「考え込んでしまって行動に移せない」と思っている人が勘違いしている5つのこと
「将来のことが不安で、今すべきことが手に付かない……」
「誰かに嫌われないか心配で行動できない……」
「次に何をすべきか迷ってしまって動けない……」
悩みや不安で考え込んでしまい、体が動かず固まってしまう。時間ばかりが過ぎていき、結局何もできず後から後悔する。そんなことを永遠に繰り返してしまう……。
思考ばかりが先行してしまって、結局何も行動できないことに悩み苦しんでいる人は、複雑化した現代社会において多く存在しているのではないだろうか。
僕は現在街中から離れ、山奥で一人小屋暮らしをしているのだが、そんなシンプル生活をしている僕でさえ時に思考にとらわれ身動きが取れなくなる瞬間はしばしば襲ってくる。
「考え過ぎて身動きが取れなくなる」というのは、現代人が抱える病魔と言えるのかもしれない。
しかし僕は最近、小屋暮らしという「自分の意思と行動だけで生活の全てが決まる」という現代社会ではほぼ在り得ない生活を送っている中でとある気づきを得た。
それは、これまで自分が考えていた「思考」と「行動」の関係性が、全く逆転してしまうような画期的な物だった。
今回の記事では、街中と比べて圧倒的にしがらみの少ない小屋暮らし生活の中で僕が発見した、「考え込んでしまうがゆえに動けない」ということに対する大きな勘違いとは何だったのかについて紹介していく。
①「考えること」と「行動すること」は常に不可分
まず第一に押さえておきたいのは、「考えている時とは常に行動している時」ということである。
例えば「何をしたらいいか迷ってしまって椅子に座ったまま動けない人」がいたとする。
それ見ている人からは、「この人は”考えること”だけをしていて何も行動できていない」と思われがちだが、実は違う。
実はこの人は「椅子に座ったまま動かない」という「行動」をとっているのである。
これは人間で考えた時に違和感のある考え方だと思うが、例えば魚だったり虫だったりと他の生物で考えた場合に分かりやすくなるのではないかと思う。
ほとんどの生き物にとっては「動き回っている」ことが普通で、「じっと立ち止まっている」というのは外敵から身を潜めている時とか体に異常が生じている時など、必ずそこに何かしらの意図が存在している。「立ち止まって動かない」というのも間違いなく「行動」の一つなのである。
人間も「動物」の一つである。動物とは動き回っているのが普通で、身動きを取らずじっとしているというのは特殊な「行動」なのである。
つまり、人間は常に「行動」をしているのであり、「考えている」のであり、これら2つの行動は常にセットであると捉えることができるのだ。
②「考えない」ことは不可能
人は、不安に駆られたり心配事で思考が埋まってしまったりする際に「考えないようにしよう」としがちであるが、これも大きな間違いである。
上で述べたように、人は常に行動している。それはつまり常に考えているということでもあるのだ。
誰しも経験があるかと思う。どれだけ「考えるな! 考えるな!」と念じても、意識すればするほど悩みが頭の中を支配していってしまうあの感覚。
不安や心配ごとを振り払う方法でよく挙げられるのが「別のことを考える」とい者だが、これは逆に「人間は考えを止めることは不可能」だということを端的に示していると言える。
人の脳にON・OFFのスイッチなどない。
寝ている時ですら脳は働いて私たちに「夢」を見させたり、体の機能を保ったりということをしているのだ。
③「思考」が「行動」に引っ張られる
「思い悩んでしまってどうしても行動できない」ということの最大の勘違いがここにあると僕は考えている。
つまり「何か行動を起こすには、まず何をするか考えて決める必要がある」という前提条件だ。この考えから出発してしまっている時点で、悩みや不安という物をきちんと理解することはとうてい不可能なのだ。
「考えていること」は、実は常に「行動していること」の影響を受けている。
「立ち上がろう」と考えたから「立ち上がる」のではない、「椅子に座っている」から「立ち上がろう」と考え、「立ち上がった」から「前に進もう」と考えるのである。
例えば寝っ転がっている時。
はたまた走っている時。
本を読んでいる時。食事をしている時。それぞれにその状態に見合った思考を人はする。
寝っ転がりながら「走るペースをもっと上げよう」などと考える人はいないし、本を読みながら「このスープちょっと味が濃いな」と思う人もいない。
