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逃げる子どもに怯える大人

 最近、配送の仕事中や仕事帰りに小学生くらいの子どもに会うと、全力疾走で逃げられることがある。ちなみに、私は何もしていない。何もしていないどころか、むしろなるべく怖がらせないように子どもから視線を外すようにして歩いている。だが、それでも一瞬目が合うだけで一目散に逃げられてしまう。まるで警戒心の強い野良猫のようだ。


 多分、学校や家庭で、知らない若い男がいたら逃げろ、みたいな教育を受けているのだろう。あるいは私の顔が怖いのか、それとも不審者だと思われるような雰囲気を私が出してしまっているのか‥
 まあ、私のことは置いておくとして、個人的には少しでも怪しい奴だと思ったら逃げる、という行為はあまり良い判断だとは思えない。
 例えば、子どもが全力で走ろうが大人の足の速さには勝てないし、怖そうな見ための男が子どもを逃げさせて、走り疲れたところを別の誘拐犯が待ち構えていれば簡単に誘拐できてしまう。
 
 それに、普段から目が合うだけで逃げるような子どもを見ている大人が、はたして怪我や迷子になって困っている子どもを助けにいけるのだろうか、という疑問もある。
 正直、、私は子どもの方から助けを求められない限り、自分から助けに行ける自信がない。理由は自分が良かれと思って声をかけても、顔を見ただけで逃げだすような子どもたちが、その助けを受け入れられるとは思えないからだ。
 仮に声をかけた途端、泣き出されでもしたら‥私の人生は終わりだ。口下手な私が集まってきた大人に対して上手く弁解できるとは思えない。
 もちろん命に関わることならそんなことを言ってられないので、助けるつもりではあるが、声をかけるだけなのに、そのリスクがあまりにも高すぎてすごく怖い。


 ところで少し話は変わるが、山ではすれ違う人達に挨拶をするという習慣がある。理由は自分が遭難した時の備えとして、顔を覚えてもらうためだ。

 私個人としては少しでも怪しい奴を見かけたら逃げろという教えより、前述した山登りの習慣のように、道行く人達に元気に挨拶をしろ、という教えの方が誘拐防止の効果があるように思える。

 まず、大きい声をだされると人は怯むし、目立つことになるから、やましい気持ちがある人は中々近づけなくなると思う。
 それに、近所の人達に顔を覚えてもらえるから、何かあったときに助けてもらいやすくなる。
 こちらの誘拐防止策のほうが効果があるように感じるのだが、そう思うのは私だけだろうか?


 最後に、これから先の将来、今以上に挨拶もろくにできない社会人が大量に発生すると思う。
 その理由は、子どもの頃は知らない人に声をかけてはいけないと教えられるのに、大人になったら急に初対面の相手でも自分から積極的に声をかけないと怒られることになるからだ。
 こんな真逆のことをいきなり言われたら、絶対に適応力のない人間は混乱して人間関係が上手くいかなくなる。


 だから、iPadなんぞを1人1台授業で用意できる金があるなら、その金で定年退職した高齢者を雇って登下校の見回りを増やしたり、学校の授業を通して外部の人間との関わりを増やした方が子どもの将来のためになると思う。


 人間として生きている限り、人との関わりは避けては通れない。
 私自身、学生の頃に人と関わることを避けてきたせいで、社会人になってからコミュニケーションが上手くとれなくて苦労した。
 できれば後世の子どもたちには、私のような苦労を抱え込まないように、学生の頃に多くの人と関わってから社会人になってほしいと思う。

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