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花 火 ―笑劇一幕―

 ――或る夏の夜。

 ――或る公園の深い樹立の蔭。

 人。男AとB。

   女D。

 ――男Aと女Dと、かなり離れた二

 つの石の上に腰をかけてゐる。二人

 は、もう三十分以上、Aはその愛人C

 を、Dはその戀びとBを待つてゐる。

 二人とも待ちくたびれて、苛いらと

 神徑をふるはせてゐる。

A。(ポケットを探つてエアシップの

 箱をとり出し、一本吸はうとすると

 それは空である。眉をふるはせてそ

 れを地上に叩きつける)

D。(それを見乍ら)お煙草なら、わ

 たくし持つて居りますわ。お嫌

 でございませんなら、おすひ下

 さいまし。

A。ありがたう。(時計をひつぱり出

 してわざとらしくみる)あひかは

 らず、おそいやつだ。・・・では折

 角ですから、一本頂きませうか。

D。(袂から袋をとりだし乍ら)お氣

 に召しますかしら。どうせ女向

 きの輕いものでムいますから。

A。いや結構です。煙草のみは煙

 草をきらしたときほど苦しいも

 のはありません。まるで飢江と

 同じ氣持です。

 ――D子立上つてAのそばへ來る。

 Aたばこの袋をうけとる。

A。おや、これはベルタといふの

 ですね。細卷ですな。

D。江江。ちょつとやよひと似て

 ゐますのね。でも、あれよりはす

 こし上等ですわ。

A。まあ、こゝへおかけなさい。

 ――D子はAのそばへ腰を下す。二

 人は煙草に火を點ける。

A。失敬なお訊ねかも知れません

 が、あなたも何誰かを待つてゐ

 らつしやるのでせうか?

