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私ときどきレッサーパンダ - 【生理現象のタブー視】と【血縁の呪縛】からの解放

今、ディズニーが揺れています。

ディズニーがフロリダ州の’’ゲイと言ってはいけない法案’’を推進する議員に多額の献金をしている事に対し、内外部から抗議を受けディズニーCEOボブ・チャペックが謝罪。その過程で子会社であるピクサー社員から、ディズニーが過去からピクサー作品の同性愛描写を一方的に削除した事が暴露されました。「従来からLGBT+コミュニティをサポートしてきた」というディズニー側の声明が上っ面だけだったと言う事が明らかになり、抗議も虚しく一方的に作品を検閲され続けたピクサー側に同情の声が集まっています。

そんな折にDisney+で配信開始したのがピクサー最新作『私ときどきレッサーパンダ』。『ソウルフル・ワールド』『あの夏のルカ』に続き劇場公開が見送られた事はとても残念ですが、これが本当に素晴らしかった。
ピクサー映画史上最高に笑えるコメディ色全開の作品ながら、そこに描かれる普遍的な物語はあらゆる層にとって救いとなる力が詰まっています。
奇しくもこの作品は’’子が親に反抗する映画’’であり、’’変化を受け入れることの大切さ’’というテーマが込められた作品でもありました。親会社であるディズニーに、子会社のピクサーが「多様性を受け入れてくれ」と反旗を翻した実社会の現状と不思議なくらいに重なります。

また本作は配信限定というだけでなく、リリース前から差別的なレビューに苦しめられていました。曰く「ピクサーの作品は広い層の観客に向けて作られるものもあるが、この映画のターゲットは非常に特殊で限定的だ。あなたがそのターゲット層なら楽しめるかもしれないが、私は違うので観ていて疲れた」と。投稿したのは大手映画メディアCinemaBlendのマネージャーです。
はっきり言って「本当にこの映画を観たのか?」というトンチキレビューです。この映画で描かれるのは<思春期に訪れる変化への戸惑いと受容>です。あらゆる層に共感される内容で、たまたま主人公がアジア系カナダ人というだけ。

断言しますが『私ときどきレッサーパンダ』は人種も性別も年齢も関係なく楽しめる作品です。爆笑させてくれるだけでなく、そこに内包されるメッセージはあなたや、あなたの子どもの未来を良い方向に導いてくれるかもしれない。偏見や境遇に左右されず一人でも多くの人にこの素晴らしい作品が届いてくれる事を心から願って、以下に本作の魅力を書き記していきます。
※基本的にネタバレ無しですが、ぼんやりラストの方向性は少し書いているので未見の方は要注意。

本作のポスター。3.11劇場公開となっているのが辛い…。

【作品情報】
監督・脚本:ドミー・シー
キャスト:ロザリー・チャン、サンドラ・オー、アヴァ・モース他
上映時間:100分
あらすじ:トロントに住む13歳の中国系カナダ人の少女メイ。真面目で頑張り屋な彼女は中国の伝統を重んじる母親の期待に応えながらも、気の置けないオタク仲間と共に楽しい学生生活を謳歌していた。そんなある日、彼女に心の変化が訪れる。急に男子が魅力的に見えてきたのだ。その気持ちを解き放とうと秘密のノートに気になる男子と自分がイチャつく絵を書くが、不運な事にそれが皆にバレてしまう。メイは羞恥心で悶え苦しみながら眠りにつくが、翌日目覚めると何故か巨大でモフモフ、オマケにちょっと臭いレッサーパンダになっていた。果たしてメイは人間に戻り平穏な学生生活を取り戻せるのかー。

本作のメガホンを取ったのは『インクレディブル・ファミリー』と同時上映された短編アニメ『Bao バオ』でアカデミー賞短編アニメ映画賞を受賞したドミー・シー。今作が長編初監督となるドミーをはじめ、本作のクリエイティブチームはリーダーが全て女性というピクサー史上初の作品です。そんな女性チームだからこそ描けた表現や展開もあって、今までのピクサーアニメとは一線を画す作風は観ていてとても新鮮です。

