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エッセイ | いつのまにカーネーション

実家に住んでいた頃に、道を挟んだ向かいに花農家の住む家があった。今もそこには花農家の方が暮らしているのだけれど、以前はそこにおばあさんも住んでいた。

そのおばあさんは何歳なのかは分からず、腰が曲がっていてもシルバーカーを押しながら元気に歩いている姿をよく見かけた。

家の前にある道をシルバーカーを押しながら行ったり来たりし、たまに疲れたのかシルバーカーに座って休憩していることもあった。

そんなおばあさんだが、年に何度かシルバーカーにどっさりと花を積んで歩いている時があった。時期は忘れてしまったが、決まった時期があるわけではなかった気がする。

私が家の中から外を見ていると、おばあさんがうちの庭先にシルバーカーを止め、花束を持って歩いてきた。


家のチャイムが鳴り、扉を開けると、当時小学生だった私よりも小さなおばあさんが立っていた。曲がった腰が伸びれば私よりも大きいのだろうが、思ったよりも小さく見えてしまう。

「出荷できない花があるからね、みなへ配っているんだ。よかったらもらってよ」とおばあさんは笑いながら手に持った花束を差し出してきた。

その花束はカーネーションで、その時も、今でもあんなに大量のカーネーションは見たことがない。

「すごい! こんなにもらっていいの?」私が驚いていると「ダメな花だからね、お金にならないんだ。でもキレイだろ」と笑っている。

私の後ろから母も現れ、一緒になって驚き、お礼を言っていた。


もらった花束を少しの間は花束のままで飾っていたが、ちょっとずつ花が枯れ始めると、母がまだ元気な花だけを使っていけ直していた。

いけたカーネーションはまたキレイで、ただ当時の私には花をキレイと思える感性はなかったのだが、リビングや玄関に飾られていた。

1カ月ほどたつと、再びおばあさんが花束を持ってきてくれた。
「また花が余ったからね、もらってくれると助かるよ」そう言って花束を差し出してくる。

私が花束を受け取ると、おばあさんは玄関に飾っていたカーネーションのいけ花に気付いたようで、近づいて眺め始める。

「これはうちの花かい? こんなキレイによく咲かせてもらって、うれしいね」そう言いながら顔のシワがより多くなる。


いつの間にかおばあさんは亡くなっていた。思い出す時は決まって「いつの間にか」と感じてしまうものかもしれない。

実際にはおばあさんが亡くなったことは覚えている。ただ、時期までは覚えていない。

近所の人が夜中にやって来て、おばあさんが亡くなったことを教えてくれたのだ。

「悲しいけれど、大往生だから」と言う声が玄関から聞こえてきた。

それまでは私の家において、母の日にカーネーションを贈ることはなかった。1回だけおばあさんからカーネーションをもらう時期が重なってしまい、母にあげたカーネーションがかすんで見えてしまったからだ。

カーネーションを見ると、つい思い出してしまう。



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