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平和のための「武」の実践

これからの時代を乗り切るための知恵として、武術に秘められた真髄を学んでおく必要があると思っています。

「武術」と呼ぶか、「武道」と呼ぶべきかなどの差はあれ、コレ、私なりには結構ガチです。

破壊工作、陰謀の限りを尽くす人々がいるとして、その人たちに同じような破壊工作や陰謀で立ち向かっても、おそらくは勝ち目はありません。そもそも民衆である私たちに、そんな力があるとは思えません。しかし、一人一人が「武」の真髄を磨いて、やられた分だけ相手にやり返す力を持てば、その総和で彼らを倒すことができるかもしれません。
※「武道は人生道なり」より引用

仮に、陰謀論的な話が事実だったとして、それに対して「何とかしてやろう」などと思っても、所詮ムダだと思うのです。そこに必要なのは、「武」の真髄だと思います。

今回は、こちらの動画をご紹介させていただきます。武術研究家の甲野先生のものです。

時間がある方は、直接動画をご覧いただければと思います。

先生のお話の中で、いくつかポイントとなる部分をご紹介いたします。

いささかも相手を害するつもりがない
あ、助けてくださってありがとうございます
あれ、どうされました?(と言って倒す)
一流の詐欺師みたい。
一流の詐欺師って、自分が良いことをしていると思ってる
まず自分を詐欺にかける。
(中略)
自分がいかに敵意をなくしているか
敵意があると相手はすごい反応する
だからバッといくのは、もう私じゃない。
刀が体を連れていってる。
我ならざる我が如何に出るか
(中略)
引いといてこうやったって全然だめでしょ。
引くんじゃないんです。私が助かるんです。
これに感謝の念があるから。
つまり、この時この人は弱くあってほしくない。
助かって、「ありがとう」(と言って倒す)
(中略)
勝とう勝とうじゃないんです。
それを単に精神論として言うんじゃなくて、具体的に技で。
相手も不思議な感じでしょ?
「ガン」ってやられた感じじゃないっていう。

これらをまとめると、以下の通りでしょう。

1.けっして勝とうとしない。
2.相手に敵意を抱かない。
3.相手に感謝する。

えええ?これで相手が倒れる?とお思いかもしれませんが、それが本来の「武」なのだと思います。

先日、こんな記事を書かさせていただきました。いただいたコメントの内容を検証をする意味で、ひとつの記事にしています。

一応言っておきますけど、コメントで「お前みたいな頭がおかしいやつ」と言われて、私だって良い気はしてないですよ?

けど、そんなのに「お前の方が頭おかしい」なんて言っても始まりません。「俺の方が正しい」と強弁して、相手を打ち負かそうとするのも違うと思っています。例えば、いただいたコメントが本当なら、私は「知らなかったことを教えていただくことになる」わけですし、打ち負かそうなどとんでもないです。

私なりには、コメントをいただいた方に対して、上の3つのポイントは実践しているつもりです。①勝とうとせず、②敵意を抱かず、③感謝をしながら記事化しました。そのことが平和のための「武」の実践であり、負けないための術なのだと思っています。今日時点で、その方から何かしらの反応をいただいているわけではないので何とも言えませんが、少なくとも私が負けることはありません

自分からは刀を振り回さず、あくまでも相手が振り下ろしてきた刀を受け止めながら、それをそのままお返しするようなかたちです。

甲野先生が動画の中で、「輪」のお話をされています。先生なりに解説をされていますが、私の理解はこんな感じです。

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左側は、まさに「がっぷり四つ」という感じで、力と力のぶつかり合いです。どちらの力が強いかの勝負です。「権力対権力」、「策謀対策謀」の世界が、こちらのイメージです。これでは、私たちはやられるだけです。

それに対して、右側は「輪」を作って、「相手の力」をそのままお返しするものです。こうすることで、ほとんど「自分の力」を使うことなく、相手は「相手の力」によって振り回されることになります。

このときのポイントは、「輪を作ってやろう」と思っていてはダメだというところです。

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「輪」を作ろうとしたり、そのためにわざと引くような動作が入ってしまったら、引いた分だけ相手が攻め込んでくることになります。甲野先生は、「相手に悟らせずに輪を作る」とおっしゃっています。

それは、私なりの解釈でいうと、相手に気づかれないほど、小さく速い「輪」を作るということになります。ただし、達人の域になると、この「輪」が無限に小さくなるため、その「輪」が点となり、それ即ち「無我」とか「無想」ということになるのだと理解しています。そもそも「輪」を作るという意識すら消し去って、あるがままをお返しするというイメージなのでしょう。

何故、こんな話をしているかというところに話を戻します。

気づいている人は気づいていると思いますが、世界は超管理社会に向かって動いています。世界的な権力を持っている支配者層からすると、その強大な権力で、私たち一般市民を管理下に置こうとしているわけです。

これに対して、「お前、ずるいぞ!」、「嘘つくんじゃねぇ!」、「欺瞞を暴いてやるぅぅぅ!」などなど、いろいろと手を打ったところで、私たち一般市民が、到底勝てるとは思えません。同じように力で対抗してもやられてしまうだけなのです。「彼ら」は、それのスペシャリスト集団です。

じゃ、諦める?
いえいえ、そんな必要もありません。

私たちは、これをきっかけに別の生き方を見つけることができると思えば、それでいいのではないでしょうか。

もちろん、簡単にそうも割り切れないという気持ちも分かります。

実際、「彼ら」のせいで、とんでもないことが起ころうとしています。私にも、どうしたって許せないという気持ちがないわけではないです。しかし一方で、「彼ら」のおかげで、私たちは今まで想像もできなかったような新しい人生を歩むことができるかもしれません。そうだとしたら、ある意味、それは感謝にも繋がります。

そして、そうした意識こそが、「彼ら」に負けないための秘訣であり、平和のための「武」の実践なのではないかと思うのです。私たちが大真面目にそうやってると、「彼ら」が勝手にひっくり返っている・・・なんてことを真剣に考えたりしています。「武」を実践する人々の行動は、「彼ら」にとって計算外の連続になりえます。

「彼ら」の側も、一枚岩なわけではなさそうです。まだまだ、一般市民である私たちにも、いくらでもチャンスがあるのではないかと思います。

これから、これから。



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