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背広

歯医者に行かなくちゃいけないんだ、と少し不安そうな様子に、大丈夫、いっしょに行くよ、と言ってわたしは父と出かける。新幹線のような、列車で行く。
父は背広姿で、まだそれが似合う年頃だ。背広というのは働く人の衣装だから、リタイアして時の経つような人にはもう似合わない。
わたしは父が40代の時に生まれた。わたしにとっての父は常に壮年というような年頃で、贔屓目でもあろうがわりと若く見える人ではあったけれど、若いパパ、という記憶はない。そのかわり、いつもスーツ姿のしゅっとした人だった。

従姉妹だか伯父だかが居て、わたしたちは大家族で暮らしている。父とわたしは共に出かけ、その列車内ではたと、あれ今日は冬至か、と気づく。そういえば街がざわついていたようにも思う。忘れて出かけちゃったな、まあ夕方お札もらいにいけばいいか。列車は貨物駅のようなところに止まった。あれ、でも、冬至であるわけがない。5月だもの。
わたしは手中のスマホを繰り、あてはまる二十四節気か、七十二候かがあるか調べるが、これだというものが出てこない。腑に落ちないグレーの雲が抱えきれない大きさになったところで、目が覚めた。今日は父を大学病院に連れて行くのだ。急いで仕度しなくては。

体幹が肝要、とかいうけれど、それがそこなわれるとどうなるかを実感するのは難しい。年老いた父は、自分で自分を支える筋力が弱まり、椅子に座っていても体が左右に傾いてくることがある。傾いた側の脇腹にクッションをあて、なんとか体勢を保つ。わたしは意地がわるいから、ほらもっと体を起こして座って、体幹を保たないとこうなるよ、と母に言う。昼のあいだずっと父と過ごしてくれる母に、言うべきことは感謝の言葉だけでよいはずなのに、どうもそれができない。憎まれ口はいくらでも出てくる。こういうところは父に似たのだと思う。

今朝方は歩いて列車に乗り込んだ父だが、今は立位を保つことも難しい。どうにかこうにか外出用の車椅子に父を座らせて、表へ出る。暑くもなく、寒くもない。久しぶりだね一緒に出かけるのは、と言いながら椅子を押す。
数年前、首を痛めたのをきっかけに、急に自身の身体への意識が目覚めた。なるべく常に姿勢を意識する。ピラティスを始めた。筋トレはサボりがち。それでも車椅子を押すときは、背筋を伸ばして押す。鳩尾のあたりから前進する。その方が疲れない。
途中で椅子を押す手をとめて、サングラスをかける。先に歩く母に追いついて、追い越す。時々振り返って白い帽子の母を待つ。
背広の似合わなくなった父と、少し歩くのが遅くなった母。夢ばかりみているわたし。小さな家族の、5月。



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