惡 魔 派 (三)
◇彼は忠告とも思出ともつかぬこ
とを獨りで饒舌り乍ら、私がこの
話にどんな興味を起してゐるかと
いふことを私の顔から探しだすか
のやうにじつと私の眼を凝視てゐ
たのです。私は彼の話について、
彼の指す方に眼を轉じなければな
らなかつたのです。
◇成程、彼方には彼の云ふやうに
一人の美しい女が、恐らく乳の邊
から上を露はして向ふむきになつ
てゐるのです。薄綾か羽二重かの
白い夏の肌着は斜め上に彼女の胸
の邊をくぐつて、ギュッと彼女の
ぼた/\とした肉に喰ひ込んでゐ
ます。彼女の皮膚そのものゝ持つ、
滑つこい光澤のある白さは、晝光
燭の電灯の反射を吸ひこんで、ピ
ク/\とうごめくたびに水晶の美
しさを見せてゐるのです。
◇琴を彈く肉体の動きはつや/\
した大きな餅の肌を手でもむ時に
みるやうな壯麗な、白色の波のう
ねりを思はせます。私は女の裸体
をぢか/\にゐるときには滅多に
自分の官能のどこかに熱い血の流
れを感じることはなかつたのです
かへつて厚着ですつかり肉体を包
みかくす冬の日の女に對してゐる
ときはいろ/\な幻想がムク/\
とわき上つて、私を息ぐるしくす
るのを感じるといつた風な男だつ
たのです。
◇が、その夜、彼女の背のまるみ
や、たまらない芳醇な匂をさへ鼻
のさきにちらつかして來るかのや
うな女の肌の輝かしさをみつめて
ゐる中に、ぶる/\と、血管がふ
る江て來るのをどうすることも出
來なかつたのです。私は心の中で
ひそかに、私の女に對する官能の
觸手の方向が、漸く變つて來たの
だナと感じたほどです。
◇「西條みどりといふ女なら、前に
二三度舞臺で見たことがありま
す。大分Y市では評判がよかつ
たやうですネ。然し、彼女が外
國人のパトロンを持つたのなら
どうして、あんな、ガサツな、汚
ない日本家になんかゐるんです
かネ?」
彼は私が、彼の思ひ通りに、そ
の話にひき込まれてゆくのや、じ
つと、いつまでも女の座つてゐる
明るい室の方へ眼を注いでゐるさ
まやが、さも氣に入つたといふ風
に、身体をゆすぶり乍ら、
「君は仲々話せるネ。あれはネ、彼
女の義理の母親の家なんだよ。
彼女はそこでお化粧をしたり、
着物を着替へたりしては、パト
ロンと、どつかへ密會に行くと
いふ話だがネ。」と愉快さうに話
すのです。
◇「あなたは又、仲々そんなこと
に詳しいぢやありませんか。殊
によると、あなたも誰れかのパト
ロンの一人なのぢやありません
か?」
「いやいや、どうして、女優のパト
ロンになるには大變な資格が必
要なんだからネ。第一にいくら
使つても盡きない金サ。それか
ら土嗅くない美貌サ。それから
もつと大切なのは、嫉妬を抑へ
つける根氣をもつてゐることだ
よ。・・僕には、その一つだつて
持合せてゐないんだから駄目サ
僕はソラ君も今日會つて知つて
ゐるだらう、あのAネ、あの男
から訊いたんだよ。あの男は、
矢張りA座に今出てゐる室町み
ゆきといふ女のパトロンなんだ
・・・君だつて若しその氣にさへ
なれば、あんなAの女優位、すぐ
どうにかする資格はあるネ。・・
だが、こんなグルウミーな室で
こんな話をしても、ちつとも與
が湧いて來ないぢゃないか。今
夜はよく晴れてゐるし、それに
戶外の方がずつと涼しくて氣持
もよいから、差支へなかつたら
僕と一緒にI町へでも散歩に行
かないかネ。歩るき乍らでも、
いろんな話をい合はうぢやない
か。僕も淋しくつて仕方がない
し、君のやうな美少年と肩をす
り合せて歩るくことは僕の快樂
の一つなんだからネ・・・・」
◇私達は間もなく、眞夏の夜空の
下をゆる/\と歩いてゐたのです
I町通りはY市でも一番人の足
をひきつける町です。恰度、東京
の銀座と淺草とを一つにつき混ぜ
たやうな氣分を持つ町です。白い
着物をふんわりとまとつた、男や
女のからだが、まばゆい燈火の交
錯の中にチラ/\燃江てゐるやう
に、さゞめき合つて行き交うてゐ
るのです。
◇支那料理店の、ゴタ/\と色を
塗りつけた、あくどい裝飾、レス
トランの胸をつく、芳醇な香氣と
一緒にあたりに漂つてゐる、オウ
トマティックピアノのはしやいだ
音樂、さま/″\な輕い夏のものを
飾りたてた洋物店の飾窓、美しい
布着れを赤と黄と黑とに組合せて
背景畵とした、立体派の飾繪のあ
る呉服店――それらの店が、ぎつ
しりと兩側に並んでゐる間に、活
動寫眞舘や劇塲やが、イルミネー
ションの海をつくつて、輝かしい
一角を占領してゐるのです。
◇Y市といふ街が山手の居留地を
除いて、ガサツな、實利主義の町
だといふことは、誰れにだつて頷
ける感じです。晝は、めまぐるし
い世界的な商業戰の火花を散らし
ます。その慌しい生活から逃れて
人間の持つ明るい、喜ばしい或る
欲求をみたさうとする人々は、夜
になると定つて、この一つしかな
い歡樂の街へ押寄せて來るのです
◇私はこのY市の人々の心持には
同情出來ます。が、この街の人々は
何故、そんな刹那主義的な歡樂の
火花の中に身も心もとろかす前に
一つでも立派な藝術を創り出さう
と試みないんだらう、人間の生活
をもつと心から美化し、理想化し
てゆくことに努めないんだらう、
そして第一、Y市には、どうして
近代的な美しさを持つた女が生れ
ないんだらう?――私はI町通り
を歩るくたびに感じるこれらのこ
とを、Kと歩るいてゐるうちにも
考へてゐたのです。――
◇「ほんたうに君は美少年だナァ。
歩るいてゐる人々がみんな僕の
顔をみてゆくではないか。僕は
嬉しい氣がしたり、時には耻し
い氣になつたりするよ。」
彼はそんなことを云ひ乍ら、彼
のゆきつけらしい、或る大きな支
那料理店の狭い階段をドシ/\登
つて行つたのです。彼の手が私の
手を確りと握つてゐたことは云ふ
までもありません。(つゞく)
(越後タイムス 大正十二年二月十八日
第五百八十五號 二面より)
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