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久々に床を感じた曲、さとりモンスター「teenage」について

 床(ゆか)とは、建物の内部空間の各階下面に位置する水平で平らな板状の構造物。上面に位置する天井とは対になり柱や壁で結ばれる。

床 - Wikipedia


 色々な音楽を聴いていると、ときどき出会うことがある。
 尋常じゃないくらいの執着と、一音目から脱力感を感じて溶けてしまいそうになるような曲に。

 ただただ脳は焼け、力は抜け。
 それでも歌詞やメロディ、その日がライブならステージ上の光景は鮮明に浮かび上がるような感覚。


 普段「床になった」「床曲」「嗚呼…群青的世界"星"前奏…我即床余裕…」とか言ってるオタクの言葉を文字に起こすと、だいたいこういうことなんだろう。


 そんな突き刺さり方をした久々の曲が、さとりモンスターの「teenage」

この日は普段入場するときみたいに「お目当ては?」って聞かれなかったけどもし聞かれてたら迷わずに「さとりモンスターの『teenage』を聴きにきました!」って言ってたと思う。それくらい何か自分の中の大事なツボを突いてきた曲を、最速で聴ける機会を逃すのは嫌だなと思った。

Log_2023.03.part1|ぴぃ高ちゃん|note


 だいぶ参加を渋っていたサーキットフェス、アイドライズに行こう、という決意を固めたのはあまりに刺さったこの「過去にそれなりの熱量で触れてきたバンド・コンテンツのエッセンスを絞ってここに置いてきたような曲」のせいだったりする。


 彼女たちに出会って片手で数えられる月数しか経っていない僕だけれど、この曲の良さとかツボを、自分の言葉で残しておいて、あわよくばコレを見た誰かに聴いてもらいたい、聴きに来てほしいという気持ちを込めてこの先を書かせて貰いたい。


・永遠「の」アンチ


「永遠」って概念が、本当に苦手。

 どれくらい嫌いかというと、英作文で「forever」という単語を絶対に使わないようにしていたり、心酔していたとある声優育成コンテンツのテーマソングのタイトルが「Forever Friends」なことを、コンテンツの死の直前まで嫌がったり、曲を聴いてふと耳に入ると身構えてしまったりするくらいには苦手。

 それくらいの拗らせを発症すると、永遠という言葉を、永遠というものが「そもそも無い」こと、「ずっと続くように見えて、実は一時的なもの、独りよがりだ」ということを分かったうえで綴られたような言葉は、かえって美しく見えてしまう。


 僕が執心しているロックバンド、Base Ball Bearの現状での最新曲、「海になりたいpart.3」。


 この曲の最後のフレーズにも「永遠」が含まれている。

 踏み込むペダル 歪む文学
 轟いてくれ よくきいててくれ
 永遠に続く 片想いだとしても

Base Ball Bear「海になりたい Part.3」


 けれどこの曲においては「音を鳴らす、詩を書く」という「手を止めてしまえは終わってしまうことが分かっている行為」を前提として、「永遠」という言葉を使っている。(ここに「片想い」という単語を重ね、聴く人の視点を多重に膨らませるのは小出祐介という神の所業、というのは別で話すとして)


 話を戻して「teenage」。その最初かつ、最強のフレーズがこちら。

 永遠じゃない 
 僕らただ 
 海を見つめてた

山頭火


 右端のスペースに「山頭火」と書いても違和感が無いくらい綺麗な並び。僕がプレバト?(←みたことない)の俳句ババア(←ツイッタでよくみる)だったら文句なしで100点を付けて逆に弟子入りするレベル。


 永遠という曖昧なくせに、他に何も例える言葉がない絶対的なパワーを「じゃない」といの1番に真っ向から否定しつつ、横に並んで海を見つめる「僕ら」のシルエットが頭に浮かんでくる。


 拗らせて、イロモノ好きで、なかなか素直にものを良いと言わないこんな人間の偏った気持ちにすっと寄せてくる一フレーズ目。

 「何を聴こう」「どこを聴こう」とかいう聴きどころを考えることなく、「teenage」の約4分に浸って良いという通行許可証をノータイムで出してくれているような感覚を与えてくれる。

