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「小中連携」のあり方を見直すべき

 「小中連携」―小学校と中学校の教員として働く者にとっては馴染みのある言葉ですが、はっきりと申し上げて「双方にとって苦痛な時間である」と率直な意見を述べることに、賛同してくれる教員の方が多いと思います。これも例のごとく「行政の現場感覚の欠如」から起きる問題です。
 「小中連携」というのは、小学校から中学校へと進学する過程において生じる環境の変化に不適応を起こすことで生じるとされる様々な現象、いわゆる「中1ギャップ」に対応するために始められた取り組みです。
 「中1ギャップ」は、一般的に次のように説明されます。

 中1ギャップとは小学生が新中1生となったときに、学校生活や授業のやり方が今までとまったく違うため、新しい環境(学習・生活・人間関係)になじめないことから不登校となったり、いじめが急増したりするなどいろいろな問題が出てくる現象のことです。(https://benesse.jp/kyouiku/201111/20111122-2.html)

 しかし実際には、この「中1ギャップ」が本当に実態に即した表現なのかということは疑わしく、文部科学省が所轄する「国立教育政策研究所」『「中 1 ギャップ」の真実』(平成 26年4月)と題したリーフレットを発行して、「多くの問題が顕在化するのは中学校段階からだとしても、実は小学校段階から問題が始まっている」と指摘しています。
 さらに、その上で「便利な用語を安易に用いることで思考を停止し、根拠を確認しないままの議論を進めたり広めたりしてはならない。」と鋭い言葉で警鐘を鳴らしています。行政サイドの報告書としては稀有な現場感覚が発揮された提言が随所にちりばめられています。

 実際に現場の感覚としても、同じ意識を持っています。よく考えて書かれたリーフレットであるため、引き続き引用したいと思います。

 「ギャップ」 という表現が安易に用いられていることで、小6から中1に至る過程に大きな「壁」や「ハードル」が存在し、それが問題を引き起こしているかのようなイメージを抱きがちです。しかし、多くの問題が顕在化するのは中学校段階からだとしても、実は小学校段階から問題が始まっている場合が少なくありません。
 家庭や地域の教育力の低下もあって、小学校が抱える問題は従来と比べものにならないほど増えてきたと言えるでしょう。その結果、小学校段階で予兆が見えていたり顕在化し始めていたりする問題であっても、対応できなかったり解決できなかったりという「積み残し」や「先送り」が増えています。一方、中学校でも、そうした小学校の状況を十分に把握しないまま、あたかも中1をスタートラインにできるかのような昔のイメージを脱し切れていない学校が多いのではないでしょうか。
 「中 1 ギャップ」 の語は、(中略)その語感から、中1になる段階で突然何かが起きるかのようなイメージや、学校制度の違いという外的要因が種々の問題の主原因であるかのようなイメージを抱くと、問題の本質や所在を見誤り、間違った対応をしかねません。
 便利な用語を用いることで、目の前で起きている問題を理解した気になってはなりません。実際に何が起きているのかを冷静に捉えることから始めましょう。

 小学校段階での「積み残し」や「先送り」が中学校で顕在化する、まさにその通りです。

 しかし、実際に小中連携と称して何をやっているかというと、小学校と中学校の教員が互いの授業を見学しあった後、協議会を開催して意見を述べ合うという「授業参観による意見交流」なのです。ここまでしっかりと現場の実情を捉えている報告書があるにもかかわらず、全く活用されないのはいったいどういうことなのでしょうか。

 不登校やいじめ、不適応行動といった生活指導上の問題に対して、学習指導の接続という側面からアプローチするというのが小中連携の場で行われている実態ですが、この方向性が現場をミスリードしていることを、おそらく大多数の現場の教員は理解していると思われます。しかし、教員の多くは、その費用対効果に見合わないことを感じていても、慣例化していることに対して公然と異を唱えようとはしません。近しい間柄の中では不平不満を述べあったりはしても、年に何回かの、一回につき約2、3時間程度の異校種間交流会です。当たり障りのない、茶番のような小中の教員同士のやり取りに我慢して時間をやり過ごしたあとは、そのまま直帰でもすればいい。とにかく耐え忍んでいれば済むわけですから、あえて波風を立てて場の空気を乱そうなどとはしないというスタンスが、学校現場にはびこる現状維持のメカニズムの表れです。

 しかし、本当に必要な小中の連携というのは、学習指導の接続の仕方ではないということはおそらく多くの教員(とりわけ中学校教員)はわかっています。たとえば中学校3年生の授業を受け持つ教員が、小学校3年生の授業を見ても、参考になることはほとんどありません。逆もまた然りです。
 それでも、一応は建前上、お互いに参考になりましたと言って相手を尊重するような評価を送りあい、また、適度に今後の互いの課題も述べあうという形をとり、あたかも有意義な場であったかのような印象だけを残して解散します。
 果たして、翌日以降の相互の授業に何らの影響も与えないまま時間は過ぎ去り、やがてまた小中連携の日を迎えて同じようなやり取りを再現するばかりです。
 本心では、中学校3年生だからあんな指示の出し方でも理解して取り組めるのだ、小学校3年生だからあんな幼稚な活動が成り立つのだとお互いに思っているのですが。

 「中1ギャップ」に対する施策という観点に立ち返るならば、生活指導上の問題を共有することが本来求められていることだと思います。たとえば家庭環境の問題、発達障害の疑い、そういった情報を中学入学前に密に情報交換し、同一児童の情報を経年的、累積的に蓄積していきながら、中学入学に際して円滑なスタートを切らせ、また家庭への働きかけのあり方など含めて入学後のサポート体制を構築していくこと、こそが本当の意味での小中連携だと思います。

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