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おばあちゃん子の登校拒否:騒動@寒村の小学校(後編)

その転機とは? その時期「転機」などという語彙を知っているはずもなく、先生や親に教えてもらったわけでもなく。物心ついてから、自分なりに考えたのですが。
それは、「絵」でした。
図画工作の時間に展覧会用の水彩画を描いたのです。私が描いたのは、犬のつもりの未確認生物。
クラスには、絵の得意なK君がいました。K君、漫画家を目指すのですから、上手いのです。
井出先生、なんとそのK君の上手な犬の絵と、私の怪奇生物の絵を展覧会に出展したのです。
すると、なんと、私の絵が、金賞を受賞。初めて先生に褒められ、親にもニコニコされたのを覚えています。芸術品など一つもない我が家の壁に、その「犬」は飾られたのです。
(なぜ、上手なK君の絵が金賞でなかったのかは、いまだに謎です。)

それからです。私は絵に目覚めた、というか好きになり、時間さえあれば、教科書や机やノートや、あらゆるところに絵をかきまくっていました。

残念ながら、その「犬」の絵は存在していません。未だ、その絵を覚えているのは、何も知らない弱虫おばあちゃん子にとっては、天変地異にも似た出来事だったのでしょう。
その「犬」のおかげで、学校にも通うようになり、先生や友達ともコミュニケーション(当時はコミュニケーションなんて言う言葉があったか不明ですが。)をとれるようになり、徐々に、世間様が言う普通の子になったような気がします。
これを一番喜んでくれたのは、おばあちゃんでした。
しかし、運動能力はゼロ。これが、次の大きな課題として、私に前に立ちはだかったのです。


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