板橋さとし

福岡県みやま市在住。県立山門高校→早稲田大学→伊藤忠商事を経て2011年4月より福岡県…

板橋さとし

福岡県みやま市在住。県立山門高校→早稲田大学→伊藤忠商事を経て2011年4月より福岡県議会議員。家族は妻、双子(♂♀)+次男。福岡県みやま市時々福岡市博多区そんな備忘録と日々の活動の記録

マガジン

  • 故郷から見たアジア太平洋戦争(福岡県みやま市遺族会)

    アジア太平洋戦争が私達の故郷にどのように関わり、過酷な環境をもたらしたのか、今一度思い起こし、その足跡を繋いでいくために、福岡県みやま市遺族会が16名の戦没遺族者が参加する討論会を開催し、内容を纏めた冊子を発行しました。 ネットを通じて、若い世代にも故郷から見たアジア太平洋戦争の記憶を繋ぐべく、みやま市遺族会の許可を頂きここに再掲いたします。 「故郷から見たアジア太平洋戦争期における想いを語り合う討論会」 令和4年4月10日・17日開催 「故郷から見たアジア太平洋戦争〜英霊の慈しみを灯し繋ぎ、恒久平和の途を共に歩む」 令和5年7月1日発行

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【自民党FUKUOKA政治塾 再始動!】

 コロナで中断していた、自民党FUKUOKA政治塾第二期生にとって3回目の講座が開催されました。  今回は新たに塾長に就任された原口剣生自民党福岡県連会長が講師を務められました。テーマは「福岡県における近年の災害と復旧・復興」。  長年県土整備常任委員を務められた豊かな見識と、近年災害が頻発している久留米地区選出の議員として、我々が聞いても大変実践的で勉強になる講座で、塾生の皆様も真剣な眼差しで耳を傾けていらっしゃいました。  次回は12月。内閣府特命担当大臣 自見はな

    • 【三部作完結 動画版「故郷から見たアジア太平洋戦争〜戦後編」】

      第二次世界大戦が故郷とどのように関わり、過酷な環境をもたらしたか、記憶を風化させないためにみやま市遺族会が開催した討論会の内容をAIナレーションで動画化。 第三弾「戦後編」です。戦争が終わっても、遺族となられた方々の苦労は一方ならぬものでした↓ 戦争の記憶を紡ぐために、多くの皆様の目に止まればと存じます 戦前編 https://youtu.be/nxuFC44BGDI 戦中編 https://youtu.be/6qXLA_AsIk8 ↓↓↓ブログ版はこちら↓↓↓

      • 【動画版「故郷から見たアジア太平洋戦争〜戦中編」公開!】

        第二次世界大戦が故郷とどのように関わり、過酷な環境をもたらしたか、記憶を風化させないためにみやま市遺族会が開催した討論会の内容をAIナレーションで動画化。 第二弾「戦中編」です。国内においても生々しい戦争の爪痕が存在することを繋いでいかねばなりません↓ 戦後編は順次公開します。ご興味のある方に拡散どうぞ宜しくお願いします🙇 戦前編 https://youtu.be/nxuFC44BGDI ↓↓↓ブログ版はこちら↓↓↓ https://note.com/itahashi

        • 【動画版「故郷から見たアジア太平洋戦争〜戦前編」公開!】

           第二次世界大戦が故郷とどのように関わり、過酷な環境をもたらしたか、記憶を風化させないためにみやま市遺族会が開催した討論会。 先日内容をブログ化しましたが、PCやスマホで文字を読むのが辛い方向けにAIナレーションを利用し、戦前・戦中・戦後に分けて3つの動画にしました。↓ 戦中編・戦後編は順次公開します。ご興味のある方に拡散どうぞ宜しくお願いします🙇 ↓↓↓ブログ版はこちら↓↓↓ https://note.com/itahashisatoshi/n/n7b4ae1ff1c

        【自民党FUKUOKA政治塾 再始動!】

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        • 故郷から見たアジア太平洋戦争(福岡県みやま市遺族会)
          13本

        記事

          PDFファイル版ダウンロードページ

          noteでは討論部分だけを公開していますが、「故郷から見たアジア太平洋戦争」冊子版をPDFファイルにしています。「付属資料」やみやま市に設置されている3つの忠霊塔の概要等を含んでおります。ご興味ある方は下記ファイルをダウンロードしてお読みください

