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オフィスは何のためにあるか?

世の中はゴールデン・ウィークに突入しましたね。初日の29日は東京駅も新大阪も人でごった返し状態になり、新幹線の指定席は満席状態でした。
蔓延防止等重点措置が解除となり、世の中はノーマルに戻りつつあるのを実感します。

4月に入って新卒が社会人としてスタートするのと同じ頃から、日本の多くの企業でも元通り会社に出社する人たちが増えているのではないでしょうか。
しかし「会社に行って仕事する」以外の選択肢があることをリモートワークが長く続いたことで皆が理解してしまった今、オフィスに出勤する意味は何なのかを考えなくてはいけなくなりました。

どのような働き方をするのかによっては、従業員のやる気やエンゲージメント、そしてウェル・ビーイングに大きく影響をしてきます。
一方で、会社としては従業員の安全への配慮や生産性を管理してゆく必要があり、そのためにはある程度はオフィスへの出社を動機づける必要があります。

ここで出てくる問いは、
「何のためにオフィスに行くのか?」
この答えは、組織が提示するものでもあり、ひとりひとりが作ってゆくものでもあるのでしょうけれど、どのように考えたら良いのかのガイドは必要かもしれません。

従来型オフィスにおける個人デスク

企業によって、あるいは組織内の部門によってオフィスのレイアウトは違うかもしれませんが、ハイブリッドな働き方が始まる前のオフィスには、二つの場所があったのではないでしょうか。
それは、個人デスクと会議室、です。
従来型オフィスにおける個人デスクについてまずは振り返ってみます。

私自身は社会人生活の最初は島型レイアウトのデスクの一角で仕事をしていました。一つの課全員が向かい合わせ隣り合わせに座っていて、特にお互いの間に垣根はなく顔をあげれば仕事仲間の顔が目の前にある状態です。
自分のデスクですので、両脇には自分の書類や自分用の文具一式が入っていました。咳が禁煙になる前はタバコを吸う人がいたので、共有の灰皿がお互いの机の間に置かれていたりもしました。今考えるとあり得ないレイアウトですね。

でも、気軽に声をかけられるますし、仲間がどんな仕事をしているのかだけでなく、どんな気持ちでいるのかまでも伝わってくる状態であり、お互い意見を交わし相談をしながら仕事をして行くことできましたし、新入社員や後輩はそうやって目の前にいる先輩の行動をいつも見ながら学んでいくこともできました。

パソコンがひとり一台持つようになったあたりから、机と机の間には衝立が立つようになりました。それがキュービクルと呼ばれる半個室に置き変わってゆき、立ち上がらないと自分以外のメンバーが見えないようになっていきました。
隣のデスクにいるのにメールでやりとりしてる…などという状況もこの頃は違和感のあるものとして捉えられていたと思います。

いずれにしても、自分の作業のために集中して働くための個人用スペースがあったのが従来型のオフィスでした。
「集中」のために他のメンバーと常時接点がある状態は無くなっていったとも言えるかと思います。

個人デスクの仕切りは高くなり、個は切り離されてゆきました

フリーアドレス型オフィス

平成に入った頃で営業の仕事をしていた時にサテライトオフィスに転勤となり、そのオフィスのレイアウトが実験的に取り入れられたフリーアドレスでした。

フリー(自由な)アドレス(住所)との文言通り、固定された自分の席はなく、扇型にレイアウトされたデスクの好きな位置に、自分の荷物を持ってきて仕事をするスタイルです。
当時明言されなかった導入理由はオフィスのコストを下げるところにあり、営業所のように常に全員が出社しているわけではなく出社率に見合う席の数にするための工夫でした。

導入された当初は従来型のオフィスに慣れていた人たちからは文句も出ました。自分がデスクワークをするための場所が不定で、座って仕事ができるようにするためにセットアップする手間と時間が必要でした。
会社にしてみれば、原則外回りの営業職がちょっと書類を広げて作業ができるスペースがあれば良いはずなので、自分の荷物を席に置きっぱなしにする必要はなく、鞄から書類を取り出して作業できれば良いという発想だったのです。

書類が中心の仕事からノート型パソコンで仕事をするようになると、フリーアドレスはその真価を発揮し始め誰も文句は言わなくなりました。やがてはフリーアドレスであってもオフィスに立ち寄らずに営業車や列車の中で仕事をするのが当たり前となり、フリーアドレスのスペースも次第に小さくなって「営業ベンチ」と呼ばれるような性質のものに変わってゆきました。

