フィンランドの歴史における女性作曲家たちの祭典/第4部:イダ・モーベリ
スザンナ・ヴァリマキ著(2019年10月11日掲載)
イダ・モーベリ(1859-1947)は、大きな響きを生み出すアンサンブルを駆使しながら、人間の感情に触れることを望んでいた。彼女の作品は、そのほとんどがオーケストラや合唱曲、あるいはその両者のための作品である。彼女の作品の主題は、主として個人的な精神の移ろいに関係したものである。
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モーベリは、芸術が超越的な精神世界への入り口となると説く神智学に影響を受けた。彼女は成人になってからも、フィンランド及び国外における神智学、人智学のサークルにおいて活動的であった。スウェーデン語話者のフィンランド人としてのアイデンティティや民俗的教育、女性の権利も彼女にとって重要なものであった。自由という象徴は彼女の作品において重要な要素である。
声楽家から作曲家へ
モーベリは1880年代に、声楽家および音楽教師として音楽活動を始めた。これは彼女が1870年から1877年にかけて、ヘルシンキにあるスウェーデン系の女子学校「Svenska Fruntimmerskola(訳注:「スウェーデン女性学校」の意味)へ通っていたことが直接のきっかけとひとつとなっている。この学校は女性の教育のための独自の教育方針を持った機関で、芸術分野におけるリーダーは声楽教師であり合唱指揮者、そして作曲家であったアンナ・ブロムクヴィスト(1840-1925)であり、彼女はドイツ語も教えていた。ブロムクヴィストは、卓越したピアニストのアリー・リンドベリ、音楽評論家のアンナ・イングマン、女性の権利への活動家であるマイッキ・フリベリをも含むネットワークの中で、モーベリにとって生涯の師となった。
モーベリはその青春期に、声楽家のマリア・コランと、ピアニストのアリー・リンドベリに学んだ。1879年から1883年にかけて、サンクトペテルブルク音楽院でエリザベス・ツヴァンツィガーとフリーデリケ・グリュン=サドラーに声楽を学んだ。しかし、彼女はやがて自身の歌唱に関わる身体的な問題を抱えてしまい、30代の時には彼女は作曲と合唱およびオーケストラの指揮に自身のキャリアを捧げるようになった。
モーベリはヘルシンキ・フィルハーモニー協会(現在のヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団)のオーケストラ・スクールで作曲を学び、ジャン・シベリウス(1893-1895)とイルマリ・クローン(1900-1901)らの教えを受けた。彼女が40代になると、更なる学習を求め、1902年から1905年までドレスデンの王立音楽院でフェリックス・ドレーゼケに作曲を学んだ。この時、彼女はルドルフ・シュタイナーの人智学の講義にも出席していた。
法悦感の広がり、エーテルの蒸発
モーベリは1910年から1912年までベルリンとドレスデンで音楽教育学を学んだ。とりわけ、作曲家であり音楽教育者であったエミール・ジャック=ダルクローズがヘレラウ(ドレスデン)に設立した学校での学習が重要なものとなった。モーベリはドレスデンに永住するつもりだったが、第一次世界大戦の勃発後、フィンランドに帰らざるを得なくなってしまった。
モーベリはダルクローズの身体運動をベースにしたソルフェージュをフィンランドに持ち込み、1914年から1916年までヘルシンキ音楽学校(現在のシベリウス音楽院)でこれを教えた。身体の動きを通して音楽を理解することは、彼女の音楽的思考の不可欠な部分となった。彼女はヘルシンキにあるスウェーデン系の小学校において、音楽教師として幅広いキャリアを築いた。モーベリはさらに音楽理論、管弦楽法、作曲、即興演奏、ピアノの個人レッスンも行っていた。
様式的には、モーベリの音楽は象徴主義、印象主義、表現主義に依るものである。彼女のテクスチュアは和声的にはあまり動きがないが、リズムにおいては活動的であり、はっきりとした拍節と繰り返される格言のような主題を伴っている。運動や踊りに対する強い感覚を持っており、彼女は言葉と音を描くことを好んでいた。音の色彩感と「今」という感覚は彼女の音楽にとって重要な要素だった。光、神秘、永遠、精神性といったイメージは典型的なものであった。彼女の作品の多くは、法悦感の広がりやエーテルの蒸発の中で幕を下ろす。
オーケストラ作品
人間の精神的な葛藤というコンセプトは、モーベリの作品の表題と主題にはっきりと表れており、それは同様に音楽のイディオム、イメージ、構造にも示されている。
例えば2楽章構成によるオーケストラ作品《生命の歌 Livets sång》(1909)は、点描的なリズムと共に始まる、モーベリにとって典型的とも言える段階的な反復動機に特徴付けられている。それはまるで人生の道程を歩いているようなイメージを呼び起こす。
第1楽章において、その動機はフルートと弦楽の上昇してゆく明るいテクスチュアとして現れ、明快な木管楽器による和音がそれを色付けしている。第2楽章〈さまよえる死者 De dödas vandring〉では、ティンパニ、ファゴット、コントラバスによって描かれる荒涼とした風景の中で下降音型として現れるが、やがてはハープを伴うコラール風のテクスチュアの中へと和らいでゆく。