          PDFファイル版ダウンロードページ

          故郷から見たアジア太平洋戦争 #8 「編集委員会構成メンバーからの一言」

           〇 菊次 加代子(みやま市遺族会瀬高支部役員) 今回の討論会を機に、戦争は絶対にしてはダメだと改めて認識致しました。  〇 田中 恵美子(みやま市遺族会髙田支部長) 戦争の恐ろしさや悲惨さが薄れつつある今日、私達が後世に伝えていかなければという気持ちを新たに致しました。  〇 重富 マツエ(みやま市遺族会瀬高支部女性部長) この戦争が、如何に無謀な戦いであったかということをしみじみ感じました。恒久の平和を願わずにいられません。  〇 和田 章仕 (みやま市遺族会

          故郷から見たアジア太平洋戦争 #8 「編集委員会構成メンバーからの一言」

          故郷から見たアジア太平洋戦争 #7 「はしがき・あとがき〜編集委員会 委員長 野田 力」

          編集委員会委員長 野田 カ (みやま市遺族会瀬高支部長) はしがき  この度、みやま市遺族会としましては、初めての試みとして「故郷から見たアジア太平洋戦争期における想いを語り合う討論会」を令和四年四月十日(日)及び四月十七日(日)の二日間に亘りみやま市図書館会議室において開催されました。  さて、みやま市におきましては、大河と言える矢部川の恩恵をうけている肥沃な平野を有する田園地帯で米麦・果采等の農産が盛んで、しかも交通の要衝地でもあります旧瀬高町と、主に山間・山村地帯

          故郷から見たアジア太平洋戦争 #7 「はしがき・あとがき〜編集委員会 委員長 野田 力」

          故郷から見たアジア太平洋戦争 #6 「発刊に寄せて〜みやま市遺族会 会長 野田 清」

           先の大戦が終えて、早や七八年が過ぎようとしていますが、アジア太平洋戦争が私達の故郷にどのように関わり、そして苛酷な環境に遭遇したのか、今一度、想いを起こし、その足跡を残して繋いでいくことは、極めて重要ではないでしょうか。  ところで、戦争の悲惨さや苛酷な状態を語って頂く体験者の方が、随分高齢を迎えられており、なんとか間に合ったかなと思っている次第であります。  想いを語る討論会を開催し語って頂きますと、全く知り得なかったグラマン機やB29の空爆による犠牲者や民家の焼失を

          故郷から見たアジア太平洋戦争 #6 「発刊に寄せて〜みやま市遺族会 会長 野田 清」

          故郷から見たアジア太平洋戦争 #5 「戦後をめぐる語り合い 後編」

          野田コーディネーター 伝敬寺のお寺様からのお話によりますと、終戦後まもなくして進駐軍の軍人三人が訪れ、いきなり見聞にやってきたそうです。そして、畳敷きのお御堂に土足で上がってきたが、怖くて抗議ができなかったそうです。 進駐軍との関わりはないでしょうか。 加藤パネラー 戦後いろんな噂話がありました。「アメリカ兵が女性に悪さをするそうだ。女性は山へ逃げろ!鬼畜米兵!」いろんな噂が流れましたが、実際はそうではありませんでした。 復員してきた兵隊さんから戦後に話を聞きました

          故郷から見たアジア太平洋戦争 #5 「戦後をめぐる語り合い 後編」

          故郷から見たアジア太平洋戦争 #4 「戦後をめぐる語り合い 前編」

          野田コーディネーター 私の家族のケースを申し上げますと、父の戦死後も家族としては叔父(父の弟)を含めて六人の家族構成で生活しておりました。 私が小学四年生までは、叔父には「おじちゃん」と親しく呼んでいましたところ、母が叔父との結婚で「『おじちゃん』ではなくこれからは、『お父さん』と呼べ」とのことで大変悩みました。とうとう社会人になってからやっと小さい声で最小限しか呼ぶことが出来ませんでした。 しかし、自分の結婚後は、嫁と子供達は、実の父として「お父さん」「爺ちゃん」と呼

