人生の転換点となった一言、の話
人生の転換点、ってそうそうやってくるものではないですし、やって来ないまま人生を終える人もいるかもしれません。
また、転換点と呼ばれるものには、就職や転職、あるいは友人やパートナーとの出会いや別れのようなイベントが関わっているということも多いのではないでしょうか。
私にも人生の転換点と呼べるようなものは幾つかあったなと思ってますけれど、その中で最も強烈で最も一瞬に近い転換点がありました。それは私が高校一年生の時にやってきたものでした。そして、まさしく、人生が変わってしまった瞬間でした。
それまでの人生
私の父は医師でした。
大きな病院に勤務している内科医で、子であった私からすると患者さんとやりとりしてるところは見たことがなかったですし、自宅には山のように医学書や学会誌が積まれていて、何やら色々勉強してるのだなくらいに思ってました。
私の祖父(母方の)も医師でした。
こちらは町医者だったのですが、軍医からキャリアをスタートした祖父は、戦地であったサハリンから本土に戻って来てから開業し、加えて(軍時代のネットワークからなのでしょうけれど)警察医として鑑識の仕事もしていました。
祖父のところに泊まりに行くと夜中に事件で呼び出されている様子が伝わってくることがあったのを覚えています。
医師の孫であり息子として生まれた私には、小さい頃これと言って成りたいものがありませんでした。(実はあったのですが、親にも教師にも否定されたので、諦めざるを得なくなったのですが、、、その話はまた別途…)
そこで、母親からは「あなたも医者になりなさい」と言われ育ってきました。
母親にしてみれば、最も身近で理解してる職業がそれでしたので、ごく自然なことだったのかもしれません。祖父のことは尊敬してるようでしたし、父の仕事も誇りに思っているようでしたから。
母には姉がいて(私からしたら叔母です)、その配偶者も産婦人科医でした。残りの親戚はサラリーマンでしたけれど、私は周りに医師が多い環境で育っていたのだと思います。
なので、私も母から言われた時に
「まぁ、そうなるのが自然なのだろうなぁ、、でも簡単には成れないから、ずっと勉強しないといけないんだろうなぁ、、、はぁ…」
とか思ってました。
小学校の高学年からは、「あんたは医者になるんだから」と受験戦争に放り込まれ、毎日塾通いと週末の模擬テストの勉強で、、、かなり苦しんでいた記憶があります。
満点とれないと無茶苦茶叱られたりしてましたので。
なんとか、中学から大学まで一貫の私立に受かって親も一安心し、中学時代は平和な思春期を過ごすことができました。
中学時代の愛読書は「ブラック・ジャック」。成績は中の上ぐらいでしたが、まだまだ医者になる気でいました。
型破り教師
中学は男女共学でしたけれど、高校は男子校でした。それもかなりのマンモス校で、一学年800人ぐらい居ました。
附属高校でしたので、高校所属の教師、大学の講師、教職課程を終えたばかりの大学院生など様々な属性の教師が教えている高校でした。
義務教育が終わっているからかもしれませんが、講師もカリキュラムも一風変わったものが多く、英語ではシェイクスピアのReaderしかやらない先生、世界史では中国史しかやらない先生、とかがおおよそ高校のものとは思えないようなマニアックな中間試験、期末試験を出してくるようなところがありました。
野郎ばかり数千人いる白亜の校舎とマニアックな授業…あまり楽しい思い出は高校時代の私にはなかったかもしれません。
そんな高校の一年生のときの担任、名前はS先生としておきましょう、もかなり変わった先生でした。
彼の担当は生物でした。教壇に白衣を着て登壇し、カッカッカと激しく黒板に文字をかいてゆくのですが、独特のアクセントで強く語り、口調的にはべらんめぇで、講義の中身はなんでもセックスに紐付けに行く…
そんな調子なので、生徒からは陰で変態呼ばわりされてました。
教頭先生や校長先生が聞いたら驚くんじゃないかと思うような型破り教師でした。
教師として道徳的に如何なものかと私も思っていましたけれど、当の生物の講義はとっても分かりやすく生化学への興味を引き起こしてくれました。
興味を持てたのはどこかで自分は医者になるからこれは役立つ知識だくらいに打算的に思っていたのかもしれません。
好きとか嫌いとかでもなく、尊敬できるとかでもない。
確かに型破りで周りは奇人扱いしていましたけれど、私から見るとただ「ちょっと変わってて面白い先生」ぐらいにしか思ってませんでした。
一対一で面談するまでは。
人生を変えた一言
確か、夏休みの前だったと思います。
高校一年で進路相談のための面談が行われました。
授業の合間を縫って、一人ずつS先生の部屋に呼ばれて面談をします。
私の出席番号は39番(アルファベット順の出席番号でした)だったので、面談を終えた同級生がゲンナリしていたり、複雑な顔をしているのをみて、何を話しているのだろうかと思っていました。
まぁ、自分ははっきりしているから、特に何も言われないだろうくらいに思っていたかもしれません。
そして、私の順番になりました。
部屋をノックして、「入れ」の声を聞いてから、中に入りました。
S先生は私の方を見ずに、自分のノートの方を見て、ペンで何かを書き込みながら私にこう問いました。
「お前、何になりたいんだ?」
私は二つ返事で、
「医者です」
と返しました。S先生はまだノートの上でペンを走らせています。そのままこちらを見ずにこう言いました。
「なんで医者になりたいんだ?」
う…と私は詰まってしまいました。親からも誰からも聞かれたことがない質問でした。
なんだろう、なんだろう? え、なぜだろう? …と心の中では思いながらも、それを悟られるのがなぜか嫌だったのでしょう、私は平然と「当たり前でしょう」的にこう言ったのでした。
「なぜって、食ってゆくためですよ」
S先生のペンがピタッと動きを止め、初めて彼は私の方を真っ直ぐに見ました。
そして、言いました。
「だったら、やめろ」
え…?