モーベリは自身のオーケストラ作品の多くを―ヴァイオリン協奏曲においてでさえ―音詩 tondiktと見なしており、それらの物語性を強調している。例えば《日の出 Soluppgång》(1909)は全4楽章―第1楽章〈日の出 Soluppgång〉、第2楽章〈前奏曲あるいは活動 Preludi or Verksamhet〉、第3楽章〈午後 Afton〉、第4楽章〈静寂 Stillhet〉―からなる。象徴主義的な手法において、モーベリの「性質の喚起」は、人間の心の内の精神的なプロセス、または宇宙との交信のメタファーとなっている。
交響曲ニ短調、《瞑想曲 Meditaatio》、《ミカエル祭の情景 Mikaelintunnelma》、《カレヴァラ幻想曲 Kalevala-fantasia》といった、モーベリの作として知られたオーケストラ作品の多くは失われている。いくつかの作品は、様々な状態で、あるいはスケッチしか残されていない。しかし、完全に演奏可能な形で存在するものも少なくはない。
合唱とオーケストラのための作品
自身の交響曲をドレスデンで書いたモーベリは、1906年2月28日にヘルシンキ大学の大ホールにおける自作演奏会で自ら指揮を振った。このプログラムには、序曲イ短調、オーケストラ作品《田舎の踊り Landtlig dans》と、バリトン、男声合唱とオーケストラのための《目覚めよ! Vaknen!》も含まれていた。モーベリは1900年代および1910年代にヘルシンキとヴィープリのコンサートで指揮を振っており、また彼女の作品はロベルト・カヤヌスの指揮によってヘルシンキ・フィルハーモニー協会によっても演奏された(例として、1909年の《日の出》、1914年のチェロとオーケストラの《アンダンテ》)。 アカデミー男性合唱団とムントラ・ムシカンテル男性合唱団は、モーベリ自身が指揮した神智学合唱団と同様に、彼女の合唱作品を演奏した。
モーベリの作品にはカンタータと呼べるものが多く、ヤコブ・テゲングレンのテクストによる男声合唱とオーケストラのための《人生の闘争 Livskamp》、ベルテル・グリペンベリのテクストによる《戦いの前に Före striden》などが挙げられる。1909年にマントラ・ムシカンテル男性合唱団が開催した作曲コンクールを勝ち抜いた、J.J.ヴェクセルの詩による《暴君の夜 Tyrannens natt》は、テノール、あるいはソプラノ、男声合唱とオーケストラのための作品である。モーベリが使用したテクストのほぼすべては、フィンランド系スウェーデン人の作者によるものである。
混声合唱と弦楽のための《ミュニフィセンツィア Munificentia》は、ニノ・ルーネベリの神秘的な懺悔の詩編に基づいている。その3つの楽章は、〈ミュニフィセンツィア〉、〈愛と死 Amor mortis〉、〈隣人愛Amor proximi〉からなる。その他のニノ・ルーネベリからなるものは、混声合唱、弦楽とオルガンのための《エクス・デオ・ナシトゥル(誕生から神へ) Ex Deo nascitur》であり、この表題は古い薔薇十字団の言葉を指したものである。
モーベリのアカペラによる合唱作品の多くは、混声合唱のための《薄明 Skymning》、《目覚めよ、人間よ! Mänska vakna!》、《汝は何を愛するのか Vad skall duälska?》などのように、精神の葛藤という主題にも取り組んでいる。
東方からの光
1910年、モーベリはゴータマ・ブッダの生涯に基づいた《アジアの光 Asiens ljus》と題したオペラを書き始めた。彼女は自身の生涯を通してこの作品に取り組み続けた。その全てが演奏されたことは1度もないが、その断片は個別の作品―《バレエの情景 Balettikohtaus》、《子守歌 Kehtolaulu》(管弦楽組曲《日の出》の第4楽章〈静寂 Hiljaisuus〉としても知られる)―として演奏された。
その脚本はイギリスの哲学者、エドウィン・アーノルドによるゴータマ・シッダールタの詩情溢れる伝記『亜細亜の光』(1879)(訳注:島村苳三による邦訳版が、上記タイトルにて岩波書店より1940年に刊行されている)に基づいており、これも同様にサンスクリット語による『方広大荘厳経』に基づいたものである。アーノルドの本は、ブッダの生涯を広めるための、西洋における最も初期の取り組みのひとつであった。モーベリは、自身の友人である神智学者、アグネス・グルードとともに、この本のスウェーデン語訳を自身の脚本に採用した。
このオペラはシッダールタ王子が世界の苦しみに目覚め、己の特権的な身分を放棄する決意に至るまでを描いている。色彩豊かな音色と、光の象徴性がこの作品を特徴付けている。時に歌い手や踊り手は、ルドルフ・シュタイナーが考案したオイリュトミーに従って動くように求められる。その音楽は宇宙的な涅槃の中で頂点に達する。
