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春夫さんの驢馬

     (1)

 或る日、お父さんのお友達のA

さんといふ畫家が、東京の方から

春夫さんのお家へ遊びにゐらつし

やいましたが、二三日してお歸り

になる時に、「いろいろとお世話に

なつたから、東京へ歸つたら一つ

珍らしいものを送つてあげませう

」と、春夫さんの頭を撫で乍ら御有

つたのです。春夫さんは大へん喜

んで每日その珍らしい贈物が着く

のを待遠しく思つてゐましたが、

それから半月ほどたつてから、大

きな箱に入つたものがとゞいたの

です。みなさん!春夫さんと同じ

やうにびつくりしてはいけません

よ。

 それは一匹の可愛らしい驢馬だ

つたのです。

     (2)

 驢馬はみるからに温順おとなしい動物

です。よく毛の揃つた尻尾は程よ

い長さに剪られ、鼻すぢは、優し

く高まつて、眼はちょうど墨で刺

青をしたやうに、黒ぐろと大きい

のです。所が不思議なことには、

その兩頬にあたるへんから鼻すぢ

へかけてまつ靑な繪具で、ROMEO

と英字で書かれてゐるのです。

「お前はまだ英語を知らないから

よく分らないだらうが、ロウミオ

と讀むのだよ。きつと東京の小父

さんが繪筆でかいて下さつたにち

がひない。ロウミオ、いゝかい、

これがその驢馬の名前なのだから

そのつもりでお馴らしなさい」と

お父さんは笑ひ乍ら、驢馬の前で

さう春夫さんに仰有つたのです。

「ロウミオといふのは、或る、英

國の名高い物語にある人の名前だ

お前が今に大きくなつてそれを讀

むときがあれば、きつと懐しく昔

のことを思ひ出すだらうが」

 栗いろがたつた灰いろの驢馬の

毛並みは觸れれば觸れるほど何んと

もいへない柔らかな感じを掌へつた

へます。

「ロウミオ!ロウミオ!」春夫さ

んは幾度もさう呼びかへし乍ら、

每日のやうに驢馬に乗つて遊びま

した。

 春夫さんのお家は、南國の靜か

な入海に沿ふた或る淋しい田舎の

ちょつとした丘の麓にあります。

お母さんは亡くなって、今ではお

父さんとたつた二人暮らしなので

す。それですから、お母さんもお友

達もない春夫さんに驢馬のお友達

ができたとき、お父さんは心から

お喜びになつて、「あ、これで春夫

もさう淋しがりはすまい」と獨ご

とを仰有つたのであります。

     (3)

 春夫さんは天氣さへ好ければ、

ロウミオにまたがつて、ハモニカ

を吹き乍ら遊びまはりました。山

から海邊までまつすぐにつゞく野

道を、パカ/\と、小さい蹄の音を

ひゞかせ乍ら、走つたり、ときに

は一里も遠くにある、町へ行つて

夏蜜柑をどつさり籠に買つて來た

り、月の明るい晩などには、お父

さんやロウミオと一しょに岡へあ

がつて、美しい、穏かな南國の夜

の海景色を、うつとりと眺めたり

して日のたつのを忘れる位でした

春夫さんは驢馬をもらつてから見

違へるほど愉快な、生いきとした

少年になつたのです。村道を驅け

てゆく蹄の音がきこ江ると村の子

供たちは、みな家から飛んで出て

珍らしさうに春夫さんの驢馬を眺

めたり、お終ひには羨ましい心持

でその姿が森蔭にかくれるのを、

ぢつと見送つたりしたものです。

     (4)