固まっている私にS先生は、
「もう、行っていいぞ。」
S先生の部屋を出た私は、廊下に呆然と立ち尽くし、思いました。
なんだ、この面談は。
いったい何だって言うんだ。何も知らないくせに…
じわじわと…
担任の一言ではありましたけれど、思ったのは
「何だあの変態教師、やっぱりおかしいっ。あんなのは無視だ」
でした。
しかし、、、
その一言は私の中でじわじわと広がってゆきました。
なぜ「だったら、やめろ」になってしまうのか?
そもそも自分は「なぜ医者になりたい」のか?
頭の中で色々なことが思い起こされました。
祖父の自慢の聴診器を首からかけさせてもらって嬉しかったこと…
小学校の時に親に医者になると言って喜ばれたこと…
保健室の先生に医師の仕事が聖職者であると教わり、誇らしかったこと…
苦しんだ中学受験、叱られても医者になるためだと我慢してたこと…
心ふるえながら夢中に読み漁ったブラック・ジャック…
そして、
父も祖父も患者と人と真摯に向き合っていたし、それを尊敬していたこと…
あ…
なのに、なのに…
なぜ私はあの時「食って行くため」なんて言ってしまったのだろうか?
なぜ「一人でも多くの命を救うため」とか言えなかったのか?
そもそも、本当に医者になりたいのか?
人の体を切ったり、命に関わる診断をしたり、そんなことをしたいと思っているのか?
なんか良いところ、カッコいいところしか見てないんじゃないのか?
あるいは、親から言われたからなろうとしているんじゃないか?
ものすごく落ち込みました。分かってしまったからでした。
自分は医者になりたいわけではなかった、と。
そして、「自分が食ってゆくために医者になる」なんて胸張って言ってる奴が医者になんかなっちゃいけないんだと悟りました。自分には資格がない、と。
そして、両親に伝えました。
「ごめん、俺、医者になるのはやめるわ」
糸の切れた凧のように
S先生には「医者になるのをやめます」と伝えることはありませんでした。
あまりに情けなくて言えなかったですし、言ってみてどうにかなる、何かが起こるとも思えませんでしたし。
私の意思が固いことを知った両親はかなりがっかりしてました。
母親としては、医者にならないのであれば何になるのか、と心配していましたし、彼女の知見がない職業に対してはアドバイスもできません。親としては医者にならない私にできるアドバイスはなかったし、してやれることはもうないと思ったのでしょう。結果的に私は親からは放ったらかしになりました。
高校一年にして人生の目標を見失った私は、そこから大学3年の就職活動までは、糸の切れた凧のようになっていました。
勉強も大してせずに体育会剣道部の活動に明け暮れ、それ以外の時間は遊び回ったりバイトしたり…そんな毎日が6年近く続いていたように思います。
まぁ、それはそれで、先々考えずにその場その場を自分のやりたいようにやってこれたと言う意味で良い学生時代だったのかもしれませんが…
あるいは、その6年の間は「親の期待に沿う」のではなく、自分が何をやりたいのかをずっと考え続けることができていたのかもしれません。
私自身は長男でしたので親からの期待はものすごく大きかったと認識していますが、16歳で親の敷くレールから降りることができたのだと思います。
そして、自分で考えることができるようになったのです。
「なぜ、それをしたいのか」を。
きっかけはS先生がズバッと言ってくれたからでしたけれど、最初そうしようとしたように無視に徹することもできました。
それをしなかったのは、自分の中でモヤモヤしていた何かがあったのでしょう。それを信じ、別の選択を探したからこそ今の私があります。
そして、私はその選択を今も後悔していません。
その選択が自分の人生をどれだけ刺激的で面白いものにしてくれたのかを、私は知っていますから。
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