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狂気~狩野山雪とヒエロニムス・ボス

 昨年末、大学の日本画の講義で、狩野派を中心に学んだ。その時、ふと思ったことです。

 狩野山雪は、狩野山楽の養子・娘婿で、京狩野派である。狩野永徳の高弟であった狩野山楽は、戦国時代は豊臣家に仕え、徳川家に政権が移ると山楽は一時山に身を潜めたが、のちに徳川家にか許され再び狩野派の一員として画作に従事する。しかし、江戸幕府の御用絵師として取り立てられることはなく、代々京都にあって、狩野派の外様のような立場であった。この山楽の家系を京狩野という。

 山雪も、江戸狩野とは距離を置き、京の地で自らの絵画世界をひたすら追求する学者肌の絵師で、山楽の濃厚な画風をより深めていく。山雪は、養父山楽の巨名にかくれて、従来はあまり目立たない存在であったが、近年、土井次義氏により、その特徴ある個性的作風を手掛かりに山楽筆と言い伝えられていた京都周辺の障壁画や屏風などのなかに、かなり山雪筆が認められることが明らかにされた。山雪の絵の特徴としてあげられるのが、山雪は古典を研究し、幾何学的な造形美を好み、人工的な仮構を作り上げ、現実にはあり得ない直線の巨木や幾何学的配置の鳥の群れなどを描いている。

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私は若い頃、3年ばかりルクセンブルグに住んでいた。絵画をみることは、それまで、まったく興味がなかったのだが、ヨーロッパの有名な美術館に物見遊山で行き始め、迫力満載の絵画たちを目の前にし、のめり込むようになった。ゴッホの晩年の荒れ狂うようなタッチ、近くでみるとなんだかわからないモネの睡蓮、日本の美術の教科書にあるありとあらゆる有名な絵画を観てまわった。だが、日本画については、つい最近まで正直あまり興味がなく、特に掛け軸や墨絵など暗いという印象しかなかった。それが、日本画も面白いと思い始めたのは、まずは極彩色豊かな伊藤若冲の絵からだった。それから尾形光琳、俵屋宗達と琳派の絵に興味を持ち、その構図や余白の使い方に興味をもった。
今回の講義で一番、私の注意を引いたのが狩野山雪であった。特に《雪汀水禽図屏風》を見たときに、オランダのヒエロニムス・ボスの《快楽の園》は脳裏に浮かんだ。なぜ、そうなったのか考えてみた。

 まずどちらの絵も観たときに出てきた印象が「狂気」であった。ボスの《快楽の園》はこの世のものを描いたものではない。実際にはいない幻想的な複合動物のようなものや特大の果実、裸の人間たちのさまざまな姿が描かれ、見るからに狂気の沙汰のような絵である。それに比べて、山雪の絵は、一見そこまでの感じはしない。飛んでいる鳥にしろ、木にしろ、それぞれは現実にあるものである。が、しかし、山雪の絵は見れば見ていくほどにその怪しさをしみじみと感じるようになる。現実にはあり得ない直角に曲がり直線にのびていく木、また月に対して飛んでいく鳥の群れはあまりに幾何学的であり、現実的ではない。幻想的でなにか怪しさを感じる。この世のものではない未知のものに対して、人は恐怖を感じる。それはボスの絵にしても山雪の絵にしても共通していえることである。また、絵の中に直接的に人間の狂気を表現したボスに対し、山雪の絵は人間が登場していない。自然の風景を描いているのだが、それが普通のようで普通でない。なにかが少しずつ狂っているような、ひたひたとせまってくる狂気、静寂の狂気を感じる。
山雪は、たぶん狂気を描いたわけではないだろう。しかし、この幾何学的線を多用した絵画は非常に非現実的であり、一般人が想像できる想定の範囲外である。そういったものは人を不安にさせるし、また魅了もさせる。

ISSUI  UMEDA   梅田 一穂
華道造形インスタレーションアーティスト
花道家 古流清光会師範 
HP; https://issui-umeda.crayonsite.com



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