本作は中国系カナダ人というドミーの2002年頃の少女時代が強く投影されており、ドミー以外のプロジェクトメンバーの経験や見た目も物語やキャラクターに反映されているそうです。メイたちの丸っこくてオタク丸出しの親しみやすい造形はそういうところから生まれているんですね。
2002年頃に皆んなが夢中になっていたボーイズバンドも、劇中に登場するアイドルグループ「4☆Town(フォータウン)」として見事に再現されています。(因みに予告編ではバックストリート・ボーイズやNSYNCの曲が使われていました)あの頃っぽい曲の再現度が凄いと思ったら作曲はビリー・アイリッシュ&フィニアス兄妹なんですね。すごい。

4☆Townのメンバー。K-POPアイドルの影響も感じさせます。

ドミーは子供の頃から日本のアニメ作品にゾッコンだったらしく、主人公のメイと同様秘密のスケッチブックにアニメキャラのファンアートを描いていたそうです。そんな背景もあって本作は「美少女戦士セーラームーン」や「らんま1/2」のような日本のアニメ作品から強い影響を受けており、本作のメイキング映像でも「日本のアニメっぽくしたい」という監督の意向が語られています。もちろん映像的にも骨組み的にもしっかりピクサー作品なのですが、そこに時々顔を出す日本アニメっぽさは何となく感じ取ることが出来て不思議な親近感を覚えます。

前置きが長くなりましたがここからが本題です。

◆孤独を感じる思春期の子どもに向けられた「大丈夫」

「少女がある日突然巨大なレッサーパンダに変身してしまう」という荒唐無稽なプロットラインですが、そこには〈変化を受け入れ、どんな自分でも愛していこう〉という普遍かつ広義的なテーマが込められています。一風変わったプロットとタイトルに反し、思春期を迎えた13歳の少女が成長する中で真の自分と向き合おうとする、至極シンプルでとても身近な話なのです。

主人公メイが変身するレッサーパンダ、それは思春期に訪れる身体と心の変化を象徴しています。気付かぬうちに身体は大きく毛深くなり、体臭も何だか違う。今まで何て事なかった相手に性的興奮を覚え、気持ちもどこか反抗的になる。その変化は男女共通でしょう。それが単純にレッサーパンダとして描かれているだけ。文字だけ見ると?ですが。

はじめてレッサーパンダになって戸惑うメイ

序盤で様子がおかしいメイを心配した母親はもしかすると初潮では?と疑い娘にナプキンを渡します。そのシーンに序盤から度肝を抜かれました。今まで生理のことを扱った子ども向けアニメなんて殆どなかったのに、それがこんなライトに描かれるなんて。
でも考えると不思議ですよね。女性なら誰しもが経験するのにタブー視されて殆ど描かれてこなかったなんて。でもドミー監督はだからこそこのシーンを描きたかったとインタビューで語っています。意訳ですが彼女が語った内容を以下に記載します。

「生理の話は映画やテレビではあまり見かけませんよね。だからこそ私たちはこの映画を作りたかったんです。この作品では13才の頃の私がバスルームで漏らしてしまったと思い、驚愕するシーンが比喩的に描かれています。
怖くてお母さんに言えなかったし、誰にも聞けなかった。女の子なら誰しも経験する事なのに、その事を聞いたり話したりしないのは不思議ですよね。私だけかも、ってとても孤独に感じた瞬間です。だからそんな女の子たちに、こんな風に見られているんだって感じて欲しいと思ったんです。そして男の子も思春期に大きな変化を迎えますよね。ただ成長するだけじゃなく(血じゃない)別の液体を経験したり。
私は思春期を描いたリアルな物語を作りたかったんです。チームの皆と思春期の頃の経験を共有するといつも生理や、混乱し恥ずかしかった思い出の話になるんです。思春期の女の子について語るなら生理の話をしなければいけない。人魚に変な幻想を抱く話もしないといけないし、そういう事が10代の女の子の物語を語る上でとても重要だと思います。」

https://uproxx.com/movies/domee-shi-turning-red/

別の液体(原文ではother liquids)という言い方に笑っちゃいましたが要は精通ですよね。女性の生理と同様男性もなんだこれ…!?となった記憶があると思います。
でもそのような生理現象は決してフランクには語られない。そんなタブー視が時に身体に起こる変化を恐ろしいものに変えてしまいます。突然自分に訪れた見聞きした事がない異常。もしかして自分だけかもと思い戸惑い、誰にも言えない日々を過ごしたのは女性だけでは無いでしょう。

