われた資料なのかという具合に、比較的整理しやすい方なのではないかと思います。
というのも特定のアウトプットが前提となっている元に集められてる情報ですし、使う目的もはっきりしているからではないでしょうか。

そうではない状況もあります。私の場合はそっちの方が多いかもしれません。
それは「いずれ役に立ちそうだから、とりあえず取っておく」ような情報です。
例えば、読みたい本の紹介記事や文献のPDF、参考になったと思った誰かのプレゼンのファイルなど、すぐには使わないのだけれど取っておきたいものってありませんか?

私の場合ですと、DHBR(ダイヤモンド・ハーバート・ビジネス・レビュー)の文献のPDFなどはまさにそういう代物ですし、毎朝のルーティンにしている日経新聞の記事やさまざまなウェブ上のコラムなどは割と片っ端から収集しておいて、後で時間があるときにや使いときにアクセスするために取っておくみたいなことを日常的にやってます。

しかし、大抵の場合は取っておいたことを忘れていてすでに手元にある情報をネットで検索していたりするので、そもそも取っておくことに意味があるのだろうかと思うこともしばしばあります。
でも、なんか面白い情報を見つけるとそのまま流れてゆくのが勿体無くて拾ってしまうんですよね…

こうやってできてゆく「情報の積読」みたいな状況をどのように解消するか、で私が使っているのがEvernoteです。

この手のソフトウェアには、他にもNotionCraftがあり、使い勝手の違いもあるのでどれが良いのかは人それぞれだとは思います。
私の場合は、Evernoteが世に出てきた時の「第二の脳」という言葉に惹かれて11年前に使い始め今に至っています。

Evernoteを使い始めた理由は、ファイルのように開かないと分からないのではなく、検索したらパッと欲しい情報が見れるようにしたかったからでした。
前項で書いてきたように、フォルダを使ったファイル管理では開かないとファイルの中に書かれているものは一覧できないので、ウェブで検索するように自分の情報ライブラリの中だけを検索して持っている情報を取り出せないだろうかと考えたわけです。

Evernoteの良いところは、手書きの文字や添付ファイルの中のテキスト情報までも検索してくれるところです(有料メンバーシップが必要です)。
これのおかげで、とりあえず集めている情報を後から検索してすぐに漏れなく見つけることができるので重宝しています。

すごく便利だけれど難しいタグ

収集したけれど積読になっていた情報をまがいなりにもEvernoteのおかげで活用できるようになったなと思えたのも最初の数年ぐらいの話で、保存されているnoteが2,000を超えたあたりから、検索して出てくる情報が多くて使い勝手が悪くなってきました。

そこで使い始めたが「タグ」機能でした。
一つ一つの情報に、それらを分類する目印のようなものをつけるのです。

タグをつけておくと、そのタグがついている情報だけを引っ張り出すことができるので検索して出てきた情報からさらに絞り込みたいときに有効です。
また、タグは複数つけることができるので、段階的に絞り込むことができます。
とても便利な機能です。使いこなすことができれば、ですけれど。

情報にタグ付けを始めた最初の頃は、ほとんど意味がないタグ付けしかできませんでした。意味がない、とは情報を引っ張り出す役にも絞り込む役にも立っていないタグということです。
どういうことかと言うと、情報の本文の中に入っている言葉でついついタグ付けしているのですけれど、別にタグをつけなくても全文検索で出てきてしまうのであまり意味がないのです。
情報の中身についてのタグはファイルシステムの場合には意味があるのでしょうけれど、情報そのものにつける場合は適していないのだなと気づきました。

では、どんなタグが良いのかと考えたときに、本文に出てこない情報でタグ付けすると良いのだとなりますけれど、これが実に難しいです。

タグという意味では、ハッシュタグもタグに一種であり、TwitterをはじめとするSNSで、上手につけることで閲覧数を増やしたりフォロワーを増やしている人もいますよね。
インフルエンサーと言われるような人たちが記事や投稿の内容にどんなタグをつけているのかは、よく見てみると参考になるものがあったりもします。

しかしながら、私自身が納得できるベストの方法と紹介できるようなものは正直ありません。まだまだ探求の途上だと思っています。
ですけどせっかく試行錯誤をしてきたので、その中からこういうのかもしれないと思う要素を出してみますね。

情報の属性情報をタグにする、というのは一番簡単にできる方法です。
これは例えば、情報ソースがどこからきているのか、ですね。日経新聞の記事なのか、DHBRの文献なのか、友人からもらったものであれば友人の名前とかがタグになりえます。

抽象度を上げる、あるいは情報の階層を一段上にしてタグをつける、というのも比較的やりやすいかもしれません。
例えば、コーチングやファシリテーションに関する記事があったとして、それらに「コミュニケーション・スキル」とタグをつけるようなイメージです。

でも、最も有効なタグであり付け方が最も難しいのは、自分の脳の癖に合ったタグの付け方だと思います。
つまり、自分が情報を思い出すときのパターンを思い出して、そのときに何をきっかけに情報を思い出すことができているかでタグをつけるのです。
それは、人物かもしれないですし、時間や場所かもしれないですし、特定の状況(旅行とかイベント)かもしれません。

「えーと、なんだっけアレ?」となったときに、自分がどんなタグを付けていたのかなんて正直なところ思い出せないんです。
それよりも「あの時の…」とか「○○さんが…」とか「あそこで見かけた…」みたいなものが引き金になって脳の奥の方に眠っている記憶を呼び起こすように、埋もれている情報を引っ張り出せる紐付けになっているタグの方が遥かに有効だと思います。

これは探究中の仮説なのですが、これは「分類癖」でやっているとできないもので、別の感覚が必要なのではないかと思います。なんというか左脳で考えるものではなくもっともっと直感的な右脳的なものではないか、と。

例えば、人間にとって強い記憶として残る情報にはどんなものがあるかと考えてみると、それは身体感覚を伴っているものが多いと思います。つまり、頭の中で考えたことではなく体の反応が伴った記憶という意味です。
場合によってはそれは感情の言葉になるかもしれませんね。「驚いた」とか「感動した」とか「傷ついた」とかね。

ネットで検索すれば大抵の情報は得られる世の中ではありますが、自分が選んで解釈して意味づけをした情報というのは「知識」であり、それをうまく取り出せないのはもったいないことだと私は思います。

仕事柄コーチングしたり、研修講師をしたりする中で、あるいはこのようにnoteで自己表現をするときに、引き出しは多い方が良いですし、必要なときにさっと取り出せる自分でありたいと思っているので。

だからこそ、情報が多く溢れる中でそれらをどのように格納しどのように取り出すのかは継続して探求してゆくことになるだろうと思います。
これはひょっとしたら「脳を拡張する」という人類の次なる進化の形の一つなのかもしれないですね。

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