それは「思考が行動に常に引っ張られているから」に他ならないのである。
④「動けない」のは「思考のせい」ではなく「体の状態のせい」
一つ例え話をしよう。
――ある人が朝目が覚める。けだるい朝だ。しかしそれでもあと1時間で歯を磨き、朝食を食べ、身支度をして出勤しなくてはならない。
この時、この人はベッドの上で考える。
「あー会社行きたくないなぁ、面倒だなぁ。……早くベッドから出なきゃ。でもやっぱやだな、どうしよう……」
そうして体を動かせずに、何とそのまま30分経ってしまった。
「……もういい加減準備しないとな。仕方がない、まずは歯を磨くか」
そう考えベッドから立ち上がり、のそのそと洗面台へと向かい歯を磨く。
歯を磨き終わってからは流れるように、「朝食はパンでいいや」とロールパンを食べ、「着替えるか」とスーツを着込み、「だるいけど行くか~」と家を出ていった――
……一見、一連の流れは全て「次することを考えてから」→「行動する」といった法則に則っているように見える。
しかし、実はこの人の考えていることは、全て「その時行っている行動」の影響を受けて変化していっているのだ。
まず冒頭、思考は「会社行きたくない、ベッドから出たくない」から「もう準備しなくちゃ」に変化した。
なぜ変化したのか? それは「30分間ベッドの上でじっとしていた」からだ。
朝起きてすぐはまだ意識が覚醒しきっておらず体も凝り固まっていたのが、30分じっとしていたことで目が覚めてきて、体の凝りもほぐれてきていたから、思考が「準備しなくちゃ」に変化したのである。
もしこの人が「ベッドの上でじっとする」のでなく「ベッドの上で軽く運動する」ことを選んでいたのならば、思考が変化するのがもっと早まったかもしれない。
もしくは「再び寝転がって目を閉じる」を選んでいたのならば、この日は会社に行こうとすら思えなくなっていたかもしれない。
その後の歯を磨く→朝食をとる→着替えて出勤するという流れも、「○○しよう」と考えたから行動できたのでは実はない。
行動することができたから「次に○○しよう」と思えるようになったのだ。
ベッドから立ち上がれたから「歯磨きしよう」と思えるようになり、歯を磨けたから「食事をしよう」になり、食事ができたから「着替えて出勤しよう」になった。
全ては行動に思考が引っ張られた結果なのである。
⑤必要なのは「環境整備」と「休養」
「悩みや不安、心配事でいっぱいになって動き出すことができない」人にとって必要なものは何か。
何事にも動じない強靭な心?
将来・未来を見通せるほどの利発さ?
物事を順序だてて決められる整頓力?
それらの能力も大事かもしれない。しかし、動き出すために重要なのは実は悩みや不安を解決するための力ではない。
行動すれば思考が変わる。そのために必要なのはまず「行動しやすい環境」だ。
極端な話、手足が縛られ狭い檻の中に閉じ込められてしまっていては、取れる行動は極端に縮まってしまう。そうすれば思考だって暗く落ち込んでしまうことだろう。
行動をとりやすい環境……先に挙げた「会社に行きたくない朝」の例であれば、朝食は前日夜に美味しい物を準備しておくとか、着替えは枕元に揃えて置いておくとか、たったそれだけでも案外行動が変わり、思考も前向きになるものである。
そして最後に、忘れてはならないのは「動けないこと」もそれは「行動の一つ」だということ。
思い悩んで何も行動できない……というのは、逆を返せばその人は「体を動かさずじっとする」という行動が必要な体の状態にあるということなのである。
言ってしまえば、「休養」が必要ということだ。
嫌な思いが頭を支配し、どうしても動き出せないと、体が動かせないと言うのであれば、それは体がもう限界を迎えているということなのだ。
「思考が行動を支配する」と考えてしまっている人は、「やろうと思えばできるはず」と勘違いしてしまう。
それが延いては「できないのは自分がやろうと思えない情けない人間だから」という思い込みにつながってしまうのである。
行動はいつだって思考に先立つ。
体が限界を迎えて動かないような異常事態になれば、脳はどうにかして体を休ませようと「SOS信号」を出す。その「SOS信号」こそが思考を支配する「悩みや不安」だと捉えることができれば、限界以上の無茶をして本当の意味で体を壊してしまう人はいなくなるのではないか。
僕はそのように考えている。
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