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南 伽耶子
2018年11月29日 21:28
「おこた」の中には思いがけないものが潜んでいた。こたつについての一番古い思い出は、つま先の火傷だ。幼少の頃、家は炭を入れる掘りごたつで、火を起こした練炭を入れ、網を張って、中に入れた足が炭に触れないようにガードされていたように思う。だけど幼児の小さな足はガードの網の目をくぐり、靴下のつま先を焦がし、あちちっと泣いた。やがてこたつは電気になり、足は安全になったし、火事の心配も減り、スイ
2018年11月28日 16:31
玉こんといえば山形県民のソウルフード。 いや待て、芋煮というキングを差し置いてその称号はなかろうという向きもあるだろうが、どっこい芋煮は季節ものである。秋の運動会シーズン、田んぼの刈り入れシーズン、そして駆け足でやって来る長い冬の前の晴れた秋の日の河原で囲む大鍋と、どうしても季節と分かちがたいものがある。だが玉こんは万能だ。季節を問わない。冬の寒い日。襟元から背中、手先足先まで痺れるよう
2018年11月27日 14:53
子供の頃はエアコンなどなかったので、家でも家の棟続きの織物工場でも、主力は大きな石油ストーブだった。東京の大学に進み山形の実家を後にするまでそうだった。大きな縦型の石油ストーブとこたつ。そのストーブやこたつは寒い地域の調理道具でもある。父方祖父と両親は織物工場をやっていたから、工場には一階にも二階にも、昔の映画で見るような大きな石油ストーブがドーンと置いてあった。火力はすさまじく、それで1
2018年11月27日 02:56
このノートは、東北を深掘りするwebマガジン『まいにち・みちこ』様(https://my-michi.com/)に掲載している連載記事『おいたま食堂多摩川支店です』をまとめたものです。ご近所や祖父母、両親。見聞きした昭和的暮らしとお料理のレシピエッセイ。山形県置賜(おいたま)地方の伝統を、器用な母から不器用な娘へ。受け継がれるはずが失敗したり忘れたり。日々のご飯のヒントになるかな。宅配便