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【近代・後⑤】『ふしぎの国のバード』~日本が「世界史」の舞台へ上がるとき~

※ 本記事は記事シリーズ「あのマンガ、世界史でいうとどのへん?」の記事です。
※ サムネは『ふしぎの国のバード』1巻表紙より

 前後編に渡った近世の章も今回で最後です。

 長い中世を抜けて市民革命と産業革命を経たヨーロッパは大きく力を付け、19世紀の後半にもなると、そこには現代の生活にも似た「石油」と「電気」で支えられる華やかな消費活動が姿を現すほどになっていました。しかし、その生活はアジア・アフリカといった他地域の犠牲によって支えられたのであり、こうした地域格差は、現代においても未だ部分的にこの世界に残っている構図です。近世終盤には、現代の世界のすがたの原型が既に成立していたと言えるのでしょう。
 そんなタイミングで、駆け足でこの「世界史」という舞台に上がり、その後間もなく国際的に大きな影響力を持つようになる国がありました。その名は日本。この国が近代終盤以降いかに世界に触れ、この舞台に上がっていったのか、その過程を近代の章の〆として見ていきましょう。
 
 まず、この近代終盤までの日本はどのような状況だったのでしょうか。
 よく知られているとおり、時の政権である江戸幕府のもと、この国は17世紀前半より「鎖国」という政策をとっていました。具体的には、幕府による貿易の管理やキリスト教布教の規制を目的として日本との貿易権をオランダ一国に与え、この国と、現実に通商関係を断絶できなかった中国以外の国との交流を一切絶っていたのです。この歴史を小学校や中学校で学んだ時に「なんでオランダ?」と思った方も多いかと思いますが、鎖国を開始した時期のヨーロッパは大航海時代です。そしてこの時代に、通商の覇権はポルトガル→スペイン→オランダ→イギリスと移っていった・・・という話を『ダンピアのおいしい冒険』のページでしたと思いますが、鎖国が始まる時期はちょうどオランダが強いタイミングだったのです。

 しかし、ヨーロッパと他地域の関わりが主に通商関係に留まっていた大航海時代も終わり、急速に力を付けたヨーロッパは、やがて他地域への軍事的侵略・植民地化を本格化させます(帝国主義)。このような強硬手段の先鞭がペリーの黒船であり、もはや鎖国では自国の安寧を護ることができないと気づき始めた日本は、外国と付き合うか追い払うか、江戸幕府という体制を続けるか否かで大騒ぎに。この日本史の中でも人気の高い幕末期を経て、日本は幕府を畳み、不平等な条件を押し付けられながらも外国との付き合いを再開することを決断。曲がりなりにも、自ら「世界史」の舞台に上がるのです。
 あとから振り返ってみると、この決断は結果的に、日本という国を存続させるための大きな分岐点となったことが分かります。イギリスからの通商関係構築の勧誘を断り続けた中国は、アヘン戦争をきっかけに植民地化の一途に。同じく鎖国を継続した朝鮮は、開国後ヨーロッパの文化・技術を取り入れ急速に国力を伸ばした日本から、植民地化のターゲットとされるようになります。19世紀末には日本は中国にすら軍事力を行使するようになっていき、これまで東アジア世界を通貫してきた「中華」という世界観は、ここに完全に崩壊するのです。
 
 そんな「世界史」への登場、その極めて初期の段階の日本を捉えた作品が、佐々大河先生作『ふしぎの国のバード』です。主人公は実在したイギリス人女性冒険家であるイザベラ・バード。彼女は1878年に実際に横浜から北海道まで旅をしているのですが、この旅を彼女自身による記録に基づき、かつフィクションも一部交えながら描く作品です。

 1878年というと、江戸幕府が倒れて明治時代になってからまだ10年程。明治時代になって以降、日本は帝国主義一色であった世界の舞台で生き残るべく急速に欧米化していくわけですが、この頃は未だこの動きも本格化しておらず、語弊を恐れずいうならば「純なる日本」がまだ残っています。それは江戸時代から残る日本が誇るべき独自文化であったり、あるいは極めて劣悪な衛生状態をはじめとした改善されるべき環境であったりと、良いところも悪いところもあるわけですが、いずれにしてもその「純なる日本」は、私たちの知る我が国とは全く違う姿をしていて、もはや私たち現代日本人にとっても「異世界」なのです。だから、その世界の在り様を見てイギリス人であるバードは作中で驚いてばかりいるのですが、本作を読む私たちもまた、私たちは日本人であるにもかかわらず、むしろバードと同じようなリアクションになってしまう。そして、バードのほうに感情移入してしまう。そんなある意味「倒錯」とも言える体験をさせてくれる作品です。
 この「倒錯」は、日本という国が「世界史」という舞台に上がって以降いかにその在り様を大きく変えてしまったか、その証左と言えるものであるわけですが、この倒錯に感じるべきは感慨深さか誇りか、はたまた一抹の哀しさか。それは、この作品の読者一人一人に委ねられるのでしょう。


次回:【現代①】『白い艦隊』~黒船の来航、そして「白船」の来航~


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