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【第1回】IPO大賞受賞記念講演「IPOへの道のりと、これからのアイスタイル」

※この記事は2017年3月に取材した内容です。

2017年3月16日、アイスタイルは、東京ニュービジネス協議会が主催する「第11回IPO大賞」のグロース部門を受賞しました!IPO大賞は、「新規株式の上場で日本経済の活性化に貢献している、或いは牽引役となっている企業を顕彰することにより、その意義を世間に広報すると共に、ニュービジネスやベンチャー企業の振興と育成に寄与すること」を目的に2006年に創設されたアワードです。

上場したばかりの成長著しい企業に贈られる「ルーキー部門」と、今回アイスタイルが受賞した、株式上場後4年経過し、企業として拡大発展し日本経済活性化の牽引役を担う新たなビジネスモデルのベンチャー企業に贈「グロース部門」の2つの部門賞が設けられています。

授賞式の場で、記念講演として代表取締役 兼 CEOの吉松がIPOに至るまでの道のりや、これからのアイスタイルが目指すべき姿。そして、今後起業を目指す方へのメッセージなどをお話しさせていただきました。

本記事はその記念講演の内容の書き起こしとなります。全5回の連載でお届けします。


1.IPO大賞を受賞して

アイスタイルの吉松です。よろしくお願いいたします。

(同賞のルーキー部門を受賞した農業総合研究所及川社長の講演を受けて)いまの及川社長の情熱いっぱいのお話しをお聞きして、なんだか自分の講演も終わっちゃったような感じがしちゃっています(会場笑)。お話を聞けば聞くほど及川社長と僕の通ってきた道ってすごく似てるなーと思いながらお話きかせてもらいました。年齢も僕も今44歳で非常に近いですし、同じような局面をどうくぐってきたか…というのは私の方でもお話させていただければと思います。

さて。改めて、今回IPO大賞いただいて非常にうれしく思っております。
実はですね、ここにいる方もあまりご存知ないかと思うのですが、私がこのニュービジネス協議会から賞をいただくのは2回目になります。1999年にアットコスメというサービスを作る前にビジネスプランを書きまして、実はこのニュービジネス協議会主催のビジネスコンテストで優秀賞をいただいてます。

当時出したプランは、「Market Reputation DB」。いわゆるクチコミデータベースを活用したコスメティックコミュニティ―ポータルの実現。今のアットコスメそのままです。今から18年前に僕を表彰してくださった方、先見の明があったと思います。それを実現した俺はもっとすごいだろうと思っています(会場笑)。

なかなかビジネスプランをつくって、それがそのままうまくいくのは難しい場合も多いのですが、先ほど及川社長のお話しにもあったように、情熱というか必ずこうなるんだという想いをもってこの18年間やってまいりました。

2.自己紹介

会社の紹介をさせていただく前に、まず簡単に僕の自己紹介をしていきたいと思います。僕が生まれたのは1972年です。時代でいえば第二次ベビーブーム団塊ジュニアという世代でございます。子供が一番多かった時ですね。

生まれ育ちは茨城県の潮来というところでございます。鹿島アントラーズの本拠地の鹿嶋市の隣町です。小学校時代は潮来の水田、田んぼの中で育ち、そして中学高校は住友金属という会社に勤めていた父親の転勤について、千葉の市川学園という男子校で6年間過ごしました。

大学は東京理科大学なんですけれども、僕が入ったのは1年間北海道で寮生活を送るという不思議な基礎工学部というとこで、1年間北海道の長万部というところに隔離され、戻ってきたら今度は千葉の野田のキャンパスで。まぁ、東京とはどこにいったもんかいう感じで、大学時代もひたすら田舎育ちでした。専門は生物工学です。先ほどの及川社長は農学部のご出身ということでしたが、実は私も大学時代はいわゆるバイオをやっておりまして、がん細胞をたくさん飼ってました。

で、研究をやってみての僕の感想は「これを仕事にしていくのはちょっと辛いなあ」ということだったんですけれども、じゃあ就職活動をしようにも、大学の推薦もっていれば誰でも就職できるという時代が少し前まで続いてましたから、理系の大学に就職課というものはほとんどなくて。しかも当時はインターネットもないわけです。どうしたらいいかわからない。とりあえず、リクルートさんから来たはがきの束を見て、申込みをして、会社説明会に行って話を聞きました。行ったはいいけど「今年の採用0人です」、みたいなのも結構ありましたね。95年っていうのは就職氷河期1年目で、いろんな会社の採用人数0人になった年で、翌年に山一証券がつぶれ……という時でした。

