多神教的価値観の強み
「私は無宗教」という日本人は多いと思います。家が「●●宗」なんていっても、そんなのはただの形式で、本当の意味で、仏教徒というわけではないという人々が、ほとんどなのではないでしょうか。
かく言う私も、そういう人間です。
あ、ちがった・・・私の場合は、自分教です(笑)。
ともあれ、特定の宗教を信仰していないという人は、大勢いると思います。しかし、海外の人からすると、宗教がないなんて野蛮と思われるなどという話も聞きます。
ただ、宗教が扱うようなテーマについて、日本人が何も考えていないということではありません。
日本には、古来より「八百万の神」などいう言葉があったり、神仏習合なんてものがあったり、仏教のみならず、海外の宗教も取り入れたりしていて、非常に多神教的な人々だといえます。
私は、それをわざわざ「宗教」と呼ぶ必要はないと考えます。宗教は、すぐに組織になり、すぐに利権構造になり、すぐに悪用する人が出てくるのでいけません。
敢えて、それを呼ぶというのなら、「宗教観」という言葉でいいでしょう。日本人には、多神教的な「宗教観」を持っている人々が多いのではないかと思うのです。
コレ、とても大事なことです。私たち、多神教的な日本人は、それら「多様な神様」を受け入れることができます。「多様な神様」を受け入れるということは、「多様な正義」を受け入れるということでもあります。ここが大変重要なポイントなのです。
海外をみてみると、一神教の人々の方が圧倒的に多いです。そして、一神教の人たち同士では、それらを互いに認め合ったりすることが非常に難しくなります。それは、今日の宗教の弊害のひとつでもあると言えます。
一神教の世界では、当然、そういう価値観に基づいて、文化が形成されていきます。
ハリウッドで作られたスーパー戦隊・パワーレンジャー、カッコいいです。
「俺たちが正義!悪は、許さない!!!」ってな感じです。分かりやすいし、ワクワクします。でも、単純です。
そして、多神教的な日本人には、ちょっと物足りないところがあるように思うのです。「世の中、そんなに単純じゃないんじゃない?」と感じるのではないでしょうか。
こちら、ちょっと古いですが、パワーレンジャーの本家本元である日本のスーパー戦隊「轟轟戦隊ボウケンジャー」です。
動画内に登場する悪役・リュウオーンは、悪の親玉です。しかし、ただの悪人ではありません。
彼は、元々人間だったのです。しかし、財宝に目がくらんだ仲間に裏切られたことから、人間を憎むようになり、人類を滅ぼすことを決意するようになったといいます。「リュウオーンが正しい!」などとは思いませんが、彼には彼なりの正義があるということです。
子供向けの番組で、そんなテーマを扱えるのが、多神教的な世界観が許される日本の素晴らしさではないかと思うのです。
結局、それぞれに正義があるんじゃない?ってことです。
人口増加と資源・食料に関する問題は、私たちも何度か耳にしたことがあります。ただし、それに対する解決策については、よく分かりません。
そんななか、そうした問題の深刻性を真正面からとらえて、何とかしようとしている人たちがいても不思議ではないです。
異論はあるでしょう。「彼らこそが正義!」などと、もろ手を挙げて賛同するつもりもないです。そして仮に、こうした問題の解決を図るために、超管理社会や人類の家畜化のようなものが、推し進められるとしたら、それはある種の悲劇的な出来事であるといえます。
でも、彼らには彼らなりの正義があるかもしれないということです。
うん?やり方が気に喰わない?そしたら、どうします?闘います?
そうすると「天使 vs 悪魔」みたいな戦いになります。どちらが正しいか、力で決着をつけようってことです。それじゃぁ、パワーレンジャーと一緒です。
私は、そんなの御免被ります。そんな戦いには付き合いません。
多神教的な価値観をもって接すれば、「それぞれに正義があるんじゃない?」ってことです。そして、私自身にも曲げられない正義があります。それは、こんな世界の中で、どちらかに与するようなものではありません。
「我関せず、我が道を往く」でいかさせていただきます。それをスッとできるのが、日本の多神教的な価値観の強みなのではないでしょうか。
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