          故郷から見たアジア太平洋戦争 #4 「戦後をめぐる語り合い 前編」

          故郷から見たアジア太平洋戦争 #3 「戦中をめぐる語り合い 後編」

          加藤パネラー 同居していたおじ(父の弟)に召集令状が来て、出征すると、当時、家には農耕の為、牛がいたが、牛の世話をする者が居なくなったため、途端に、農業が出来なくなりました。 しかし、私の父は、当時勤めていたので、生活で食べていく事には事欠かなかったようです。 私の小学生時代(戦時中)は、はきものもあまりなく、はだしで学校に皆行っており、わらぞうりを履いている人もいました。勤労奉仕にも行っていました。男の人が出征して、手のない農家へ稲刈りとか田植えなどの手伝いに行くので

          故郷から見たアジア太平洋戦争 #3 「戦中をめぐる語り合い 後編」

          故郷から見たアジア太平洋戦争 #2 「戦中をめぐる語り合い 前編」

          加藤パネラー 昭和十六年、十二月八日に家のラジオでアジア太平洋戦争の開戦を聞きました。 江口パネラー 私は、みやま市の北西部で沖の端川のほとりに居住していましたが、西方三十キロ程離れた佐賀県の諸富のところと思われる上空が火災の数百倍とも言える真っ赤な上空になっていたのを覚えています。空襲の恐ろしさを感じました。私達の上空をB29爆撃機が編隊を組んで度々飛び交っていましたので、何時も心配していました。 我が国は、物資不足で特に兵器を製造する資材が不足しているとの話が出回

          故郷から見たアジア太平洋戦争 #2 「戦中をめぐる語り合い 前編」

          故郷から見たアジア太平洋戦争 #1 「戦前をめぐる語り合い」

          野田コーディネーター 只今から討論会に入らせて頂きます。 故郷からの視点と一概に言いましても、みやま市は広範囲であり、それぞれの旧三町は、その当時、経済の営みや歴史文化・教育等を巡っても些か特色を有していたものと考えられます。 そこで。パネラー出場の方は、瀬高町が八名、山川町が三名、高田町から四名での編成登場でありますので、足元の特色を含めて故郷の状態を大いに語り合って頂きたいものであります。 また、アジア太平洋戦争を巡る討論範囲は、戦争が起きる前半と突入後から終戦ま

          故郷から見たアジア太平洋戦争 #1 「戦前をめぐる語り合い」

          故郷から見たアジア太平洋戦争〜登場者紹介

           戦争が私達の故郷にどのように関わり、過酷な環境をもたらしたのか、今一度思い起こし、その足跡を繋いでいくために、福岡県みやま市遺族会が16名の戦没遺族者が参加する討論会を開催し、内容を纏めた冊子を発行しました。  ネットを通じて、若い世代にも故郷から見たアジア太平洋戦争(大東亜戦争)の記憶を繋ぐべく、みやま市遺族会の許可を頂きここに再掲いたします。 令和4年4月10日・17日開催 「故郷から見たアジア太平洋戦争期における想いを語り合う討論会」 令和5年7月1日発行 「故郷

          故郷から見たアジア太平洋戦争〜登場者紹介

          【JAみなみ筑後 山川総合集出荷施設竣工式!】

           みやま市の名産品の一つ #山川みかん   その総合出荷施設が既存の選別設備に加えて、新たにプレ選別設備、製品プールライン、出荷設備を増設し、装いも新たに稼働します。  「プレ選別設備」が今回の目玉です。今までは各農家さんがミカンを収穫後、深夜まで掛かって家庭で大まかな選果を行った後、出荷していたのですが、これを集出荷施設で行うことが出来るようになり、家庭選別の負担が大幅に軽減されます。  この事業により、ミカン農家さんの働き方改革が進み、後継者問題などにも良い影響

          【JAみなみ筑後 山川総合集出荷施設竣工式!】

          【#岸田総理、被災視察】

          #岸田文雄 総理が急遽福岡を訪問し、先日の大雨災害で土石流が発生した #久留米市 #田主丸 を視察されました。 被災された女性が涙ながらに当時の恐怖や生活再建への不安を訴えられ、総理はじめ一同は国県市の連携で一日も早い復旧復興を目指すことをお誓い申し上げました。 また、#自民党 #福岡県連 で取りまとめた国への要望書を岸田総理直々にお渡しすることも出来ました。 服部知事、香原勝司議長、藏内勇夫自民党県議団相談役、原口剣生自民党福岡県連会長、原口新五久留米市長はじめ同行さ

          【#岸田総理、被災視察】