 永遠「の」アンチのような立ち位置に居る人間に対して、それを真っ先に否定してくれる安心感。ここから感情が爆発することを分かっていながら再生ボタンのワンプッシュをやめられない理由はここにある。



・直近の床曲から紐解く曲の癖~「DIARY KEY」


 1年に1回あるかないかのペースの刺さり方をする曲、では直近でこの曲と同じくらいの刺さり方をしたものは何か、というとこの曲に行き当たる。


 Base Ball Bearの「DIARY KEY」。


 コロコロ変わるTwitterのbioの一行目はこの曲の歌詞だということに気付いている人が何人居るだろうか。ごめん、友達居ないから森くん以外誰も気づいてないわ……


 声優、キャラクターコンテンツ、アイドル、ロック。どんなジャンルの音楽の話をしても僕が絶対に引き合いに出すせいで、僕のことを知っている人は「またBase Ball Bearか……」となっていることだろう。さっきも出てきたし。仕方ないじゃん。音楽の物差しになっているくらいには好きだし、そんなバンドの曲に引けを取らないくらい良い曲と出会ったので。


 この「DIARY KEY」。

 いくら趣味、興味が移り変わろうとも、10年以上耳元で連れ添ってきたロックバンドの20年というキャリアの粋(すい)を集めた曲。その好きな要素を紐解いていくと、「teenage」のそれと結構ダブるところがある。このデジャブこそが僕が思うこの曲の聴きどころと言って差し支えない。

 まずはなんといっても、全体を貫く歌詞の雰囲気。

 曲の主人公の性別とか、どこの風景なんだとかという、「歌詞を物語にするパーツ」はぼんやりしつつも、それでいてスナップショットのように風景はパッと浮かび上がる、曲の中の当事者としてスッと入り込める余地がある言葉選び。近くのもの≒自分へのピントは合わないけど遠くには合うような歌詞がとても良い。


急に雨が降ると知ってたら
白い靴なんて履かなかった
散々だった日
歌う自転車 通り過ぎる
"Tomorrow never knows"

Base Ball Bear 「DIARY KEY」

海岸線のキャンバスで
カラフルな傘が踊る
覗き込んだ防波堤
胸が痛くて
言葉が出なくて

さとりモンスター「teenage」


 自転車に乗ってMr.Childrenを歌いながら帰った雨上がりの商店街だったり、家の近くの港の防波堤の上をバランスを取りながら歩いた帰り道だったり。

 パッと記憶とか知識の中から掘り出せる風景に、そのとき自分は、どう思っていたかをふと考えさせる余白。あの頃、書いていないはずの日記の鍵を探し当てるように詞が進んでいく。


 そして音。

 Aメロの歌い出しから中盤、前者はドラムとベースのいわゆるリズム隊だけ、後者はギター一本。そこに徐々に歪んだ音が重なっていき、サビに向けてビルドアップしていく。

 よくある作りに見えるけど、この「徐々に重なっていく音」は多すぎても少なすぎても良くなくて、過不足のない塩梅で作られているのが共通項にある。 


 そのサビを受けてすぐ次の歌詞に入るのではなく、雄弁に語るかのようにやってくる長めのギターによる間奏。
 歌や踊りで魅了することが求められているはずのアイドルの曲とは思えないくらい容赦がないこの音のせいで、観るたびに間奏の振りだけは記憶から抜け落ちてしまっている。


 そして落ちサビ。
 「落ちサビの入り口で聴こえる音がギターだけになる曲にハズレは無い」とはエレキギターが発明された当初から言われている通り。最後の盛り上がりのためのシンプルな静寂に双方息が詰まる感覚に襲われる。


 極め付けは、曲の余韻を引きずりつつ、締めくくろうとする英語詞のコーラス。

「I'm still waiting」

「To arive by your side」


 それぞれの歌詞を一度眺めて気づく、一曲をぐっと集約したかのようなフレーズ。そこに重ねて最後の言葉を歌う響万里菜さんの声に、ライブハウスにいるときはその立ち振る舞いに「DIARY KEY」での小出祐介氏がどうしてもチラついてしまう。


 別に音楽の専門家ではないし、感じたままの言葉になって根拠はないけど、同じように異様な執着を持ってしまった曲に通じるデジャブがこれでもかと詰め込まれている。僕のTwitterの垂れ目だらけのいいね欄くらい癖の溜まり場。


