ひとりひとりがやるっきゃない
ぎっくり腰になって、3週間・・・ですが、まだ完治に至っていません。ということで、最近は、リハビリを兼ねて、自宅近辺を散策したりなんぞしています。
体が動かないのですから、できることが限られています。だから、仕方ありません。でも、これがなかなかに楽しいのです。
家の近所のはずなのに、ちょっと一本路地に入るだけで、景色は全く違います。全然知らないところに神社があったり、立派な建物があったり、公園があったり・・・自宅からちょっと出歩いているだけなのに、妙に小旅行に出かけた気分になれるのです(笑)。
それ以外にも、数十年前、自分が幼稚園に通っていた頃、遊びに行った場所に行ってみるなんていうのも、いろいろと発見があります。
昔、田んぼが広がっていた風景は、全部、畑に変わっていました。田んぼに水を供給していた、ザリガニ釣りをした思い出もあるため池もなくなっていました。あったはずの水路も潰されてしまっています。
まだ畑がある分だけ、マシかもしれません。場所によっては、完全に宅地や公園になっているところもありました。
この数十年で、日本人の生活基盤は、かなり危うい状態に陥っていることをあらためて実感させられました。
普通に生活していると、あまり気にすることはないかもしれません。でも、日本の食を取り巻く環境は、間違いなく、大きく様変わりしてきています。
先日、こんな映画をみました。
オンライン上映もしているとのことで、時間がある方は、是非、ご覧になられてはどうかと思います。
正直、これだけをみていたら凹みます。到底、希望があるようには思えません。
5年前の私だったら、きっとそう思ったに違いありません。政府が、国民の生活を守ろうとしないなんて、言語道断です。
けれども、今は違います。これは、そういう仕組みなのです。誰が悪いとか、そんなことを言い始めてもキリがありません。
それぞれが、それぞれの立場で、それぞれの正義、やりたいこと・やるべきことを突き詰めていった結果、そういうことになる仕組みであると受け入れざるをえないと思っています。
省庁なんてものを頼って、私たちの生活や健康、命が守られるなどというのは、きっと幻想です。政府などというのが、私たちを守るために存在するだなんて、とてもではないですが、信じられなくなりました。
したがって、上に紹介した映画をみて、私が強く感じたことは、「ひとりひとりが農業をやるべき」ということです。
これから先、農作物を生産し、それを販売することで生計を立てる農家というのは、ますます厳しい状況に追い込まれることになると思います。同時に、お金さえ払えば、手軽に農作物を手に入れることができる、というのは、過去のことになると思うのです。タネを他者に抑えられるということは、そういう危険性を大いに孕んでいるという点、看過するわけにはいきません。
そうした危険が目の前にあるなか、これを回避するためには、ひとりひとりがきちんと農作物を作るという努力をしていくことが大切です。だから今、私個人は、それを進めています。
なので、映画自体は、少々、凹むような内容でしたが、私自身、小さいながらも自分で農業をしているので、それほど大きなショックはありませんでした。むしろ、「やれるもんならやってみろ」状態です。
街を歩いていると、SDGsのバッジを胸につけているおじさまとすれ違いました。どういうつもりで、それをつけているのかは知りません。もしかしたら、「バカバカしいけど、会社がつけろと言っているから」という理由かもしれないです。
でも、本当に私たちひとりひとりが持続可能な生活をしたいと思うのなら、ひとりひとりが当たり前のように農業に携わらないといけないのではないかと思えてなりません。SDGsバッジなんて、心の底からどうでもいいです。
幸いまだ少し時間的には余裕があるように感じられます。
私は、ぎっくり腰のため、もうしばらくお休みしますが、この歩みを止めるつもりはありません。家の近所ではなくなっていった風景・・・ぎっくり腰が治ったら、盛り返してみせますよぉ~~~。
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