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「終わり」に左右されないで

何にでも「終わり」の瞬間が来る。

「終わり」。
その瞬間を自分で決めて、最後までやり切る。
「これで最後だ」と思いながら、何かに取り組む。
そうした方が後悔が残らないから。

果たして本当にそうなのか?

私は、突然やってきた「終わり」も、
きちんと受け入れることさえ出来れば
後悔は残らないと思う。

気付いたら、あの時に「終わり」を迎えていたんだ、
ということもある。
それすらも、受け入れることが出来れば、大丈夫なんだと思う。

そして受け入れる為には、
「終わり」を意識するよりも、もっと大切なことがあるのだ。


大学時代、演劇をやっていた(何回出て来とんねんこの話題。お付き合いください)。

4年生の夏、自分で脚本演出を務めた舞台をやり切った。
その時は、これが最後の舞台だとか、
もうこのサークルでの演劇はいいやとか、
全然考えていなかった。
ただやれることをやり、毎日必死だった。

結果的に反省点はたくさんあるけど、
やり終えた後に「やって良かった」という
達成感が私を支配していた。

4年生の冬になり、卒業公演の話が持ち上がる。

当時の私は、正直なところ
「参加してもしなくても、どっちでもいい」
と思うようになっていた。

自分でもびっくりである。
4年生の春ごろまでは、大学生活の最後には卒業公演に役者として深く関わって、そして有終の美を飾るんだという、自分の未来を信じて疑わなかった。
わりとのめり込んだサークルである。
仲のいい同期もたくさんいたし、可愛い後輩もたくさんいた。
思い出と、何よりも
過ごした時間の多さというものが異常なほどにあった。

それなのに、である。

当たり前だが、誰に相談しようとも
「最後なんだから、せっかくだし出ようよ」
となるのは目に見えている。
公演の座長(のようなポジション)だった同期に、そっくりそのまま「最後なんだから」を言われた。
私も「まぁ最後だしな」と思い、出ることにした。

様々ないざこざがあって、座長の降板が決まってから、改めて
新しい座組で公演を立て直すという流れになった時。
私にまたも「出るか出ないか」問題が降りかかる。

その時の私は、周りの人からは悩んでるように見えたかもしれない。
しかし、心はほぼ決まっていた。

最後だが、出ない。
私の下した結論は、変わることはなかった。

今でも、決断に後悔は全く無い。
おかげで4年生の最後にゆっくりする時間が出来たし、無駄に煩わされることもなかった。

私の大学生活での演劇の「終わり」は、
まさに予期せぬところで突然やってきたものだ。
予感はあったのかもしれないが、
「これで最後だ」なんてことは考えてもいない。
その場で選択すべきことを、ただ選び抜いてきた。それだけだった。

「これで終わりにする」と宣言し、
最後までやり切る。そしてすっぱり辞める。
潔くて良い事だと思う。

でも、「終わり」とは
自分でも気付かないうちに、自分の中で受け入れているものでもあるんじゃないか?
(現に「これで最後です」って言ってまだまだやり続けている人いるし。「終わり」の定義が違うだけかもしれないけど)

私は4年生の夏を終えた時、
「終わり」なんてものは全く考えていなくて。
卒業公演に出ない、と決めた際に
「あー、あの夏が本当の「終わり」だったんだな。良かった、あれが最後で」。

心が軽くなり、心地よい風が吹いたように感じたことを、よく覚えている。

「最後だから」
何かをやるかやらないか決める時に、この言葉はプラスの効果もマイナスの効果もある。

「最後だから(やり切りたい)」
「最後だから(今まで出来なかったことを全部やりたい)」
「最後だから(晴れ姿を見せたい人がいる)」

「(ここまでかけてきた時間も長いし、)最後だから(やっておくか)」
「(もうモチベーションないけど)最後だから(やるかな)」
「(他にやりたいことができたけど、)最後だから(まぁいいか)」

だいぶ極端な例にしてしまったが笑、
私が最初に決めた「最後だから」の理由には、
きっと後者のような気持ちが含まれていたのであろう。

特に、かけた時間やお金による懸念というのは厄介なもので、判断力を低下させてしまう。
常にフラットな状態で決断を下せるのが一番だが、なかなかそうもいかない。

ポイントは、最後だから
「やりたい」のか、
「やる」のか、どっちかということだ。
「やりたい」という自身の願望が生まれるのであれば、やるのがいいと思う。
そうじゃないなら、一度
「自分はもっと別の要因で判断をしようとしていないか?」と
立ち止まるべきである。

話がずれそうになったので戻そう。

私が言いたいのは、
突然やってくる「終わり」も、
いつか来るであろう「終わり」も、
すでに迎えていた「終わり」も、
受け入れなければいけないということ。

受け入れるには、目の前のことに必死になるしかないということ。
後悔をしない為にも。

口先で「最後です」と言っても、
あとで自分が辛くなるだけだ。
いっそのこと「まだ終わりたくない」と言えばいいのに。

「終わり」に対する自分の気持ちから、目を背けずに向き合う。

「気付いたら、あの時に終わっていた」

突然訪れたように思われた「終わり」に絶望、
したようで、していなかった私。
やれることを全てやった過去を振り返る。
目の前にあることを、ただひたすら、がむしゃらにやり抜くこと。
それが、「終わり」を意識するよりも大事な生き方だと思った。

「だから、もう大丈夫」


乗り越えるって、そういうことじゃない?

(このnoteは考えをまとめる為の文字起こしです)

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