会議室

個人デスクについては、それが固定席なのか流動的なのかによって、オフィスのレイアウトや使い方が変わっていたかと思いますが、どのようなオフィスでも必ずあるであろうものが会議室ですね。

伝統的なリアルの会議室にはホワイトボードがあり、会議で出てきた意見はそこに書き留められることで全員の共有されていました。ホワイトボードを使わない会議では、ハンドアウト(配布資料)を使ってお互いの顔と資料とを交互に見ながら、意見を交わし合い、誰かがその様子と決定事項を議事録としてまとめていました。

私がいた会社ではOHP(オーバーヘッドプロジェクタ)が会議の必需品だった時期があり、スクリーンに移し出される透明フィルムにファシリテーター兼書記がペンで意見や決定事項を書き込み、それがリアルタイムで共有されてました。
会議の後にフィルムをコピーして配布するという紙ベース、手書きベースのコミュニケーションでしたが、双方向で意見交換が活発に起きていました。

会議室に設置されるものがホワイトボードやOHPから液晶のプロジェクタに変わってくると、それにそれぞれのノートPCを繋いでのプレゼンテーション形式の会議に世の中は移行していきました。
そして、その流れはウェブ会議へと引き継がれてゆくことになります。

会議室には沢山の人を集められるホールのようなものや、動き回って作業ができる作業室のようなものもあります。
これらは「集まって話し合って何かを決める」という「会議」とはまた別の性質を持ったものですし、必ずしも会社の中でナレッジ・ワーカーに必須で常時使われるものではないかなとは思いますけれど、施設としてはあることを求められるかもしれませんね。

オフィスは要らなくなったのか?

今私は、会社の中で未来の働き方に最適化したオフィスについて考えるタスクフォースのメンバーになっています。
ウィルスの感染リスクがなくなった先にどのような働き方を私たちはするのか、その時にどのようなオフィスにすることが組織にとって社員にとって良いのかを試行錯誤し、意見をもらいながら形にしてゆこうとしています。

会社に来ることに意味がないと言う人は居ませんが、具体的に仕事の中身を見てゆくとそれは会社に来なくてもできてしまうものがほとんどになってきてしまっています。
どうしてもオフィスに来ないとできないのは、オフィス宛に到着する物品の受け取りであったり、広い作業場や特定の什器を必要とする作業であったりでしかなく、それ以外はリモートでもできるようになったし、リモートの方が効率が高くなりました。

会社に出社するとなると特定の通勤時間がかかることになり、日本のようにラッシュアワーがある国では通勤という移動時間は移動のみしかできない非生産的な時間となります。
また、会議もリアルでやるとなると、会議室の予約や自席から会議室までの移動、プロジェクターを起動してパソコンを繋ぐまでのセットアップの手間が発生します。ハイブリッドで行う場合は、工夫しないとリモートで会議に入ってくる人たちの疎外感が大きくなるだけで非効率であるばかりか効果的な会議にならない場合すらあるでしょう。

一方で、個別にデスクに関しては、もともとキュービクルで集中できるようにしていたものが、在宅勤務が長く続いたことで自宅が仕事環境として整備され、会社にいるよりも途中で邪魔が入らず集中しやすくなってしまいました。
オフィスで他者が話している声は当たり前だと思うと気にならないですけれど、在宅勤務の静かな環境に慣れると雑音として邪魔に感じるようになってしまった人も少なくありません。

個人で集中する作業はリモートでやった方が集中しやすいし生産性も高い、会議はリモートでやった方が効率が良く簡潔に進ませることができる、と考える人々の「何のために通勤時間という無駄を使ってまで会社に行くのか」という大きな疑問の声はタスクフォースの元に多く寄せられてきています。

オフィスの意味を再定義する

これまでオフィスは「行くところ」であり、その理由は不要でした。
会社員であるのだから、会社に行くのが当たり前であり、そこで仕事をするのだ、と。
昼間から自宅にいると「仕事してない人=プータロー」と白い目で近所から見られていたのもそんなに遠い昔ではありませんでしたよね。

会社に行かなくても仕事はできてしまう、ということに皆が気づいた今日、それでも集まることにどのような意味を見出すのが良いでしょうか。
これまで見てきたように、個人が集中してアウトプットを出したり、集まって意見を出し合って物事を決めるのはリモートでもできますし、その方が効率が良くなってしまいました。
それ以外のところで意味を見出さないといけなくなってしまったのです。

