「終わり」に左右されないで
何にでも「終わり」の瞬間が来る。
「終わり」。
その瞬間を自分で決めて、最後までやり切る。
「これで最後だ」と思いながら、何かに取り組む。
そうした方が後悔が残らないから。
果たして本当にそうなのか?
私は、突然やってきた「終わり」も、
きちんと受け入れることさえ出来れば
後悔は残らないと思う。
気付いたら、あの時に「終わり」を迎えていたんだ、
ということもある。
それすらも、受け入れることが出来れば、大丈夫なんだと思う。
そして受け入れる為には、
「終わり」を意識するよりも、もっと大切なことがあるのだ。
*
大学時代、演劇をやっていた(何回出て来とんねんこの話題。お付き合いください)。
4年生の夏、自分で脚本演出を務めた舞台をやり切った。
その時は、これが最後の舞台だとか、
もうこのサークルでの演劇はいいやとか、
全然考えていなかった。
ただやれることをやり、毎日必死だった。
結果的に反省点はたくさんあるけど、
やり終えた後に「やって良かった」という
達成感が私を支配していた。
4年生の冬になり、卒業公演の話が持ち上がる。
当時の私は、正直なところ
「参加してもしなくても、どっちでもいい」
と思うようになっていた。
自分でもびっくりである。
4年生の春ごろまでは、大学生活の最後には卒業公演に役者として深く関わって、そして有終の美を飾るんだという、自分の未来を信じて疑わなかった。
わりとのめり込んだサークルである。
仲のいい同期もたくさんいたし、可愛い後輩もたくさんいた。
思い出と、何よりも
過ごした時間の多さというものが異常なほどにあった。
それなのに、である。
当たり前だが、誰に相談しようとも
「最後なんだから、せっかくだし出ようよ」
となるのは目に見えている。
公演の座長(のようなポジション)だった同期に、そっくりそのまま「最後なんだから」を言われた。
私も「まぁ最後だしな」と思い、出ることにした。
様々ないざこざがあって、座長の降板が決まってから、改めて
新しい座組で公演を立て直すという流れになった時。
私にまたも「出るか出ないか」問題が降りかかる。
その時の私は、周りの人からは悩んでるように見えたかもしれない。
しかし、心はほぼ決まっていた。
最後だが、出ない。
私の下した結論は、変わることはなかった。
今でも、決断に後悔は全く無い。
おかげで4年生の最後にゆっくりする時間が出来たし、無駄に煩わされることもなかった。
私の大学生活での演劇の「終わり」は、
まさに予期せぬところで突然やってきたものだ。
予感はあったのかもしれないが、
「これで最後だ」なんてことは考えてもいない。
その場で選択すべきことを、ただ選び抜いてきた。それだけだった。
「これで終わりにする」と宣言し、
最後までやり切る。そしてすっぱり辞める。
潔くて良い事だと思う。
でも、「終わり」とは
自分でも気付かないうちに、自分の中で受け入れているものでもあるんじゃないか?
(現に「これで最後です」って言ってまだまだやり続けている人いるし。「終わり」の定義が違うだけかもしれないけど)
私は4年生の夏を終えた時、
「終わり」なんてものは全く考えていなくて。
卒業公演に出ない、と決めた際に
「あー、あの夏が本当の「終わり」だったんだな。良かった、あれが最後で」。
心が軽くなり、心地よい風が吹いたように感じたことを、よく覚えている。
*
「最後だから」
何かをやるかやらないか決める時に、この言葉はプラスの効果もマイナスの効果もある。
「最後だから(やり切りたい)」
「最後だから(今まで出来なかったことを全部やりたい)」
「最後だから(晴れ姿を見せたい人がいる)」
「(ここまでかけてきた時間も長いし、)最後だから(やっておくか)」
「(もうモチベーションないけど)最後だから(やるかな)」
「(他にやりたいことができたけど、)最後だから(まぁいいか)」
だいぶ極端な例にしてしまったが笑、
私が最初に決めた「最後だから」の理由には、
きっと後者のような気持ちが含まれていたのであろう。
特に、かけた時間やお金による懸念というのは厄介なもので、判断力を低下させてしまう。
常にフラットな状態で決断を下せるのが一番だが、なかなかそうもいかない。
ポイントは、最後だから
「やりたい」のか、
「やる」のか、どっちかということだ。
「やりたい」という自身の願望が生まれるのであれば、やるのがいいと思う。
そうじゃないなら、一度
「自分はもっと別の要因で判断をしようとしていないか?」と
立ち止まるべきである。
話がずれそうになったので戻そう。
私が言いたいのは、
突然やってくる「終わり」も、
いつか来るであろう「終わり」も、
すでに迎えていた「終わり」も、
受け入れなければいけないということ。
受け入れるには、目の前のことに必死になるしかないということ。
後悔をしない為にも。
口先で「最後です」と言っても、
あとで自分が辛くなるだけだ。
いっそのこと「まだ終わりたくない」と言えばいいのに。
「終わり」に対する自分の気持ちから、目を背けずに向き合う。
「気付いたら、あの時に終わっていた」
突然訪れたように思われた「終わり」に絶望、
したようで、していなかった私。
やれることを全てやった過去を振り返る。
目の前にあることを、ただひたすら、がむしゃらにやり抜くこと。
それが、「終わり」を意識するよりも大事な生き方だと思った。
「だから、もう大丈夫」
乗り越えるって、そういうことじゃない?
(このnoteは考えをまとめる為の文字起こしです)
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