生きながらブルースに葬られ

4月半ばにあった猛烈な死にたさについて、そこそこ考えがまとまったが、書いてていやになっちゃった。

私は二度と生活保護を受けたくない。障害者手帳も破棄したい。人間社会を凝縮した役所という場所に関わりたくない。でも生きている限り逃げられないのは分かっている。
心療内科にも二度と行きたくない。薬は効果がある。それなりに怒りも笑いもして生体反応はあって、感情を発露するほどの気力はなく、ずっと平坦に苦しんでいるのは楽といえば楽だった。
母の治療が終わって緩和ケアに移っても、死んだと聞かされても、なんにも感じなかった。動揺しなかった。大体、母を施設に送ってから三年経っていることすら分かってなかった。

今年に入って一月のいつだったか、外出の準備が終わってあとは立ち上がるだけというところで役所に行けなかった。(自立支援の更新手続きをしに行こうとしていた)
母の手術費用がなくて生活保護を受給するため、私が働きたくても働けない社会的弱者であることを証明するために通院していたのであって、もはや行く理由がなかった。
私は人と接することができなくて学校も仕事も断念した。通院は私にとって、金もらっても続けられなかったことを金払って行うという意味不明な行為だ。
何度薬を変えても眠れなかったが、もう役所にも病院も行かなくていいとなると薬がなくても眠れるようになった。夜眠くなるようになった。

この三年間はYouTubeを見ていて、病院に行くのをやめた頃からなんかあるYoutuberがめちゃくちゃ好き?になったような感じがした。関係ないがユーチューバーの表記がYouTuberじゃなくて全部小文字なのは納得いかない。
特に面白いとも思わないのに、なんだったらわりと深刻に嫌いな部分もあるのに、やたら好きの感情が大きい気がして、これはガチ恋とかいうやつなのかと思った。
リアルイベントがあって、金がなければ参加できないタイプの大きなイベントだったのだが、行けるひとが羨ましい気がした。気がしたけれども、我に返ってしまった。
いや行きたくなくね? 好きの対象と接触するのめちゃくちゃ嫌じゃん。コンサート終わりの握手会とかイベントの撮影会とか今までそういうの心底無理で全部避けてきたのに。
よく考えたらやっぱり嫌だった。絶対に接触しないからこそ好きでいられるのであって、YouTubeに自分のコメントを残すことさえ不愉快になるのにリアルイベントなんてもん行きたいわけがなかった。

よく考えすぎて、嫌いの感情もやたら大きい気がして、あらゆることが耐えられないくらい嫌に思えた。
小学生のときに決めた自力で死ぬならこのタイミング、という予定とは違ったが、生きることのストレスが大きすぎ、待てなくて具体的な方法を実行しようとした。
同じ衝動は母が自宅にいた頃にも一度あって、そのときは母のケアマネジャーさんのサポートがあり短期入院の処置をとった。退院後も状況が改善されなかったので母は施設に入った。
このままなら成功するなあと思いつつ、父を犯罪者にはしたくないし、ここで楽になっていいなら今まで耐えた意味がないのも分かっていたので、数日かけて制止した。
ろくに(私が)会話できなくなっていた父とも話すようになり、母のことも聞けるように、聞こうという気持ちが戻ってきて、やっと悲しくなったのが先月だった。

たぶん、薬はよく効いていた。コントロールできる程度に感情を抑制されて、振り回されるようなことはなかった。
病院に行くのをやめて、薬が切れて、久しぶりに自分の感情と向き合って、好きとか嫌いとかの大きさにびっくりしたのだと思う。経験したことがないほど大きいように感じてしまったんだと思う。
実際そんなでもなかったのに。
前述のYoutuberさんも、今も普通に好きだがそこまで熱心ではなく他と同じ程度の好きに留まっている。というか最近YouTube自体見てないので何してるか知らない。動画ってコンテンツはもともとそんなに好んでなかった。

昔から本当に好きで好きでたまらないものなんかを思い出して「この好きはこの程度で合ってる」と自分で納得がいった。
耐えられないように思えた嫌悪も「この程度だったな」と。今まで嫌悪しながら耐えてきたことを思い出した。耐えられる程度だってことを。
薬がなくてもコントロールしてたことを思い出した。

私は本来セルフケアできていて、不登校になったときも働けなくなったときも両親は病院に連れて行くことはせず理解を示してくれた。できないことは多かったが、できないなりの生活をしていた。
人と話すこと自体が負担である以上、病院や役所に通う生活は精神状態を悪化させるだけで、適切な処置ではなかった。
癌・手術・闘病・介護という諸々の問題に直面して“できないなりの生活”が立ち行かなくなって、仕事をする代わりに病院と役所に通うしか生きる手段がなかっただけだ。
本当に生きたいのか、それとも安らかになりたいのか。考えることさえ許されなかった。

書ききれないほど思うことがたくさんあるが、もう書きたくないので書かないことにする。

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