試行錯誤の中にいる中で、いくつかの声が上がってきています。
「やはり、リモートよりも会った方が話しやすい」
「会議の合間合間のちょっとした雑談でみんなの様子や考えてが伝わってくる」
「普段接することのない、メンバーの意外な一面が見れて親しみを感じた」
などなど…

リモートワークやハイブリッドワークが始まった頃に、会社に集まる意味の一つにセレンディピティがなくなる、というのがありました。
議題や目的の決まっている会議をオンラインでやるだけで、廊下で偶然あって立ち話とかしなくなっている、と。案外そんなところから新しいアイディアが出てくるものだ、というのです。
また、ブレインストーミングや研修のようなクリエイティブなものは集まった方が良い、とも言われていました。
そういうこともあるかもしれませんが、それはテクノロジー次第でオンラインでもできてしまうかもしれません。

しかし、それよりももっと大切なこと、裏を返せばリスク回避のためにやはりオフィスはあった方が良いと私は最近考えるようになりました。
二つの要素が考えられます。

その一つは、広義での心理的安全でのことで、私なりの言葉で表現すると「所属保証」です。
少し考えてみてもらいたいのですが、仮にリモートオンリーとなった時、社員一人一人は何を以って自分の会社に所属しているという意識や、他の人たちと繋がっているという感覚を持つことができるでしょうか?

リモートワークが続くことで孤立感が強まってゆき、会社組織への帰属意識がどんどん薄まっている人が増えています。帰属意識が低くなってしまったので、出勤することへの動機づけも小さくなっている部分は少なからずあると思います。
同じ時間と空間を共有していることで、一緒にいることで得られる「所属」の感覚は実は馬鹿にできるものではなく、それが安心感につながって話がしやすくなるというのは多くの人に見られる傾向だということがわかってきました。
「会った方が話しやすい」は決して気休めではなく、心理的に安全だからこそなのではないでしょうか。

もう一つは「交流」です。
こちらはセレンディピティに近いですが、イノベーションを起こすためとかそんなに大それたものではなく、さまざまな人々とのつながりを作る「人的交流」と、特定の人の別の部分を垣間見る「心的交流」とかになります。

多種多様な人々とオープンに出会って話し合えると同時に、会議の中では出てこない人の奥深さや魅力、固まりきっていないアイディアなどが、ちょっと話しかける・話しかけられたことで引き出され、形になってゆくような状態です。
そのために、きちんとセットされたレイアウトよりはもっと自由で流動的な仕事場になっている良いのかもしれません。

ABW(Activity Based Working)という考え方があります。
業務内容や気分に合わせて、好きな時間と場所で働く働き方を指しており、イメージで言うとWeWorkのようなコ・ワーキング・スペースが自社のオフィスになったような感じです。
働く時間、場所が変わることで、気分が変わったり新たなアイディアが生まれたりする効果だけでも十分に意味がありますが、時間と場所をシフトすることによって自分が普段接することがないものに出会ったり人と話をすることができるようになると、狭い視野からの考えでは出てこないようなソルーションを導き出すことにも繋がり得ます。


私が行っている新しい働き方のタスクフォースでは、働き方の目指す効果として4つの要素を見るようにしています。それらは、以下のものです。
1)Belonging(会社の一員であるという意識があるか)
2)Productivity(仕事をする上で十分な生産性があるか)
3)Connectedness(チームで仕事をしてる感覚があり、孤独ではないか)
4)Well-Being(心身共に健康で、溌剌としていられる)

難しいのは、同じ働き方をしていてもこの4つについての感じ方は人それぞれで、ある人は一人で黙々と仕事をする方がこれら4つが高いけれど、ある人は人々に囲まれて和気藹々と仕事をする方がこれら4つが高いと言うことがあり得ると言うところです。

緊急避難的に始まったリモートワークは、試行錯誤を繰り返しながらやがて慣れて常態となりました。
それと同じように、新しい働き方も試行錯誤を繰り返しながら探究してゆくものであり時間もかかるでしょうし、終わりはないのかもしれません。

ただ、その時に、個人のためではなくメンバーみんなにとって、これら4つの要素の絶妙なバランスがとれた働き方を、メンバーみんなが納得できるようなやり方で見出せるようにしてゆきたいものだと思っています。

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