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【現代④】『月と金のシャングリラ』~「中華」の復権とその影~

※ 本記事は記事シリーズ「あのマンガ、世界史でいうとどのへん?」の記事です。
※ サムネは『月と金のシャングリラ』1巻表紙より

 『満州アヘンスクワッド』のページで見たとおり、19世紀前半のアヘンの導入以降、帝国主義の被害者として蹂躙されてきた中国。第一次世界大戦以降はその侵略国は日本に絞られ、1932年には日中戦争が勃発します。

 この頃一応中華民国の統治下にあった中国ですが、日本軍の侵略を差し引いても、中国はかなり深刻な状態にありました。それは権力を握る国民党と、この頃台頭しつつあった社会主義(の一思想である共産主義)を掲げる共産党による内戦です。

 第一次世界大戦の終結後、中華民国が列強の勢力圏を軍事活動で徐々に取り戻していくフェーズでは両者は協力していました。しかしこれが一定の進捗を見ると、国民党は思想上相いれない共産党の弾圧を不意打ちで開始。もちろん共産党の反抗は凄まじく、中国は日本軍の侵略と内戦が同時並行で起こっているという困難な時代に入ります。

 さすがにこの内憂外患の状況は両者にとって厳しいものであり、その後国民党と共産党は日本軍撃退のため再び共闘体制を構築しますが、いざ抗日戦争に勝利すると再び対立関係に。しかしこの頃になると、共産党はその長年の草の根活動を通して国民党を上回る支持を得ており、遂に国民党に勝利するのです。国民党は台湾に逃げてそこで中華民国を存続させる一方、共産党は1949年に「中華人民共和国」を建国します。言うまでもなく、この国が現代において一般に「中国」とされている国です。

 中国は、その後共産主義の大国として、その主義に沿った改革を進めます。具体的には、地主制度を廃止して農民に土地を分配し、また銀行や大企業を国有化するなど、「私有財産を廃止し、これを人々に平等に分け与える」共産主義政策を着実に実施するのですが、この政策が3000万人とも言われる餓死者を出す等大失政に。その後は個人営業の認可や外資導入など資本主義的な体制を徐々に導入し、結局これが功を成します。以後中国の経済は飛躍的に成長し、2010年には日本を抜いて世界第二の経済大国に。Huaweiなど世界を代表する企業を多数輩出するなど、華々しい繁栄を謳歌することとなります。「世界史」の舞台において長きにわたり大国として君臨していた中国は、現代において遂に返り咲きを見せるのです。

  
 一方で、こうした「大国としての返り咲き」という歴史は、現代中国の動きに対して一定の副作用を与えています。

 一つは、返り咲きまでの100年以上の屈辱の歴史を背景とした、国際社会レジームへの猜疑心。言ってしまえば「なめられる」ことで侵略の憂き目にあった中国にとって、国際社会は協調の場ではなく、「立ち遅れればやられる」という弱肉強食の世界。このスタンスは、ここ数年急激に顕在化した米中間の政治的・経済的対立や中国の威圧的外交に対しても一役買っていると言えるでしょう。

 そしてもう一つは、そうしたスタンスが内側に向かった結果としての強いナショナリズムです。もともとこの国は「中華」(世界の中心で咲き誇る)を自称してきたとおり、自国、もっというと漢民族の孤高さに対して強い自負を持っています。だから、この弱肉強食の世界は漢民族の素晴らしさを前面に押し出すことでこそ勝ち抜くことができる、そういうナショナリズムが前面に押し出されていくのですが、その結果顕在化したのが、国内に多数存在する少数民族との対立です。「漢民族としての挙国一致」の旗のもと進められる漢語中心の教育、そして現地の宗教活動への規制は反発を招き、2008年以降、チベットやウイグルにて争乱が発生。そしてウイグルについては、この争乱抑圧の一環として隔離収容や強制労働が現地の人々に対して行われているとされています。そういう影を纏いながら、大国中国は今でもその力を伸ばし続けているのです。

 

 そんな中国の再起を、日本人にとっては必ずしも馴染みの深くない視点から捉えた作品が、蔵西先生作『月と金のシャングリラ』です。時は1945年。ちょうど日本が敗戦したその年に、チベットを舞台にして物語は始まります。

 主人公は少年ダワ。父とともに終わりの見えない旅をしていた彼なのですが、とある僧院を訪問した際に父は突然彼を残して一人去ってしまい、残されたダワはその僧院で見習い僧として生きることになります。最初は帰らぬ父に思いを巡らせていた彼でしたが、徐々に友人を得、やがて僧としての人生を受け入れるように。また彼は、父への思いと入れ替わるようにして、僧院に来たころから自分を支えてくれた同年代の僧ドルジェに、いつしか淡い恋心を抱くようになっていました。しかし、ちょうどこの頃ではるか東方で「中華人民共和国」が成立。その手が、チベットに確実に迫りつつあったのです。

  あらゆる意味で本作の素晴らしさを支えているのが、現地の宗教・文化を描写するその筆致の精緻さです。チベットで信奉されているのは日本と同じく仏教ですが、そこには私たちの知る仏教とはまた違った景色が広がっていて、例えば作中ではどちらかというとインドを思わせるような意匠や服装、絵画が目に入ります。しかしあくまで仏教文化ですので、ヒンドゥー教を信奉しているインドそのものではなく、独特の祭事や食事が描かれるなど、独自の世界観がそこには成立しています。そしてそれを描く非常に細かい、美しい画によって、その独自の世界が強い臨場感をもって立ち現れてくる。読んでいると、私たちの現実世界とは別のファンタジー世界のお話を読んでいるかのような、そんな感覚を覚える作品です。

 そして、だからこそ、作品後半で「中国」という現実がこの世界に姿を現したときの、その衝撃がいっそう大きくなるのです。そう、ここはファンタジー世界でも、遠い世界でも何でもない。ここはつい80年程前の中央アジアなのであり、この箱庭のような世界に届いたかの大国の手は、今もこの世界を脅かしている。そういう報道などで目にする現実が、ファンタジーであったかに見えたこの世界に一気に殴りこんでくる。そういう衝撃を私たちに覚えさせる作品です。

 またこの衝撃は、中国の手が主人公ダワの運命に大きな影響を与えてしまうことで、さらに強く私たちの心を揺るがします。ダワとドルジェの関係はどうなるのか。なぜ、ダワは父に取り残されたのか。そもそも、ダワはどこから来たのか。本作はそういう物語の核心に、この時代の歴史が巧みに織り交ぜられる設定になっていまして、ゆえにダワの半生を追い、ダワが自分の居場所を再び見つけることを応援してしまう私たち読者にとって、その歴史はもはや他人事にはなりえないのです。

 今もなおかの地で続いているこの事件が突然私たちの身に迫ってくる、そういう凄み。ヒューマンドラマ、あるいはBLジャンルとしても素晴らしい作品だと思いますが、そういうもう一つの意義も強調したい作品です。

次回:【現代⑤】『東独にいた』~冷戦末期、斜陽の国家と行き止まりの恋~


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