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ネットを騒がすニュースに触れて

習近平が自宅軟禁という話が、ネットで出回っているようです。及川幸久さんも取り上げている話題です。

どうでしょうね?

これに対しては、懐疑的な見方もあります。

刺激的なニュースであればあるほど、飛びつきたくなるのは分かります。しかし、この妙佛さんの解説は、いつも通りの冷静な視点を保たれているように思います。

要は、ガセではないかということです。「嘘から出た実(まこと)」ということもなくはないですが、妙佛さんとしては、中国の要人警備の事情からして、ほぼ偽情報だろうということです。

深田萌絵さんも、似たような見立てをされているようです。

おそらくここから、習近平が皇帝になろうとしている瞬間に、こういう習近平が逮捕されたという噂を流して、それに飛びつく人たちを観察している。そういう人たちの情報を収集しているんですと。

真相は分かりません。ただ政治家でもなく、政治記者でもなく、政府の政策決定に関わるような立場でもないのなら、この噂話、少し距離を置いて、なんとなーく眺めていればいいのではないかと思います。

中国共産党に限らず、強力にグローバリズムを推進している方々は、その仲間内で、常に複雑なパワーゲームを展開しているはずです。それぞれ個体としては、「自分が有利になりたい」、「自分に権力を集めたい」という欲望をぶつけ合い、策を巡らせていることでしょう。

もちろん、それによって、何か変化があるかもしれません。

でも、それらが私たちの生活に与える影響なんて、たかが知れています。大きな流れとして、私たちが直面するであろうグローバリズムや、世界共産化という視点で捉えてみたとき、それらが何かの解決に繋がるようなことにはならないでしょう。

結局、私たちが備えていかなければいけないことには、大きな変化はないはずです。私たちは私たちで、淡々とすべきことを進めていく必要があるだろうということだと思います。


話は変わりますが、ネットを賑わせているニュースとして、こんなのもありました。

9月25日にさいたまスーパーアリーナで開催された格闘技イベント「超RIZIN」での“花束投げ捨て”が大きな批判を浴びている「ごぼうの党」代表・奥野卓志氏(48)。自身の行動を釈明したものの、再び物議を醸している。

女性自身
「ごぼうの党・奥野氏“花束投げ捨て”を釈明も反省ナシで「公私混同」「日本人の品位損なった責任取れ」と火に油」
2022年9月26日より引用

んーと・・・これもどうでもいいと言えば、どうでもいいお話です。ただ、この件に関しては、中村篤史先生も取り上げられています

これについては、ひとつだけ思うことがあります。

奥野氏批判、もちろんあって当然だと思います。彼を擁護する気はありません。ただ、奥野氏にも奥野氏なりの言い分があるような気がしています。問題は、その言い分をどのようなかたちで表現するか?です。

いや、本質はそこにはなくて、有名になるために、わざとやったのではないか?という見方もあります。

そうかもしれません。

今の社会に対する危機意識は、ものすごく高かったでしょうし、「何とかしたい!でも、今のままではどうにもならない!」という思いから、いわゆる「炎上商法」的なやり方で、注目を集めたという可能性もあります。


ただ、奥野氏の意図がどこにあるかに関わらず、私自身、彼の意見や動画を取り上げて、何かを論じるというようなことは、難しくなったように思います。

今回の一件で、「あー、あの花束投げつけた人でしょ?あいつはダメだ」となってしまっては、元も子もありません。実際、そういう人は、たくさんいることでしょう。

つまり、信用されないということです。そして、信用などというのは、簡単に失いうるものであることを肝に銘じておく必要があります。


話があちこち飛んで恐縮ですが、今般のワクチンに関して、周りの人にいろいろと情報を伝えているのに、全然、自分のことを聞いてくれないというケースが、多々あったかと思います。そういう苦労をされた方も多いのではないでしょうか。

それには、情報の受け手側に問題があることは言うまでもありません。しかし一方で、情報を発信する側の信用というのも重要です。

その信用というのは、普段の行いや言動といった小さいことの積み重ねで成り立っているものです。非常に時間がかかります

それにもかかわらず、それが崩れ去るのはとても簡単です。本人のちょっとした隙によって、いとも簡単に失われることがあるのです。奥野氏の一件については、そういうものが一瞬にして崩れ去ってしまう恐ろしさを感じさせます。

人のふり見て我がふり直せ

ちょっとした心の油断、理性的な思考をすっ飛ばした衝動的な行動や発言、そういうものには、十分注意が必要です。

しかし、生きている間に、そういうものは持っておくといいと思います。そして、それに対して、とことん真剣味をもって生きていけば、人生を終えるその瞬間までの間、少しでもそれに近づくことができるのではないかと考えます。ポイントは、とことん真剣にです。
真剣って大事です。真剣を手に取って、誰かと相対すると想像してみてください。怖くないですか?竹刀じゃないです。ずっしりと重い真剣を手に取って、同じく真剣を自分に向けている人がいて、斬るか斬られるかという場面になったら、恐ろしいだろうと思うのです

「真剣味が身をたすく」より引用

「真剣味」という言葉があります。まさに真剣を手にしたくらいのつもりで、日々の生活における言動には注意を払いたいものです。気が抜けません

もちろん、遊びはあってもいいです。しかし、遊びにしたって、「真剣味」が求められるわけです。

中国共産党のトップが、どうしたこうしたの話も結構です。それらに関心を寄せることも必要でしょう。しかし、もっともっと自分ができることすべきこと手が届くところに気を使ってもいいかもしれません。


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