 ところが、或る秋の晩のことで

す。冬近い寒さをふくんだ雨がひ

どく降つてゐました。

 裏の驢馬小屋の方で何かへんな

物音がしたのを雨音に交つてきい

たやうなのですが、夜も更けてゐ

たので、お父さんは別に深く氣に

もとめずに眠りに落ちました。春

夫さんは、晝の疲れでぐつすりと

睡りこんでゐるので、その物音も

知りません。

 翌くる朝は,晴ばれと澄みきつ

た秋日和でした。春夫さんは眼を

覺すとすぐいつものやうに、驢馬

に「お早う」を云ひに行きましたが

小屋にはロウミオの姿が見江ませ

ん。春夫さんはびつくりして、そ

こらぢゆうを探しましたが、小屋

の前の濡れ土に、へんな足跡が亂

れてのこつてゐる中に驢馬の足跡

も交つてゐるのをみつけただけで

ロウミオの聽きなれた鼻息もきこ

江ません。

「お父さん、大變です。ロウミオ

が逃げました」

 さういふ春夫さんの叫び聲に驚

いて、お父さんもすぐ室から飛ん

できて、いろいろと探しましたが

矢張り分らないのです。

「逃げるわけはない。惡者に盜ま

れたのに違ひない。ソラごらん、

こゝにこんな足跡があるだらう」

 小屋のすぐ前だけは土が露出あらは

てゐるので足跡もはつきりと分る

のですが、草原になつてゐるとこ

ろは、たゞ草の葉が、キラ/\と

露を光らせてゐるばかりで、どつ

ちへ行つたのか見當もつきません

お父さんは村の駐在所へ驅けつけ

て下さるし、春夫さんはがつかり

し乍らも近くの子供たちと不思議

な出來事について、瞳を輝し乍

ら話合ひました。

「君だちの中で誰か驢馬の姿をみ

た人はない?」と訊ても、誰一人

「見た」といふ子供はないのです。

 その日から每日のやうに手を分

けて、いろいろと探してもらつた

のですが、とうとうロウミオの行

違は分かりません。

 春夫さんは又獨ぽつちになつた

のです。

     (5)

 その翌くる年のことです。お父

さんの都合で春夫さんは東京へ住

むことになりました。もうその頃

には、春夫さんも驢馬のことは忘

れかけてゐましたが、又不思議な

ことからロウミオを思出すやうに

なつたのです。

 それは或る夏の晩でしたが、春

夫さんはお父さんと一しょに活動

寫眞を觀に行つたのです。ある物

語がだん/\と進んで行つて、そ

の時、美しい草原が現れました。

と、そこへ遠くの道から小さな馬

に乗つた少女がこちらへ歩いてき

て、やがてよほど近くなると、そ

れが正面のまゝで大きく映し出さ

れたのです。それは驢馬の顔でし

た。春夫さんは引込まれるやうに

ぢつとみつめますと、驚ろくこと

には、その鼻から兩頬にあたると

こへかけて、あの昔春夫さんと仲

よしだつた驢馬とすこしの異もな

くROMEOといふ字が見江るでは

ありませんか。春夫さんは思はず

「ァッ、ロウミオ! 僕のロウミオ

!」といふ叫び聲を續けさまにた

てました。傍にゐる人々が「喧ま

しいではないか」といふ風に皆、

春夫さんの方をふり向くので、お

父さんは默つて春夫さんの手をひ

つぱつて戶外へ出ました。

 そとは爽かな夏の夜でした。月

のない空には銀河が白じろと流れ

てゐます。

「やはり盗まれてゐたのだね。だ

が春夫!不思議ではないか、活動

寫眞に出てゐるといふのは。けれ

ど、もう默つてゐやうね。その代り

明日めうにち、Aさんにたのんで、もつと

いゝのを買つてあげるからね。春

夫!ごらん、天の河があんなに奇

麗ではないか」

 お父さんはゆつくり空を仰ぎ乍

ら、こう仰有つだだけです。春夫

さんは頷いて、やはり空を見あげ

ましたが、その眼には、いつぱい

淚がたまつてゐました。(お終ひ)


(越後タイムス 大正十四年四月廿六日 
      第六百九十九號 四面より)


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       ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵

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