D。江江。ちょつとあの約束をし

 たものですから・・

A。男のひとでせう。

D。江江。

A。御主人ですか。

D。いゝ江。そんなはつきりした

 ものではムいませんの。

A。はははは。それでは僕達と同

 じことですな。實は僕も女を待

 つてゐるわけです。あなたのひ

 とは、いつもこんなにお待たせ

 になりはしないんでせう。

D。いゝ江。こゝは始めてですけ

 れど、どこでも、いつも私にばか

 り待たせるのですわ。

A。さうですか。ところで僕の方

 は、僕ばかりが待呆けをくふの

 です。もうそれはおきまりなの

 だから、こつちで意地になつて

 遅くくればいゝのですが、さう

 は思つてゐても、いざ出掛ける

 ときになると、そんなことなど

 は忘れてしまつて、あはてゝや

 つて來るのです。その時は不思

 議な氣持ですよ。あとで考へる

 と馬鹿ばかしくて嫌になります

 が。

D。ほんたうですわ。お終ひには

 憎らしくなりますわね。

A。あなたも僕も待呆けばかりく

 つてゐるところからいふと、お

 互に相手にみくびられてゐるの

 ですよ。自分ではそんなに戀ひ

 してゐるとは思へませんが、こ

 りずに莫迦をくり返してゐるの

 をみると、やはり甘くなりすぎ

 てゐるのですよ。あの女ひとり

 が女ではないし、あなただつて

 その男ひとりとも思つてゐらつ

 しやるわけでもないんでせうが

D。全くさうでムいますわ。わた

 くし、いつも考へるんですけれ

 ど、いつかこの復讐をしてやる

 つもりでゐるのです。あんまり

 ですわね。それに今ではもうあ

 の男を前ほど思つては居ません

 のよ。

A。そのひととはどの位つゞいて

 ゐるのです。

D。さうでムいますわね江、あれ

 が三月でしたから、かれこれ五

 ヶ月ほどになりますのよ。

A。失禮ですが、どんな風にして

 お知り合ひになつたのです。

D。全くみず知らずの方でしたわ

 始め手紙が參りましたの。

A。へ江。すると不良少年なので

 すか。

D。い江。あなたほどの品もムい

 ますし、おとなしい男ですわ。

A。は、は、は、は、・・・それから。

D。わたくし、それ以上お話出來

 ませんわ。あなたお笑ひになる

 にきまつてゐるんですもの。

A。構ひませんよ。どうせそこま

 でお話になつたのだし、それに

 何もしないで待つてゐるのはお

 互に退屈ぢやありませんか。

D。ですけれど・・・・

A。いゝぢやありませんか。僕は

 こんなところで女を待合せたり

 してゐますが、根はまじめな人

 間ですよ。ことによつたら何な

 りとご相談相手になつてもいゝ

 と思つてゐるのです。

D。それでは申上げてしまひます

 わ。わたくし、今年の春の或る

 日、知らない男の方から手紙を

 もらつたのです、Sといふひと

 でした。

A。それが今のひとなんですね。

D。いゝ江。さうではムいません

 の。今のひとはBと申します。

A。へ江。これは面白い。それか

 ら。

D。わたくし・・なんだかお話する

 のがはづかしゆうムいますわ。

A。思ひきつて仰有つたらいゝぢ

 やありませんか。

D。わたくし、そのときたゞ歸り

 淋しかつたのでムいます。です

 から、その手紙をほんたうにし

 たのでムいますの。

A。その手紙にはなんと書いてあ

 つたのです。

D。男が女を戀するありふれた心

 持が一生懸命に書いてありまし

 たわ。そして若し都合がよかつ

 たら明日の晩、銀座の四角のカ

 フェ・ライオンの前で待つてゐ

 てくれつて・・・・

A。それでその晩あなたはそこへ

 いらつしやつたのですか。

D。江江。

A。それぢやあなたの方がよつぽ

 ど不良少女ぢやありませんか。

D。いやでムいますわ。そんなに

 おからかひになるから、わたく

 しお話したくなかつたのです。

 もうやめますわ。

A。これは失禮。もうそんなこと

 は言ひませんから、どうぞ。

D。すると不思議なことが起つた

 のですわ。ちやうど約束の時間

 の十五分ほど前でしたが、わた

 くしがライオンの扉のところで

 夜店の明るい燈かげと、ゾロゾ

 ロ歩るいてゆく人々の賑かな跫

 音から身をかくすやうに立つて

 ゐますと、不意にさつぱりとし

 たホームスパンを着て、太いス

 テツキを持つた若い男が、「於待

 たせしました。さァ行きませう」

 と、私の側を通りぬけ乍らそれ

 と分るやうに囁いたのでムいま

 す。わたくしすぐそのひととつ 

 れだつて歩きだしたのです。わ

 たくしはのぼせて、うれしい氣

 持でしたわ。

A。へ江。あなたは大膽なひとで

 すな。

D。これからが小說的なのですわ

 それから日比谷公園の松本楼で

 珈琲をのみ乍ら、わたくしは「あ

 のお手紙のお心持はほんたうで

 ムいませうね」と申しますと、そ

 のひとはへんな表情をちらとみ

 せて、「僕はその手紙は知りませ

 ん」といふのです。わたくしはち

 ょつとびつくりしましたが、「そ

 れではSさんといふ方をご存じ

 でせうか」と訊ねますと「知りま

 せん」といふのです。私はその男

 の不良少年的なやり方に、女ら

 しい不愉快を覺江たのですが、

 どうせSといふ男だつて、どん

 な氣心か知れやしませんし、そ

 れに今から行つてのでは時間も

 ちがふし、この人だつて男らし

 く美しいし、さう馬鹿でもない

 と思つたものですから、この人

 を愛さうと、そのときひそかに

 心をきめてしまつなのでござい

 ます・・・・・・・その晩からずつと關

 係をつづけてゐるのは、そのB

 といふひとですわ。

A。これは大へん面白いお話です

 ね。するとそのBさんといふひ

 とは、たゞ通りすがりに、あなた

 が人待顔をしてゐらつしやるの

 をみぬいて冒険をやつたわけで

 すね。なるほど珍らしい關係で

 すね。僕たちのが通俗小說であ

 るのに比べると、あなた方のは、

 エキゾチックな藝術品ですよ。

D。でも今ではあまり面白くもム

 いませんわ。

A。僕は若い頃、「戀愛はあらゆる

 第三者を欺瞞しつくさんとする

 繊細なる感情運動である」など

 と定義をつくつて得意になつて

 ゐたものですが、今はそのちや

 うどあべこべですよ、お互に嘘

 ばつかり言ひ合つてゐるのです

 からね。戀の古さびてゆくのは

 不快ですね。

D。さうでムいますわ。わたくし

 の知らない男に、もつと面白い

 ひとがあるように考へますと、

 もういゝ加減に別れやうか知ら

 と思ふこともありますわ。

A。(いつのまにか女の手を握つてゐ

 る)あなたはほど美しいひとゝな

 ら・・・・(女の肩へ手をまはし强く

 抱く)あなた、僕を僕をゆるし

 て下さゐ!(接吻しやうとする)

 ――女も男の昂奮にひきこまれ、唇

 をゆるさうとする。しかし、その瞬間

 靴音がするので男からからだを離し

 てみると、Bである。D子小娘のやう

 に走つて行つてBに抱きつく。

D。やはりあなただわ。あなたが

 いちばん、いゝひとだわ。さあ早

 くどこかへ行きませうよ。

 ――BとD子去る。遠く、ボン、ボン

 と花火の揚る音がもの憂くきこ江て

 くる。

D子の聲。(かすかに)まあ、あんな

 に花火が揚つてゐるわ。奇麗だ

 こと。

 ――A、いらいらしく立上り、そこ

 らぢゆうを馬のやうに歩きまわる

A。C子のやつ、なにをぐづぐづ

 してゐやがるので。

 ――A、D子が置いて行つたベルタ

 の袋を見つけると一本をつかみ出し

 口にくはへて火を點ける、のこりの

 袋をちょつと嗅いでみる。

A。あゝ新らしい匂ひがする。今

 までかぎなれた匂ひよりは、も

 つと高尙な、美しい、胡瓜のやう

 に爽かなかほりがする。(しかし

 まもなくそれをいまいましさうに地

 上へ叩きつけ、靴で踏みにじる)な

 んだ、こんなものが。なんだ、こ

 んなものが。ひとの持つてゐる

 ものの匂ひはなんだつて、あた

 らしい匂ひがするにきまつてゐ

 るぢやないか。なんだ、こんなも

 のが!


 花火の音はあひかはらず、ボンボン

 ときこ江てゐる・・・・

            ――幕――


(越後タイムス 大正十四年四月十九日 
     第六百九十八號 四面より)


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※エアシップ(たばこ)


※やよひ(たばこ)


※ベルタ(たばこ)





       ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵

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