近年、フィンランドのサヴォ音楽協会が自らの手でこのオペラを再構築し、上演している。技術や経済の進歩ではなく精神的な成長に焦点を当て、利己主義や弱者からの搾取ではなく思いやりや共同体意識を重視するというテーマ性は、現代の世界では非常にタイムリーなものに思えるのである。
秘教的な伝統
イダ・モーベリは、その生涯の最後の日まで、作曲を通して生きることの意味を探し続けていた。
音楽は存在するすべてのものの神秘へ導くものとする彼女の考え方は、フィンランドのクラシック音楽において重要な要素である秘教的美学の伝統と結びついている(例として、オスカル・メリカント、エルッキ・メラルティン、ヴァイノ・ライティオ、ヘルヴィ・レイヴィスカ、ヘイディ・スンドブラート=ハルメ、エーリク・ベリマン、エイノユハニ・ラウタヴァーラ、カイヤ・サーリアホなどが採用している)。モーベリはこうしたアプローチの初期の、また現在においても最も重要な提唱者の一人であるが、彼女の作品はいくつかの合唱曲を除いて、これまでほとんど録音されていない。
サヴォ音楽協会と共に、ヴァイオリニストのミルカ・マルミは近年、モーベリの音楽に注目している。2020年3月28日にクオピオで、29日にヴァルカウスで開催される同音楽協会のコンサートで、モーベリのヴァイオリン協奏曲、《ヴァイオリンとオーケストラのための音詩 Tondikt för violin och orkester》を演奏する予定である。また、2020年5月にもヘルシンキでウェゲリウス室内弦楽合奏団との共演を予定している。
モーベリのオーケストラ作品のほとんどは、ヘルシンキ音楽センター内のシベリウス・アカデミー図書館の自筆コレクションで見ることができるが、この図書館は、現在ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団とフィンランド放送交響楽団が演奏しているホールからわずか数メートルのところにある。この音楽がその舞台に登場する時を心待ちにしている。実は我々は既にわずかな情報を得ている—ロッタ・ヴェンナコスキが世界初演した《足跡と光について Om fotspår och ljus》には、モーベリのオペラ《アジアの光》からの引用が含まれていたのである。
※冒頭の写真:イダ・モーベリ
2019年11月23日にフィンランドのクオピオ、24日にヴァルカウスで行われるサヴォ音楽協会のコンサートでは、イダ・モーベリのオペラ《アジアの光》から〈子守歌〉が演奏される。モーベリのヴァイオリン協奏曲《ヴァイオリンとオーケストラのための音詩》は、ミルカ・マルミをソリストに迎え、2020年3月28日にクオピオで、29日にヴァルカウスでそれぞれ演奏される予定である。
演奏会シリーズ「女性とヴァイオリン」は、ヴァイオリニストのミルカ・マルミによって企画されている。2020年5月のコンサートでは、ヴェゲリウス室内弦楽合奏団との共演でアイダ・モーベリのヴァイオリン協奏曲が予定されている。
(訳者追記:上記コンサートはコロナウイルスの影響により延期となった。ヴァイオリン協奏曲の演奏については、2020年11月22日にヘルシンキの貴族の館にて無観客で行われた。アーカイブ配信がこちらから視聴可能)
作品情報
サヴォ音楽協会がデジタル化したイダ・モーベリの作品
Music Finland Coreに掲載されているイダ・モーベリの作品カタログ
動画
2019年9月12日にヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団によって行われたロッタ・ヴェンナコスキのオーケストラ作品《足跡と光について》の世界初演の動画。この作品は、イダ・モーベリのオペラ《アジアの光》からの抜粋を引用している。
情報源
資料:ヘルシンキ市アーカイブ/フィンランド国立公文書館/フィンランド国立図書館/Music Finland楽譜ライブラリー/シベリウス博物館アーカイブ/ヘルシンキ芸術大学シベリウス音楽院アーカイブ&シベリウス音楽院図書館自筆コレクション/オーボ・アカデミー大学アーカイブ
新聞資料:フィンランド国立図書館によるデータ化された新聞/シベリウス博物館における新聞切り抜きコレクション
文献(フィンランド語)
ヘレナ・ホルスティ=セタラ:『イダ・モーベリ(1859-1947):作曲家が見た理想の女性像 Ida Moberg (1859–1947): Aatteellisen naisen säveltäjäkuva』2017年、音楽学、学位論文、ヘルシンキ大学
ウッラ・サーリ:『イダ・モーベリ(1859-1947):忘れられた作曲家 Unohdettu säveltäjä』2017年、音楽学、学位論文、ヘルシンキ大学
(邦訳:小川至)
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こちらの記事は、ウェブマガジンである「フィンランド音楽季刊誌(FMQ)」に掲載された記事の邦訳文章です(2019年10月11日掲載)。
著者のスザンナ・ヴァリマキ女史に許可を頂いた上、翻訳・掲載しております。
以下のサイトにて原文をお読みいただけます。
なお、現在、本連載記事は、上記FMQにてPart 6まで公開されています。
以下に現在公開済みの拙訳へのリンクを纏めました。