 同じ下北沢という土地をルーツとしているから、同じような匂いがする。

 そうひとことにまとめてしまうにはあまりにも惜しいここすきポイント。是非並べて聴いてもらいたい。



・今まで出会ってきた、もう聴けないもの



 ここまでは曲をじっくり聴き込んで、ライブでも何度か聴いた現在地の感想。

 時を戻して初見の印象まで遡ってみると、真っ先に行き当たった、と当時のメモに残っているのがガールズバンド「赤い公園」の名前。音楽の手札の中でもガールズバンドはなかなか触れずに育ってきた僕が聴き続けてきた数少ないアーティストのひとつ。


 「teenage」がリリースされたバレンタインデー周辺、ホントにたまたま赤い公園を聴きたくなる気持ちの周回に入っていて、そのとき特に聴いていたのが「オレンジ」そして「pray」という曲だった。




 この2曲が醸し出す雰囲気を、「足して2で割って、少し付け加えた」感じが「teenage」という印象。それが聴いた時の最初の感想としてストン、と降りてきたんだけど、それもまたすごいタイミング、というべきか。


 新しいものとして接していたはずのものに、昔抱いた「良い」という感情を呼び起こされて、それが執着というか、オリジナルの感情になっていく過程がこの短い期間にやってきたからこそ、こうやって1本の文を書くくらいのモノになっている。


この曲は「アイドルの曲」というよりは、「一度観てみたかったけど、二度と観ることができなくなってしまった音楽へのノスタルジー」を勝手に感じてる気がする。チャットモンチーと赤い公園って言うんですけど。

Log_2023.02|ぴぃ高ちゃん|note

 アイドルの空白期間、約7年の間にひっそりと触っていた解散済のアイドルグループの曲を、大好きな人の声で聴いたり、そのグループの元メンバーが加入したバンドの曲に近い、と勝手に思った曲を聴いて無性に感動したり。

Log_2023.02|ぴぃ高ちゃん|note


 コレは2月の日記に書いた別の2曲(アイドルネッサンスの「前髪」と「春が踊る」に対する気持ちなんだけど、赤い公園を聴いていると必ずと言っていいほど襲われるのが「でも、もう聴けないんだよな…..」という諦念。

 だから、と言ってはなんだけど、その聴きたかった曲の片鱗を感じるものに出会った今、聴ける時間を大事にしたいな、と思っている。


・おわりに


 「書く書く詐欺はもうやめます」と言った通りちゃんと書いたよ。はい。めちゃくちゃ詰まったんですけどね。遅すぎてツアー最後の集客にはなりません!!!!!


 ひとつの曲に関して好き勝手言ったりすることは昔も何回かやったことあるんだけど(←リンク先ブログド初期で文章下手すぎてワロタ、書きなおしたいね)そのときとはちょっと事情が違うのはその曲を歌ってる人たち全員に接触しているという点で……めちゃくちゃ好き勝手の幅を考えるのが難しかったというお話。便宜上出さざるを得なかったとこ以外個人名出してないのもそういうとこです。


「自分が知ってる良い音楽」=聴いてもらいたい音楽っていう等式が頭の中で成り立っているから、聴いてもらいたい「ロックバンドの音楽」と聴いてもらいたい「さとりモンスターの曲」を同時に触れてもらえると二重で幸せなんだよな。

Log.2023_03 part.2|ぴぃ高ちゃん|note


 まぁ、結局のところ着地点は3月の最後に思った「これ」で。

 どういうきっかけだろうと、自分が「良い」って思ったものを聴いてもらって「良い」って言葉が返って来たことは別にステージの人たちに伝えずとも一人でニコニコしていいかな、と思うようにした。聴いてもらったあとに彼らがライブに行くかはまた別の話、ということで。(お察しのとおり、というか。あんまり「連れてきたよ~」っていうタイプの人間ではないので)


 最後になるけど、「teenage」。上の文章みたいにごちゃごちゃ書かなくても(全否定するな)シンプルに良い曲だし、どこかの殿様コンテンツとかと違って偉いのでサブスクあるから聴いてね。気が向いたらさとりモンスターも観に行こうね。もしあなたがたまたま行ったときにこの曲聴けなかったとしてもはちゃめちゃに楽しめるはずなので。

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