今作はそんな思春期の体と心の変化に怯え、孤独を感じていた大勢の子どもたちに優しく寄り添ってくれます。「君だけじゃないよ、大丈夫」と。レッサーパンダは思春期の象徴であり、生理や精通、性欲や体毛の増加等のメタファーでもある訳です。それは誰にでも訪れる変化。あなただってかつてレッサーパンダだったはず。

本作はあらゆる層に愛される作品だと思いますが、特にこれから思春期を迎える/迎えている子どもとその親に観て貰いたい。もしかしたら内なるレッサーパンダに悩んでいるその子の救いになってくれるかもしれないし、本作がそれまでタブー視されてきた''その話題''に風穴を開ける切っ掛けとなってくれるかもしれない。この作品が持つエネルギーや笑いの数々は変な気まずさも悩みもきっと吹き飛ばしてくれるはずです。

◆繰り返し描かれてきた「血の繋がり」という呪いからの解放

本作の導入はメキシコを舞台にしたピクサー作品『リメンバー・ミー』とよく似ています。共に伝統や血の繋がりを重んじる家系で、先祖を敬い、親が子どもに干渉過多なところも一緒。一般的な感覚で言えばどちらも完全に毒親です。
二人の主人公は親の期待に応えようと頑張りますが、共に家族には言えない秘密を抱えています。その秘密が物語を大きく動かしていく訳ですがこの2作には決定的な違いがあります。それは’’血の繋がり’’の捉え方。
『リメンバー・ミー』は最終的に’’家族とは何よりも大切な繋がりで、一番の居場所’’というメッセージを打ち出していましたが、それに対し『私ときどきレッサーパンダ』は’’家族以外にだって居場所はある’’と明示しています。

『リメンバー・ミー』は作品として非常に評価が高く、自分も好きな作品ですが一部からは家族=血の繋がりに固執しすぎているというという批判もありました。直近劇場公開され、現在Disney+で配信されている『ミラベルと魔法だらけの家』も同様です。
全編通して家族は素晴らしい、家族ほど尊く強固な繋がりはないと訴えかけますが、哀しいことに現実社会では必ずしもそうとは限りません。親に苦しめられて育ってきた人も大勢いますし、時に血の繋がりは呪縛にもなり得ます。

メイとその親友たち。本当に愛おしい関係性です。

一方『私ときどきレッサーパンダ』の主人公メイには家族よりも強い繋がりを感じている3人の親友がいます。時に衝突することもあるけれど、同じ価値観や秘密を共有し自分よりも大切に思える尊い存在です。「レッサーパンダでも、そうじゃなくても大好きだよ」とありのままを受け入れてくれる親友たちの存在は唯一無二の居場所であり続けます。
もちろんピクサー作品なので苦い結末になる事はなく毒々しい親子関係にもきちんと救いは用意されているのですが、それでも''家族だけが居場所じゃない''というメッセージは最後まで残り続けます。例えばメイがこの先家族と仲違いしたとしてもきっと彼女は大丈夫。最高の親友たちがいるんだから。

本作は親子関係を描く作品でありながら、これまでディズニー/ピクサーアニメが描いてきた''血の繋がりは何者にも変え難い絆''という鎖を断ち切ったのです。断ち切ったと言っても親子愛を尊重しつつ、かけがえのない居場所は他にもあるという事を示してくれた、という事ですが。
本作は『リメンバー・ミー』や『ミラベルの魔法だらけの家』が無理だった人に心底お薦めします。''居場所は家族だけとは限らない''という優しいメッセージは、家族関係に傷ついた人を少しだけ癒してくれるかもしれません。


自分が本作で特に凄いと思ったのが以上の2点です。本当はまだまだ語り足りない部分もあるのですが、その他の山ほどある魅力は是非映画を観てその目で確かめてください。

本稿で『私ときどきレッサーパンダ』の魅力が少しでも伝わる事を願います。観てね!

では。

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