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「目的地の認識」と「comeの概念」

前回の記事の終わりに宣言していた「目的地の認識」と「comeの概念」のお話です。最近は、この言葉を使いはじめた方が帰国して、全国各地でその考えを布教しているので、ツイッターやインスタグラムでも「#目的地の認識」「#comeの概念」などと検索すると、ヒントとなる画像や映像をたくさん見ることができます。

前回記事はこちら

そもそもなぜ私がこの話をするか。前回記事でも書いた欧州3週間の旅は、この方にいろいろと面倒を見てもらっての旅でした。

昨年に鬼木さんが帰国された際もインタビューをさせてもらったり。

それ以前は一緒に本を作ったりもしました。

今回の旅の最中や、日本に帰ってきてからも、いろいろと示唆に富んだ話をさせてもらっているので、時間に余裕のある今のうちに整理しようと思い立った次第です。

先に断っておくと、今回のお話は鬼木さんと、YJRさんの影響が非常に大きいです。というか、このお二人の話のほぼトレースのようなものです。YJRさんは、いま書籍企画をゆっくり進めているので、そちらも楽しみにしていただければと。

前置きが長くなりました。ここから本題に入ります。


目的地の認識とは? 

まずはここからいきましょう。「自分がどこへ向かうのか」という意識を持ち、その目的地を明確に認識していることを「目的地の認識を持つ」と表現しています。これはサッカーに限らず日常生活に置き換えることができます。

例えば家に帰る時の目的地は自宅です。自宅に目的地を設定して、帰る手段として電車なのか、バスなのか、自転車なのかを考え、帰るルートに銀座線なのか丸ノ内線なのか半蔵門なのかを選択します。学校に行く時の目的地は学校ですし、出勤時は職場です。

また、場所ではなくモノの場合もあります。飲み物を飲もうとしたらコップやボトル、缶など、服を着る時はシャツやズボン、靴下などです。

サッカーでいうと、最大の目的地はゴールです。しかし、もちろんゴールに向かわせんと立ちはだかるDFがいるので、目的地に向かうための経由地にいる選手にパスを出したり、DFをよけて経由地までドリブルしたりするのです。 

なぜ、目的地の認識がサッカーに必要なのか? 

人間の体は、認識した形になるからです。目的地を設定して歩き始めると、その方向に体を向けて歩きます。駅を目指すなら、駅の方に体を向けて歩きます。また、歩く動作でさえ「立つ」という状態を作って行われるものです。

モノの場合も、ペットボトルを持とうと思った時には、手はボトルを持つための形になります。靴を履く時には脚を曲げて体を屈めますし、誰かと待ち合わせをしていて、その人を見つけたら体をそちらに向けて歩きます。

サッカーでも同じように、ゴールを認識していれば体がゴール方向に向くし、そこへ行けるように動きます。パスを出そうとしたらパスをする体の形になり、ドリブルも同じです。

「目的地の認識」があると、サッカーではどうなる? 

こちらは攻守の例を分けて見ていきます。

・攻撃

1:55〜のパリ・サンジェルマンの攻撃を見てみましょう。左サイドでボールはネイマール⇄ムバッペ間で展開され、中央にはカバーニがいます。このカバーニが走るコースに注目してください。マークを外す動きなどはなく、ゴールに向かってまっすぐ走ってるだけです。しかし、最終的にはマークが外れてフリーでシュートを打てています(決めたのはネイマールですが)。

つまり、一番の目的地であるゴールに向かい、その延長線上にあるボールをもらう場所が中目的地となって、ゴール前で合わせられる、ということです。もちろんこのシーンでは、そもそも攻撃側が数的優位になっていることもありますが、欧州サッカーのゴールシーンを見ていると「ゴールに向かって走ってるだけで勝手にマークが外れる」という場面は多いです。アグエロやスアレスのゴールは特に多いですね。これが、目的地の認識を強く持つことで生まれる現象です。図でも見てみましょう。

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また、この場合の中目的地(ボールを受ける場所)は、おそらくカバーニの中で常に更新されています。ムバッペがサイドの高い位置でボールを受けた際に、クロスまでに2タッチを要しており、ダイレクトでパスが出た時に受ける中目的地、2タッチ目で出された時に受ける中目的地は違うからです。

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続いてこちらは、湘南ベルマーレ・菊地の2点目が例です。2:26あたりから見てください。PA内の右サイドでボールを受けた野田は、ゴールラインまでドリブルで侵入。中で待っていた菊地は、ボールに近づいたり前に出過ぎたりせず、少し下がった位置にポジションをとり、マイナスのクロスを受けてゴールを決めました。シュートを打つ瞬間、菊地の体はゴールに向いていました。

試合後に「練習からやっていた」とコメントがあり、あらかじめ用意されていた形だと思います。ゴール前深い位置からの折り返しを、「ゴールが決まる」とわかっている場所で受けた、ということです。目的地の認識は、練習で共有することで身につけられるという一例です。

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・守備

ファン・ダイクの守備です。2対1の状況で、ドリブラーを誘導して奪いたい方向が明確になっており、そちらへ行くような体の向きをしています。また、この時も目的地の認識を更新しているはずです。シソコがボールを触るたびに、後ろにいるDFへのパスコースや、次へドリブルするタッチの方向、シュートコースが微妙にかわっているので、そこをうまく切りながらボールを奪えそうな場所へ誘導しています(最終的にシュートを打たせて枠外へ)。これもとても良いお手本です。


目的地の認識を持てないと、何がよくないのか? 

