読んでもらうために書いている、それ以外はどうでもいいのだ
noteに限らず、イラストやマンガ、さらには日々の何気ないつぶやきや写真投稿につきものなのが、「いいね」などの目に見える反応です。
この「いいね」や、noteでいうところの「スキ」がなかなか貰えないことで、落ち込んでいた時期がありました。
今日のはなんか上手くいった気がする!と思っても、自信と裏腹な結果になったりすると、多少なりとも落ち込んでいました。
今は「あーそうなんだ…なかなか難しいなぁ」くらいで終わりますが。
もしかしたら想像以上の人数が読んでいて、反応するに値しない内容だったから反応されないのかもしれません。そして反応するしないは相手の都合なので、私がどうこうしようもありません。
と、以前ほど一喜一憂しないにしても、反応がないとどこか物悲しい気持ちになるのは事実です。
その気持ちの正体がよく分かっていなかったのですが、最近観たアニメ『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』この作品に出てくるマンガ家・岸辺露伴のセリフが、物悲しさの解像度を上げてくれました。
このセリフにひどく共感しました。
あ〜分かりすぎてしんど〜い状態。
マンガでもイラストでもnoteでも、ちょっとしたTwitterでのつぶやきでも、書いた直後は「なんかいいもの書けた気がする!」「ようやく発表できる!」などと、気持ちが高ぶったりするものです。
しかし配信したとたん、それは自分の手を離れ、「見られる」か「見られない」かが数字で判断されるだけのものになったような気がします。
特に共感できたのは、露伴のセリフのこの部分。
書き続けていたとしても、ある日突然ぱったり、私の作ったものを誰も見なくなるかもしれない。可能性はゼロではない。
そんな事実がたしかにあるかもしれない。そうすると作り続けることに意味なんてないんじゃないかと思えてしまい、私は何度も「書く・描く」から離れてきました。
反応が来ないことに怯えつつ、それでも反応が欲しい気持ちが捨てられず、何を書いてもダメなんじゃないかと感じたからです。
「人の反応のために書いているのか」と批判の目を向けられるかもしれません。
しかし、趣味だろうと仕事だろうと、何かを作り続けているクリエイター気質の人であればあるほど、「誰にも見てもらえないかもしれない恐怖」に怯えているように思えます。
露伴はこうも語っています。
読んでもらうことでお金が手に入り、賞賛も受けられる。しかし露伴にとってそんなのは二の次三の次で、彼の一番の望みは自分のマンガを評価してもらうことではなく「読んでもらうこと」なのです。
私は文章やイラスト、マンガで誰かの心に良くも悪くも引っかかりを持たせられたら、と思いながら書いて(描いて)います。ですが読んでもらわないことには、その引っかかる「何か」が生まれることは一切ない。
誰の心に何も残せないのは、ものを作っていてとても悲しいです。
否定的な意見や評価もありうると受け入れた上で、「読んでもらう」に執着するマンガ家岸辺露伴。
それを糧に日々の仕事に邁進する姿は、見習うべきだなと感じます。
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