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大きな鳥も小さな鳥も

人は誰も通学路というものを持っていて、お気に入りの寄り道やまわり道を友のひとりとして学生時代を過ごす。
沈丁花の香りのもとを探して、遠回りした春の記憶。
そんな時は遥かむかしに終えたはずなのに、私は未だに親元から自宅へと通学するように通う。その中の細い路地に紅白梅がある。

さして太い木ではないが、縦横に枝を伸ばし、紅梅は細かな一重の花が、白梅はやや大ぶりなそれが毎年咲く。
ことしは展示の関係で開花の頃を見逃した。今日しばらくぶりに通ると、もう満開だ。しばし立ち止まって見上げる。
先客は小鳥たち。大きな鳥も小さな鳥も一心に花の蜜を求めて枝から枝へとうつり、私のことなど全く意に介さない。
去年の花、ことしの花。
桜でなくとも、さまざまのことを思い返す。

あのとき、を通り過ぎて今、この花を見上げている。


梅の路地の少し手前にはミモザの家がある。
一度深く切り戻された枝から、また新たな花芽が伸び、こちらも五分咲きまできた。焼緑青色の葉の中に、黄色でしかない黄色の花がふわふわと揺れる。
笑うことも嘆くことも、叱責することもなく植物は前へ進む。煩悶するヒトの通学路は、梢を見上げる時間と一体だ。


鳥たちのように無心に生きられたら。蜜を求めて、枝を揺らして。また次の春まで。



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