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多神教的価値観の強み

私は無宗教」という日本人は多いと思います。家が「●●宗」なんていっても、そんなのはただの形式で、本当の意味で、仏教徒というわけではないという人々が、ほとんどなのではないでしょうか。

かく言う私も、そういう人間です。

あ、ちがった・・・私の場合は、自分教です(笑)。

ともあれ、特定の宗教を信仰していないという人は、大勢いると思います。しかし、海外の人からすると、宗教がないなんて野蛮と思われるなどという話も聞きます。

ある日本の若者が、1人で、サウジアラビアに入国しようとしました。
入国書類の宗教の欄に、正直に「NONE」と書きました。
私は何も信じていない」と。
入国できるどころか、別室に連れていかれて、そのまま、その日のうちに、強制送還されてしまいました。
イスラム教やキリスト教を信じている人が多い国では、天地創造の神を信じている人が多いです。
そういう人から見ると、何の宗教も信じない、神をも信じぬ者は、どんな秩序も認めない、恐ろしい者、テロリストと同じように思われる訳です。
入国したい、また留学先で人間関係を広げたいと思ったら、「NONE」と答える選択肢は無いようです。

1から分かる親鸞聖人と浄土真宗
「海外で「私は無宗教です」はNGの理由|日本の常識は世界の非常識だった」より引用

ただ、宗教が扱うようなテーマについて、日本人が何も考えていないということではありません

日本には、古来より「八百万の神」などいう言葉があったり、神仏習合なんてものがあったり、仏教のみならず、海外の宗教も取り入れたりしていて、非常に多神教的な人々だといえます。

私は、それをわざわざ「宗教」と呼ぶ必要はないと考えます。宗教は、すぐに組織になり、すぐに利権構造になり、すぐに悪用する人が出てくるのでいけません

敢えて、それを呼ぶというのなら、「宗教観」という言葉でいいでしょう。日本人には、多神教的な「宗教観」を持っている人々が多いのではないかと思うのです。

宇宙の真理を読み解くには、目に見えるかたちとなって証明された科学だけではなく、目に見えないながらも「ある」と考えられる宗教の世界、その両方が必要だと思われるのです。
ここでいう後者の宗教の世界は、「宗教観」と呼ぶこともできます。私自身、「スピリチュアル系」という括りよりも、「宗教観がある」という言い方の方がしっくりきます。

「明確な「宗教観」を持ってみよう」より引用

コレ、とても大事なことです。私たち、多神教的な日本人は、それら「多様な神様」を受け入れることができます。「多様な神様」を受け入れるということは、「多様な正義」を受け入れるということでもあります。ここが大変重要なポイントなのです。

海外をみてみると、一神教の人々の方が圧倒的に多いです。そして、一神教の人たち同士では、それらを互いに認め合ったりすることが非常に難しくなります。それは、今日の宗教の弊害のひとつでもあると言えます。

一神教の世界では、当然、そういう価値観に基づいて、文化が形成されていきます。

ハリウッドで作られたスーパー戦隊・パワーレンジャー、カッコいいです。

俺たちが正義!悪は、許さない!!!」ってな感じです。分かりやすいし、ワクワクします。でも、単純です。

そして、多神教的な日本人には、ちょっと物足りないところがあるように思うのです。「世の中、そんなに単純じゃないんじゃない?」と感じるのではないでしょうか。

こちら、ちょっと古いですが、パワーレンジャーの本家本元である日本のスーパー戦隊「轟轟戦隊ボウケンジャー」です。

動画内に登場する悪役・リュウオーンは、悪の親玉です。しかし、ただの悪人ではありません

ジャリュウ一族の長。恐竜遺伝子とかけ合わされた自分達こそが世界を支配すべきであるという考えを持ち、恐竜をサイボーグ化した巨大な大邪竜、自らの遺伝子を与えた竜人兵ジャリュウ、勝ち残ったジャリュウに更に凶悪な改造を施した邪悪竜などを造り、長い年月を研究に捧げてきた。
それらは全てプレシャスを入手する事を目的としており、その為には全ての部下を簡単に犠牲にする事ができる非情な性格の持ち主
(中略)
その正体は200年程前まではレムリア文明を調べる学者(人間)であったが、財宝に目が眩んだ仲間により裏切られ無人島に置き去りにされる。このことがきっかけで人類を憎み、滅ぼそうと決意。自身が集めたレムリア文明の文献を調べる過程で、レムリアの秘宝である幻獣の製造方法とプレシャスである「レムリアの兜」を発見し、その技術を利用して現在の姿になる。

ピクシブ百科事典「リュウオーン」より引用

彼は、元々人間だったのです。しかし、財宝に目がくらんだ仲間に裏切られたことから、人間を憎むようになり、人類を滅ぼすことを決意するようになったといいます。「リュウオーンが正しい!」などとは思いませんが、彼には彼なりの正義があるということです。

子供向けの番組で、そんなテーマを扱えるのが、多神教的な世界観が許される日本の素晴らしさではないかと思うのです。

結局、それぞれに正義があるんじゃない?ってことです。

人口増加と資源・食料に関する問題は、私たちも何度か耳にしたことがあります。ただし、それに対する解決策については、よく分かりません

そんななか、そうした問題の深刻性を真正面からとらえて、何とかしようとしている人たちがいても不思議ではないです。

生態系のリスク、人口の増加、資源をめぐる競争の激化といった時代において、どのように成長を見直すことができるのか、国際的な議論が急速に発展しているのです。 成長の限界に関するAPPGの目的は、この議論に貢献し、固定した仮定に挑戦し、持続可能な繁栄への新しいアプローチを探求することである。私たちは、議会での党派を超えたしっかりとした議論に貢献し、この重大な問題についてのより広い社会的な会話を刺激することを目的としています。

LIMITS TO GROWTH
「Limits Revisited」より引用(機械翻訳)

異論はあるでしょう。「彼らこそが正義!」などと、もろ手を挙げて賛同するつもりもないです。そして仮に、こうした問題の解決を図るために、超管理社会や人類の家畜化のようなものが、推し進められるとしたら、それはある種の悲劇的な出来事であるといえます。

でも、彼らには彼らなりの正義があるかもしれないということです。

うん?やり方が気に喰わない?そしたら、どうします?闘います?

そうすると「天使 vs 悪魔」みたいな戦いになります。どちらが正しいか、力で決着をつけようってことです。それじゃぁ、パワーレンジャーと一緒です。

私は、そんなの御免被ります。そんな戦いには付き合いません

私なりにその秘訣は、相手を受け入れて「和合」するということだと思っています。相手を受け入れて、意識が繋がってしまえば、あとは「自分の右腕を下げる」のと同じ感覚で、「相手の体を下げる」ことができるということです。

「「合気道」で生き残れ!」より引用

多神教的な価値観をもって接すれば、「それぞれに正義があるんじゃない?」ってことです。そして、私自身にも曲げられない正義があります。それは、こんな世界の中で、どちらかに与するようなものではありません

我関せず、我が道を往く」でいかさせていただきます。それをスッとできるのが、日本の多神教的な価値観の強みなのではないでしょうか。


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