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あの

願わくば花の下にて春死なん ?? 如月の望月のころ

ふと思い出したときに「その」だったか「あの」だったか迷った。
あのだと現代的すぎるから、そのだよな。あるとしても「かの」であってあのではないだろう。
でもなぜ「あの」だと現代的なんだ?
此の、其の、彼の、何の。此方、其方、彼方、何方。彼だから「か」だ。
いや「あ」どっから来てん。

新潮国語辞典より。
「彼の(あの)」 竹取
「彼の(かの)」 万葉集(一四・三五六五)
引用元を見るとやっぱり「あの」はひらがなと一緒にあらわれた感じがしてしまう。どっちにしろ「あの=現代的」って私の感覚は頭おかしいが。

よく考えたらあなたとそなたって意味が被ってる。なのに彼方を乗っ取ってあなたと読ませる。せめて其方をあなたって読めばいいのに。
どうせ。どうせね。「そ→あ」に変えると音の響きが違いすぎて自然に遷移できないから「カとアは似てるしこっちにしよう。彼方はかなたであり、あなたでもある。でもあなたの意味はそなた」ってなったんだろ。
日本語っていっつもそう!!!! 仕事が雑!!!
そのくせ細かいことぐちゃぐちゃうるせえ!!!!

あと歌を引っ張ってくるのに検索したら下の読みが「した」か「もと」かで揉めてた。いや揉めてはいない。嘘つきました。
「俺はもとって読むのにNHKのアナウンサーがしたって読んでた。日本人としての言語感覚を疑う。俺はもとって読むのに」ってブチきれてる人がいただけです。
「した」とする古典にもいちいちブチきれるのかな。大変っすね。

したorもとの議論は確かにあるらしい。どっちでもよくね。

どっちでも意味が通じるんだから一緒だよってのが大前提として、個人的な好みなら「した」だな。
ナノシタニテシナム ナノモトニテルシナム
「もと」は音がずれてて気持ち悪い。私の日本人としての言語感覚が気持ち悪いと言ってます。
韻を踏めてない。ソノキサラキノモチツキノコロと続きを見ても母音を揃えてるし、A主体の前半にOの母音を突っ込むとは思えない。
詞としても、この花って桜じゃなくて梅でしょ。桜だったら「本」かもしれんが梅の下で死ぬなら「した」だろう。
でもWikipediaに桜って書いてるわ。桜とする根拠が書いてないから信用に値しないが。如月だから梅と解説していた文章のほうがまだ信用できる。

あと「願わくばじゃなくて願はくはですよ」と聞いてもないのに言ってる人がいて、私は性格がねじまがっているのでそれを見て冒頭を「願わくば」に書き直しておいた。
如月や望月は「キサラギ」「モチヅキ」と読みながら書いてるじゃん。だったら願はくはを音に従って「願わくば(願わくは)」と書くのもべつにいいだろ。
正しいとかいう主張のもと「願はくは」に訂正するなら一貫性を持って「ねかはくははなのしたにてはるしなんそのきさらきのもちつきのころ」って書けよ。
「ねか→願」の変換は許容して「はくは→わくば」に変換するのは不可とする。説得力がない。

先生が言ってたもんじゃなくておまえのセンスで話せよ。
「ぼく『願わくば』だと気持ち悪いから『願はくは』のほうがすき!」って言えばいいじゃん。「ふーん、あっそ」って答えてあげるから。

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