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本を書いています。

Vol.13 言葉の怖さについて。

何だか見るのも聞くのも辛い事件のニュースが飛び交っています。件の事件で亡くなった方の年齢が自分や娘の年齢と一緒だったりしたので、特に色々考えてしまいます。

ただこういうとき、自分はSNSなどでは敢えてその話題に触れないようにしています。良いも悪いも、事件と無関係な私などが語ったところで不毛ですし、敢えて公然と意見を述べることに、正直あまり意味を感じないからです。著名な人が亡くなったりした場合も同様です。お悔やみを申し上げるなら直接申し上げるべきだし、ご冥福をお祈りするなら心の中でお祈りすることが大事なのではないかと思っています。

もちろん、社会の問題に関して議論することは大いに結構ですし、自分のポリシーに従って意思を表明することも、個人の自由だと思います。ただ、SNSというものができたことによって、「言いたいこと」を誰でも自由に発信できるようになった反面、「別に言わなくてもいいこと」も言いやすくなってしまったのかもしれません。

言葉を世に放つということの怖さというものが、ここにあります。前回は「言葉の力」について書きましたが、言葉には無限の力があるからこそ、その裏にある怖さには気をつけないといけないなと、自戒も込めて思っている次第です。

本を書くことなんて、正にそうです。当然「言いたいこと」がたくさんあって書いているわけですが、夢中になって書いていると、ついつい「言わなくてもいいこと」まで書いてしまったりします。

今回、第1稿から第2稿にかけて、15万字あった文章を3分の2くらいの分量まで削りました。編集者の方に言われて気づいたのですが、主に削ったのは「自分が作った事例に関すること」です。当初は事例があった方が話がしやすいと思って入れていたのですが、たしかに冷静に考えれば、読者の方にとって得るものがある情報でない限りは、ただの自慢のように聞こえてしまうかもしれません。最終的に事例はいくつかだけを残して、なるべく本論に集中できるように構築し直しました。

思えば、同じようなことを大学の講義や講演の資料を作るときにも考えていました。世の中の講演などを見ていても、過去事例ばかり話しているものは正直あまり面白くありません。そんなものは検索すれば出てくるわけですし。それよりも「聴講する人が聞きたいことは何か」を考えるなら、過去の事例などは自己紹介程度にとどめておいて、「本当に伝えたいことをどう伝えるか」「何をお土産として持って帰ってもらうか」に集中するべきなのではないかと考えています。

要するに、どんなコミュニケーションにおいても「自分が言いたいこと」ばかりを言うのではなく、「相手が聞きたいこと」を考えて発言するべきだということなんですね。まぁ、よくよく考えれば当たり前のことですし、広告の基本のようなことなのですが。SNSのような相手がいるんだかいないんだか分からないような空間に言葉を投げる際には、特に気をつけたいと思います。

そんなこんなで、拙著の発売も1ヶ月後に迫ってまいりました。言葉の力を信じつつ、怖さにも怯えながら、世の中に少しでも発信できることを楽しみに、日々過ごしています。もう少ししたら、カバーデザインも発表できるかと思いますが、すでに予約はできる状態になっていますので、よかったら是非よろしくお願いします!

Photo by Jason Rosewell on Unsplash



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