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原罪の闇を超えて #2 『黄金の思い出』

前回

予定を調整して2週間後に会いに行く、と連絡していたのに、結局仕事の休みを取って翌日には大分へ向かっていた。
入院から2週間は面会禁止であると父から伝えられていたが、病状があまりにも深刻であるという主治医の判断で、特別に面会が許可されたのだった。

大阪から大分間、新幹線と特急の乗り継ぎで片道4時間の道のりはさすがに長過ぎると考え、神戸港から大分港へのフェリーを利用することにした。フェリーであれば夜に乗船して寝てしまえば、翌朝には目的地に着いている。
大阪に住んでいる私にとっては大阪港から別府港へのフェリーを利用するほうが簡単ではあったのだが、大阪港からのフェリーは2年前にリニューアルされ、雑魚寝で乗船する格安のプランがなくなっていた。面会のために帰省する事にはなったものの、わざわざ高いプランを利用するのは癪だと思った。また、別府港から大分市内への病院へはバスに乗る必要があり、車酔いのひどい私には電車で神戸港まで赴くほうが都合が良かった。

神戸港までの道のり、普段はあまり乗らない近鉄奈良線を利用した。昔から方向感覚が鈍いせいか、乗り込んだ車両が前後どちらへ向かうのかいつも見当がつかない。今回も例外なくその状態で、私が座った席は進行方向の逆を向いていた。
車窓から見えるターミナルに停車した他の車両が、どんどん小さくなって、次第に車窓の端からはみ出ていく。ホームを抜けて、向かいに座った乗客と、そして自分を柔らかく日差しが照らす。黄金の光に煌めく微細な塵は、陽光を反射して金属的な輝きにさえ見える。後ろに伸びていく線路と激しく加速していく車輪がぶつかり、まるで砥石で刃物を研ぐように砥粉が撒き散らされているのが、車窓から入ってきたようだった。それでも、黄金の光は温かみと華やかさを帯びていて、後ろへ進む車両が私をどこか違う場所へと引きずっていくような感覚だった。

私は似たような光景を思い出した。
それは肺炎で苦しむ祖父ではなく、父との思い出だった。
3歳になる頃には私は祖父母に預けられていたので、それよりも幼い頃だと思う。97年生まれだから、まだ90年代の大分市だっただろうか。どんな車かははっきり覚えていないが、父の運転するセダンに私は風船を片手に乗っていた。「風船から手を離すなよ」という父の言葉だけが残っている。それでも私は、今日と似たような陽光に照らされ、眠りに落ちた。気づいた頃にはもう手に風船はなかった。あまりにも朧げなその記憶は、夢だったのか、思い出だったのか、未だにわからない。

神戸港に着く頃にはすでに辺りは薄暗くなっていて、異国情緒あふれる神戸の港は不自然な静寂に包まれていた。これからもっと夜が深くなっていく。
フェリーに乗船したあと、私は考えることをやめて、海の上で眠った。

つづく

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