こちらは良くない例です。大変恐縮ですが、U-20W杯の宮代のシュートを例にさせてもらいます。50秒あたりから始まる日本の攻撃、左サイド深くで切り返した西川に対し、宮代はゴールではなく西川とボールに向かって走りシュートを打ち、ボールは上へ逸れていきました。

これは、目的地の認識がゴールではなくボールになっているため、シュートの際に体がゴールに向かず、脚をひねるようなシュートになってしまったことが原因のひとつだと思います。さきほどの湘南・菊地のゴールと比較すると、シュートを打つ前に走ったコースが対照的なのがよくわかると思います。

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ただしもちろん、宮代のような打ち方でもゴールに入ることはあるので、この話は結果論に過ぎません。彼を日常的に見ているわけではないのでわかりませんが、おそらくあのような体勢でもシュートを決める技術を持っていると思います。それでも、確率としては菊地のようなシュートの方が入る可能性が高い、ということです。


日本人は「目的地の認識」を持てないことが多く、外国人選手は持っていることが多い

この「目的地の認識」は、日本人は持っていないことが多く、逆に日本以外の外国人選手は持っていることが多いです。それこそが、Jリーグと海外サッカーの違いでもあると思います。では、その違いはなんなのか? なぜその違いが生まれるのか? ここで出てくるのが、巷を騒がせているもうひとつのワード「comeの概念」です。

少しサッカーから離れた話から説明を始めます。

・英語と日本語の視点の違い

「come」という英単語は、「来る」と訳されることが多く、その意味で記憶している人がほとんどだと思います。しかし実は、「来る」だけでは説明しきれない意味を持っているのです。これはネイティブの方がたくさんブログや記事を書いてくれているのでそれを拝借しましょう。

つまり、日本語では「行く」「来る」と、自分を基準にして表現を変えているのに対し、英語は「come」というひとつの単語に「行く」「来る」両方の意味を持たせ、目的地を基準として使い分けているのです。

例えば、誰かから呼ばれた時、日本語では「いま行くよ!」と言うのに対し、英語では「I‘m coming」と言うそうです。ちなみに、スペイン語「venir」、イタリア語「venire」など、他の諸外国語で「come」にあたる単語も、同じような意味を持っているそうです。


「come」は、英語と日本語の視点の違いをわかりやすく説明するため一例でした。もうひとつ、今度はこちらの本から例を拝借します。

第1章・第1節の中に、「昨日、学校で先生に怒られた」という文を英語に訳してみる、という問題があります。その答えは「The teacher got angry at me(先生が私を怒った)」です(ネイティブとしてはやや違和感がある表現のようですが、この本の中では日本人にすんなり入るように、あえてこの表現にしているようです)。

つまり、日本語では「私が先生に怒られた」と、自分が主語になって受け身の表現をしているのに対し、英語では「The teacher got angry at me(先生が私を怒った)」と、先生(=動作の発生源)を主語にした能動表現となっているのです。

そのあたりの視点の違いをわかりやすく紹介してくれているのがこちらのブログです。


で、何が言いたいかというと、同じ世界を見ていても言語によって認識しているものが違う、ということです。下の写真を見てみましょう。

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日本語=自分が見ている世界を基準に、行くのか、来るのか、怒られたのか、怒ったのかを使い分けている=自分の目線が基準

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英語をはじめとした多くの外国語=動作の発生源や目的地を基準に、「come」「go」なのか、「angry at me」なのかを使い分けている=第三者的に上から見たような視点が規準

話す言語によってこういった違いがあり、第三者的視点で物事を見ることができる諸外国語話者のほうが、目的地の認識を持ちやすいのです。これは実際に言語学を研究されている方々が述べていますので、よかったら読んでみてください

・comeの概念

だいぶ遠回りしましたが、ここからようやくサッカーの話に戻ります。

第三者的視点を持てる外国人選手たちは、ゴールという最大の目的地を設定し、途中にある中目的地を認識することで、そこに「come(向かう)」する感覚でプレーすることができます。

「comeの概念」のお手本のようなプレーを見てみましょう。

この時の「目的地の認識」を図にすると、このようになります。

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彼らのように大きな目的地(=ゴール)と、経由地である中目的地(=ボールを受ける場所) を認識できるのは、動作の発生源であるボールホルダーボールホルダーが目指す場所(中目的地)自分の現在地、という3点を客観的に見ることができ、ボールホルダーの視点を他の選手が共有できるから。そしてその視点は、言語によってもたらされた視点なのかもしれない、という意味です。この視点のことを「comeの概念」と呼んでいるのです。

ツイッターやインスタグラムで「#comeの概念」「#目的地の認識」と検索すれば、そのお手本動画がたくさん上がっているので、よかったら見てみてください。




と、これがここ2年ほど罵声を浴びせられ続けた成果です。現時点で僕のアウトプットはこれが精一杯なので、「まだよくわからん」という方は、これから出版する予定の本をご購入いただくか、現在全国行脚中の鬼木さんのセミナーに行くか、YJRさんの蹴り方教室へ行ってください!

今日はこんなところで。

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「目的地の認識」と「comeの概念」

中村僚(Ryo Editor)

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フリーランス編集者、ライター。サッカーや写真の本や記事をつくります。