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和室の引き戸が閉められる

 実家は和室だった。和室の引き戸は人の心を露わにする。
 母が入る。穏やかにトンと閉められる。
 父が入る。木とガラスの揺れる音がする。
 地震のとき、頼りない木との隙間でガラスがざんざんざんと音を立てる。
 父が怒る。乱暴に出て行く。ガラスが揺れて、戸の間に隙間ができてあべこべになる。あべこべになった戸は廊下の冷たい風を通して黙っている。私と母は、戸の位置を元に戻して、少しずつ穏やかな夜に戻ろうとする。

 家を出た私には、そんな戸が少しずつ日常から離れていった。なのに。

 浅い眠りの、夢と現実の狭間、あのガラスと木が揺れる音がする。
 うちのアパートは壁が薄い。隣だろうか。いや、うちのアパートどころか隣接するどのアパートにも和室なんてない。そんな引き戸はない。なのに何日も繰り返される。
 和室の引き戸が閉められる。和室の引き戸が閉められる。

 私はそれから施設に入った。周りの建物から一つ飛び出た高さ。最上階が私の個室。もちろん全て洋室で、外で怒鳴る酔っ払いの声は聞こえても、近隣のドアや窓の音は聞こえない。

 和室の引き戸が閉められる。眠りと眠りの間の一瞬の意識。木とガラスが揺れ、あべこべになる。

 和室の引き戸が閉められる。

 認知の歪みが生み出した、和室の引き戸がまた、閉められる。

 ようやく安全な場所に来たと思ったのにな。


 これからもしばらくはきっと、和室の引き戸が閉められる。朝食の時間が告げられる。重たい身体に頓服薬で勢いをつけて、自室のドアノブを握る。

【募金箱】病人ですが演劇も被写体もこれからやっていきたいです。サポートしてくれたらもっと色々できちゃうかもしれないので、興味があれば是非。