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真剣味が身をたすく

何を大切にして生きるか? それぞれ違うと思います。
何のために生きているか? それも人によって異なることでしょう。

ちょっと変な話から始まりました。

しかし、生きている間に、そういうものは持っておくといいと思います。そして、それに対して、とことん真剣味をもって生きていけば、人生を終えるその瞬間までの間、少しでもそれに近づくことができるのではないかと考えます。ポイントは、とことん真剣にです。

真剣って大事です。真剣を手に取って、誰かと相対すると想像してみてください。怖くないですか?竹刀じゃないです。ずっしりと重い真剣を手に取って、同じく真剣を自分に向けている人がいて、斬るか斬られるかという場面になったら、恐ろしいだろうと思うのです。

以前、「武」についての記事を書きました。


「武」とは、相手をコテンパンにやっつけるためのものではありません。「武」は文字のごとく、弋(ほこ)を止めるものです。自分から剣を抜いて、相手を倒すものではなく、切りかかってきた相手を倒すもの・・・だから、それを知っている相手は切りかかることができせん。したがって、弋(ほこ)が止まるのです。
※「武道は人生道なり」より引用

よく剣の達人同士が、剣を持って向き合い、なかなか斬り合いを始めない、みたいなシーンがあるかと思います。あれって、それですよね。

真剣だから、当然、命のやり取りになります。自分が達人であればあるほど、相手の一撃をそのまま相手に返すという極意を知っています。逆を言えば、自分の放った一撃は、そのまま自分に返ってくるかもしれないことを知っているのです。だからこそ達人同士では、お互いが自分の放った一撃によって、自分がやられてしまうかもしれないリスクがあることを知っているため、うかつには動けないのです。

真剣味をもって生きるというのは、それくらい命がけのことだと思います。間違えたら死んでしまう・・・くらい。

ここ一年の間で、世界は急激に混沌としてきました。何のために生きるのかがはっきりせず、真剣味をもって生きていない人は、間引かれてしまう世界になってきているのではという危機感すら感じます。

私個人の話ですが、私は2020年の米国大統領選で、世界は抜き差しならないところまできてしまったという実感があります。

この米国大統領選について、とくに問題意識がない方は、それはそれで構いません。ただ私には、これまで考えられなかったような世界的大事件というものが、こうも容易く起こってしまうものなのだという驚きがありました。世界は、とんでもない方向に向かっているという実感です。

そして今、世界中がパンデミックで大騒ぎになっています。文字通り、世界中の一人一人にとって、命がかかった問題です。ワクチンに対する考え方など、人それぞれですから、ワクチンを打つか、打たないかについては、選択の自由があるべきです。

しかし、その選択の自由を行使するにあたっては、「斬るか斬られるか」くらいの真剣味をもって、判断してほしいと思うのです。

あなたは、何を大切にしていきたいのですか?
あなたは、何のために生きているのですか?

仕事という人もいるでしょう。出世したいという人もいるかもしれません。大金を稼いでいい暮らしがしたいという人もたくさんいると思います。

ただ、本当にそれですか?

何故、真剣味の話をしているのに、「何が大切か?何のために生きているのか?」の話をするかというと、それによって、その人の「命の重さ」が決まってしまうと思うからです。

「人間の命は等しく重い」

その通りだと思います。しかし同時に、自分の命の重さは、自分で決めることができるとも思うのです。私が「何が大切か?何のために生きているのか?」と尋ねるのは、「自分の命の重さをどう考えていますか?」という問いでもあります。そこらの中途半端なものを「生きる目的」にしている程度だと、これからの世界でやられてしまうのではないかと心配なのです。

きっと、本当に真剣味をもって生きている人は、どんなに大変な世界になっても生き残ります。既に記事にした通り、私の母は、生きることに真剣です。

自分の命の重さを考え、それと真剣に向き合っていく人は、これからの世界を生き抜いていく人だと思うのです。

もうひとつ、別の話をします。

本当に真剣な人は、おそらくたくさん悩みます悩んで、悩んで、悩んだ挙句「これしかない」という選択に行きつくはずです。いわば、その選択は「最良の一手」のはずです。

将棋などを指す、いわゆる棋士にとっての「最良の一手」というのは、こねくり回した計算ではないという話があります。

プロならそもそも、相手が着手した瞬間に「ここで自分が打つべき手はここだろう」とか「ここに打ちたい!」という手が浮かびます。その候補手が一つの場合もあれば、二つ、三つというケースもあるのですが、その手もしくはそれらの手が、実際に正解であることは極めて多いのです。
(中略)
「直感」によって浮かんだ手がいくつかあるものの、その後の進行を想定してみたところ、いずれも今一つと感じるケースがあります。そうした際は「他の手がないか」と探すわけですが、あれこれ考えた末にふと浮かぶのが「ひらめき」であるように思います。
※幻冬舎ゴールドオンライン「なぜ、プロ棋士には「打つべき一手」が見えるのか?」2019年3月26日より引用

ここで登場するのは、「直感」「ひらめき」です。プロの棋士にとって、「最良の一手」を導き出すのは、「直感」や「ひらめき」だというのです。そこには、棋士たちの裏付けられた経験があると言います。

これを私たちの人生に当てはめると、この「経験」というのは、ただ生きているだけの経験ではないと思います。真剣に考えて「悩んで、悩んで、悩んで・・・」の連続こそが、人生における「経験」といえるでしょう。その「悩んで、悩んで、悩んで・・・」を繰り返していくうちに、悩まずとも瞬時に浮かんでくる「直感」「ひらめき」みたいなものを会得できるようになると思うのです。これができるようになったら、その人は「人生の達人」です。

これからの時代は、おそらくそんな「人生の達人」たちが生き抜く世界・・・。

もちろん、「悩んで、悩んで、悩んで・・・」といっても、眉間にしわ寄せて、難しい顔をして生きていく必要はないと思います。せっかくの人生なので、それすらも楽しみながら、いきましょー。

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