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武道は人生道なり

ずいぶん昔の話ですが、古武術というのをやっていたことがあります。大して長く続けられなかったので、ほとんど上達しませんでしたが、その時の体験は、大変意義深いものでした。

私の理解では、そもそも「武」とは、相手をコテンパンにやっつけるためのものではありません。「武」は文字のごとく、弋(ほこ)を止めるものです。自分から剣を抜いて、相手を倒すものではなく、切りかかってきた相手を倒すもの・・・だから、それを知っている相手は切りかかることができせん。したがって、弋(ほこ)が止まるのです。

最近、武道に関する動画もいくつか出ているので、そういうものも見るようにしています。そして、そうした「武」の真髄は変わらないものだとつくづく感じます。

体験をしたことのない方は、こうした合気道の動画を見て、ヤラセではないかと思われる方もいるかもしれません。しかし、こういうことは本当に起きるのです。相手を倒そうと力を入れると、その力が自分に返ってきます。私の感覚だと、それをそのまま放っておくと、自分の関節を傷めたり、捻じれたりしてしまうため、自ら進んで倒れざるを得なくなるのです(この動画の千野先生は、それもまた違うとおっしゃっていますが、レベルが高すぎて分かりません)。いずれにせよ、相手の反応が大げさに見えるかもしれませんが、ああやって自分に返ってきた力を逃がしているわけです。

攻撃をしている方で、しているつもりで、逆にその力で自分がやられる

千野先生がそのようにおっしゃっていますが、まさにそういうことです。

ところで、こうした「武」の真髄なるものは、単に肉体のぶつかり合いである武道や武術に限らないと思います。それは日常生活にも言えることだと思うのです。

私たちの日常生活を眺めてみると、相手をむやみに傷つけたり、貶めたりする、ただの暴力行為で溢れています。それは「武」の真髄に反します。それは何とかしなければいけません。例えば、私がこのように記事を書いているのに対して、これをむやみに傷つけたり、貶めたりする行為があったとしたら、私はそれを投げ飛ばしてやらないといけません。それが私なりの「武」の真髄です。

あちこちで暴力行為が働かれている世界があるとして、こうした「武」の真髄を体現できる人が増えたきたら、世界は自ずと平和になるように思います。

こちらの動画は、合気道ではありませんが、私が考える「武」の真髄をリラックスすることから達成できることを表しています。ここでも興味深いのは、単に肉体の操り方ではなく、人間関係の縮図であると言われているところです。要は、日常生活に応用できるエッセンスが含まれているということです。

今、現実世界に目を向けると、世界中で大変なことが起こっています。既にここでも繰り返し記事にしている通り、中国共産党による工作活動グローバル企業の横行によって、私たちの平和な生活が脅かされつつあることを実感せざるを得ません。いわば、壮大な暴力行為が繰り広げられているわけです。

これに対して、私たちはどのように向き合い、立ち向かっていくべきでしょうか。その答えは、「武」の真髄のなかにあるかもしれません。

破壊工作、陰謀の限りを尽くす人々がいるとして、その人たちに同じような破壊工作や陰謀で立ち向かっても、おそらくは勝ち目はありません。そもそも民衆である私たちに、そんな力があるとは思えません。しかし、一人一人が「武」の真髄を磨いて、やられた分だけ相手にやり返す力を持てば、その総和で彼らを倒すことができるかもしれません。

「策略はいかん、無策の策でいけ」
「最高の策略というのは、無策なんだ」

これからの時代、私たちができることは、きっとこれ・・・と私は思っています。武道、これ即ち人生道なり・・・そして、今日も鍛錬、鍛錬。


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