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幻覚セレナーデを

21世紀に生まれたからにはいろんな創作活動がやりたくて、ちまちまと絵を描いたり小説を書いたり映像を作ったりして生きてきた。しかし唯一形にできなかったのが音楽である。音楽だけには、どうしても指が馴染んでくれない、未だに。

無謀にも、電子ピアノを買って練習しようとしたこと、ボカロPに憧れてDTMソフトをインストールしたこと、UTAUカバーを作ろうとしたこと、歌詞を書こうとしたこと等、音楽に触ろうと足掻いてきて、その痕跡はわたしの部屋やパソコンのあちこちに残って、化石のように眠っている。
如何せん忍耐力が無いため、一日で進捗の見えない作業にはすぐ飽きてやめてしまった。何を創りたいとか表現したいという考えも、とくに持ってはいなかった。それで怠惰なわたしの手が動くわけがないだろう。もっと、どうしても自分のために必要なものを、どうしても自分にしか作れないと確信した瞬間にしか、わたしの手は動かない。そんな日はもう長らく訪れていない。

2年前である2022年のさらに3年前に購入した電子ピアノを、クローゼットから引き摺りだして練習していた時期が(3日だけ)ある。楽譜が読めないため、YouTubeでヒットしたピアノロールの動画を0.5倍速にして凝視しながら弾いた。手のサイズがちいさすぎて、鍵盤から鍵盤までの距離が果てしなく遠く感じる。右手しか動かなかった。これでも幼少期はピアノを習っていたのに。

そのときは、ひたすら譜面を追って指を動かしていると無心になれた。料理がストレス発散になるとよく聞くが、それと同じような効果を感じた。手を動かす、という行為が単純に気持ちいい。原始的な落ち着きを取り戻せると思った。
しかし結局続かなかった。幼少期にも、ピアノのお稽古を受けるのが嫌で何度も失踪したので、向いてないといえば向いてないのだろう。

おぼろげに、ピアノの発表会のことを思い出す。小学1年生と2年生で2回出た。
ホールの重厚な扉を開けて、踵の高い銀色のきらきらした靴を履いて、舞台の上で花束を貰ったのを覚えている。プライドの高い子供だったので、人に教わるのが嫌いだった。発表会に着る服を選ぶとき、白地に青色の花柄が入ったワンピースを選んだら、センスがいいと褒められて、そのときからずっと青色が好きだ。
舞台の上では、自分の意識が消えて、「体」だけで動いている気がした。足が踏み出すまま、指が奏でるままに任せ、何も感じないで演奏した。きっと、舞台に立つ仕事をしている人はずっとこの心地を味わっているのではないかな。ライブをするアイドルも、バッターボックスに入る野球選手も。

あの発表会で、見知らぬ男の子がクラシックを演奏した。わたしがその曲をひどく気に入ったので、見かねた保護者が、帰り道に6枚構成のCDをわたしに買ってくれた。初めて手にした「自分のCD」が、その、小澤征爾の『ベスト101』である。6歳の手には重たいCDだった。当時は朝も昼も、ひいては入浴するときまで流していた気に入りの一曲が一体どれなのか、今はもう分からない。大人になってから、ちゃんと端から端まで探して聴いたのに思い出せなかった。
今のわたしはチャイコフスキーの弦楽セレナーデがいちばん好きだ。でも昔のわたしは違うのだ。今もまだ、ホールの席から舞台を見下ろして聴き惚れたあのときの感動だけが、体の中で独り歩きしている。今後もその正体を暴くことは難しい。幻覚のセレナーデである。

もっと電子ピアノを練習して、楽譜も読めるようになって、いつか弦楽セレナーデを弾きたいと思っていた。しかしまたピアノを化石にしてしまったので、もう進展することはないだろうと思い、老後の趣味で楽器をやっている祖父の家に送ってしまった。
祖父の家にはもう一つ、艶のある深い飴色をした、大きくて美しいピアノがある。母のピアノだったと思う。あれでいつか「自分の曲」を弾きたい。最近のわたしはそう思う。

自分の曲を作ってみたい理由はたくさんある。表現者に憧れる。わたしの言葉に共感する人がいるのか、いないのか、試してみたい。自分の生きた人生を、言葉を、覗き込んで取り出し、自分を肉付けするように歌を作りたい。

そう思って、とりあえず実践しなくちゃならないと思って一度メロディーを打とうとしたら、好きな曲を継ぎ接ぎにしたキメラになった。歌詞を書こうとしたら、わたしと同じような考えはもう歌い尽くされていて、わたしが書くべき言葉は残っていなかった。
そう思いながらも、もう誰かに歌い尽くされてしまったと感じながらも、まだ自分の奥で燻っている部分がいくつもある。そこに辿り着きたい。歌い尽くされた言葉の山を掻き分けて、まだ形を持っていない「わたし」を探し出す作業に没頭したい。そこにほんとのわたしが眠っているかもしれない。

曲作りはじぶんさがし。そう考えたら、初めて明確な目的を見つけられた気がする。これがうまく進んでちゃんと現実と噛み合ったら、いつかだれかに聞いてもらいたい。展望である。

(2022/7/22の記事を改稿)

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