で、私自身もいろいろ悩んでここで人生のターニングポイントを迎えました。

実は私、就職浪人をしています。もちろん内定もいただきました。内定もいただいたんですけれども、どうしても違和感が拭えなくて、結局辞退してしまった。ところで、95年というのは就職氷河期であると同時に、もう一つエポックメイキングなことがあった年でもありました。Windows95が出たんです。私もこの時に初めてパソコンに触れて、これで世の中変わっていく感じがしました。その何かが変わっていく時代にどんな会社で働きたいかと考えてシステムコンサルティング会社の、アンダーセンコンサルティング、今でいうアクセンチュアで社会人の一歩を踏み出しました。

今でこそ随分有名な会社になりましたが、当時は、研究室の教授でさえ知らなかったですからね。親ももちろん知りませんでした。当時コンサルティングファームは日本に9社しかなくて、非常にマイナーな業界でした。ある意味ベンチャー業界的な匂いがあって、たぶん、だからこそ僕はここを選んだんだと思います。そこに行きまして3年ぐらいお世話になった後に、第2のターニングポイントが出てくるわけです。

3.創業

1999年。ここでアイスタイルを創業するわけです。僕自身創業するなんて思っていませんでした。ちょうど社会人の3年目で、1年目2年目に必死に仕事をして、3年目でようやくこの会社でがんばっていけるかなっていう感触をなんとなく持てて、先輩が何をしてるかが見えてきて……というところでしたから。

ですけれども、1999年ってインターネットがばーっと広がり始めた年なんですね。で、コンサルティングしていてクライアントから何を聞かれるかというと「インターネットで何が変わるの?」ってことなわけです。その次に聞かれるのが「それで僕の会社はよくなるの?」ってこと。「インターネット」を「AI」に変えると、その時の感覚がわかってもらえるかなって思います。今は「AIってなんなの?」って質問されるわけですよ。「AIでぼくの会社どうなるの?」って。AIって1つの会社がどうというより、社会の仕組みが変わっていく大きな変化じゃないですか。

ところがコンサルティング会社というのはなかなか難しくてですね、これから世の中の仕組みが変わっていくのに、目の目のクライアント1社のお手伝いしかできないんですね。クライアントさんに対して自分の時間と知識を提供して、それでお金をいただく。あくまでそれがコンサルタントの仕事です。

インターネットが世界を変えていくんだという実感のなかで、アットコスメっていうビジネスプランがぱっと浮かんだ。それで最初、僕はアクセンチュアの上司に相談したんです。そうしたら、「確かに面白いね、クチコミをデータベース化していくなんて面白いじゃないか。でも誰からお金をもらうの?」と。それで、これをできる会社を探したんです。もうこれ今でも覚えてます。1999年5月です。ゴールデンウイーク中に事業計画書を書いてゴールデンウイーク明けに上司に相談した。いろいろ探してもクライアントになってくれるような会社がない。

この時に僕は確信したんです。「あ、そうだよね、新しいビジネスモデルだからやってる会社がないんだ。だったらこれをビジネスとしてやる価値あるよね」って。実はその時ちょうど、親から結婚資金のために借りた400万が目の前にあったんですよ。当時は今みたいに1円起業できないです。株式会社100万、有限会社300万必要な時代で。で、思っちゃった。「神様が俺に会社を作れって言ってるんだな」って。そこでパートナーに相談してですね、結婚資金の300万で有限会社をつくり、スタートしたのがこのアイスタイルという会社です。

親族からは、「これからどうやって食べてくの」みたいな感じで泣かれちゃったり、心配されたんですけれども。僕からすると、これからいろんなことが変わっていく時代なんだし、ノーリスクだなと思ったわけです。コンサルティング会社で6年間働くのと、3年働いて起業して3年やるのとどっちの方が自分のバリューが高くなるか。結果はどうあれ絶対起業だろうって。だから、なんでみんなそんなに心配するのか僕にはよくわからないまま、アイスタイルはスタートしました。


『IPO大賞受賞記念講演「起業からIPOへの道のりと、これからのアイスタイル」』第2回はこちらをご覧ください。