『ノート18日目~「自分で考えろ」の無責任さ~』

「自分で考えて行動しろ」よく聞く言葉でもある、

部活の顧問からも、会社の上司からも同じような事を言われた。

思うに、自分で考えろ、は無能な人ほどよく使う。
両方とも、尊敬されているような人ではなかった。

こんなことも、よく言われた。
「自分は嫌われてもいいから、厳しく育ててやる。」
という考え方は言い訳だと、ずっと思っている。

考えたところで、その人の思う「正しい答え」でなければ、怒られたり呆れられたりする。
答え探しの間はその人の機嫌を伺うだけの人生で無駄な時間だ。

正しい答えがあるのなら、初めからそれを伝えればいい。
そして、その答えが正しいかどうかを、考えさせるべきだと思う。

自分の正解に自信ないがが故の虚栄なのか、はたまた自分の正解に自信があるが故の傲慢さなのか。

どちらにせよ、自分の中での正しい答え、を考えさせるなど、自分が教育してやっている、という気持ちを満たしたい、という教育についてまるで勘違いしている無責任な人がやることだ。


対象より長く生きていれば偉い、何ていう「正しさ」は間違いなく、「間違い」だ。

もちろん、自分の中に正解を持つことを否定している訳ではない。
むしろ大切だと思う。

自分で考えることも本当に大事だと思う。

ある人の中だけの答えが決まっていることを、考えさせる無駄な作業を止めろという話だ。






なんか若いなぁと思われそうな戯れ言をだらだらと書いてしまったが、

総括するとつまり、上司ファッキュー(中指)

私は寝る。




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