写真と目線
また写真の話である。前回、前々回の投稿でも書いた通り、今月に入ってから、なぜか写真にどっぷりハマっている。
しかし、いざ写真を撮り始めてみると、あらゆるものが被写体に見えてきて、何が正解なのか分からなくなる。それなりのカメラで撮れば絵面的にはキレイにしか見えないし、何でも味といえば味のようにも思えてくる。ここに、写真の難しさがある。
「シャッターボタンを押す」という行為自体は、誰にでもできる簡単な作業だ。筆で絵を描いたりするのとはワケが違う。同じ場所で同じアングル、同じライティング、同じ露出という風に条件を合わせれば、理論上は誰がボタンを押しても同じ写真が撮れてしまう。しかしながら実際には、写真には上手い下手があるし、面白い写真と平凡な写真が存在する。
つまるところ、いい写真かどうかを決めるのは「シャッターボタンを押す」という行為の外側にあるということだ。
そんなことを考えながら色々なものを撮っているうちに、平凡な写真にならないようにするためには、大抵の人はまず「アングル」が重要であることに気がつく(もちろん一番重要なのは「何を撮るか」なのだが)。
日常の目線で撮った写真というのは、ドキュメンタリーチックではあるのだが、大抵の場合、画角としては平凡なものになってしまうきらいがある。自分が立ったり座ったりしたときの目の高さに近い点から見た風景というのは、みんなが見慣れている風景だからだ。そのため、写真を撮る人はみんな、少し腰をかがめたり、見上げたりして写真を撮っているのだ。たぶん。
拙著の中の話で言えば、日常の目線には「共感性」はあるが、特徴となるような「差別化」がないということなのかもしれない。
以前、某社のカレンダーをデザインする仕事を、長年担当させてもらっていた。カレンダーに使うのは風景写真だったので、プロのカメラマンに随行して、いろんな場所に行って風景の撮影に立ち会っていた。
そのとき一番多く撮影してもらった大御所カメラマンの方は、大抵どこに行っても1.5〜2m程度の脚立を立て、少しでも高いところから撮影をしていた。そこが丘の上のような見晴らしのいい場所であってもだ。
これはおそらく、誰でも立てるような場所ではない高さから撮ることで、「明らかな違い」を出していたのではないかと思う。実際に脚立に登らせてもらうと、普通に立っている高さとは、まるで違う風景に見えるのだ。
また、自分が以前から大学の講義などで話したり、著書にも書いた「たとえ話」がある。
詳しくはぜひ拙著を読んでいただきたいのだが、要は植物というのは太陽に向かって葉を広げているワケであって、木や花に正面があるとするならば、実は真上(=太陽の方)を向いているのではないか、という話だ。だから、固定観念(=人間の目線)に捉われず、常に人と違う見方をしたほうがいいかもしれませんよ、と。そんなたとえ話を、いろんなところに書いたりしてきたのだ。
そのたとえ話を最初に思いついたのは、庭に生えているコデマリの木をベランダから見下ろしたときに「なんかキレイだな」と実際に思ったことがキッカケだったと記憶している。
前置きが長くなったが、そんなアレコレを思い出し、何の気なしに庭に生えているそのコデマリをちょっと上から撮ってみた写真が、これだ。
ふつう植物を撮影するときは、真横か斜め上から撮ることが多いと思う。その方が立体的に見えるからだ。しかし当然と言えば当然なのだが、葉っぱというのはみんな真上(=太陽の方)を向いているのだ。上から見た方が、葉っぱ本来の形が分かりやすい。そして、太陽に向けて葉っぱ同士が干渉し合わないようにひしめき合っている様子が分かる。
少し大げさに言うならば、ここに「生きるためのエネルギー」すら感じてしまうのは、自分だけだろうか。うん、たぶん自分だけだろう。まぁそれでもいい。これは、個人的にはとても面白い発見だったのだ。そんなわけで、いろんな植物を、上から見てみたくなってしまった。
↑これなんかは、庭の小さな畑で伸び放題になってしまったアスパラガスの葉っぱだ。こうして見ると、信じられないくらい幻想的なものに見える。
調子に乗って、他にもたくさん撮ってみた。
この辺りは、会社近くの浜離宮を昼休みに散歩しながら撮ったものだ。
そして、もっといろんな植物で試してみたいと思い、植物園を2箇所ハシゴして、また色々撮ってみたのがこちら。
他にもまだまだたくさんあるのだが、セレクトして下記のInstagramアカウントにまとめてアップするようにしているので、よかったらこちらもぜひ。
モノクロで撮ることで余計な情報量を減らしつつ、被写界深度を浅くすることで平面的な絵に少しでも奥行きが出るようにしたりはしているのだが、自然が織りなす平面構成のようなフラットさが、一枚のテキスタイルのようにも見えて面白いなぁ、と個人的には思っている。
そして、実際にやってみて驚かされたのが、植物の持つ多様性だ。実にバリエーション豊かに、それぞれの環境に適応した形で進化していることが垣間見える。
まぁこんなマニアックな写真は、誰が見ても「へぇ」としか言いようがないかもしれない。でも、それで全然構わないのだ。こんなことは、自分が楽しければそれで良いのだから。
スマホやSNSなどのおかげで、多くの人が気軽に写真を楽しむようになった。もちろん、それは素敵なことだし、写真文化にとっても素晴らしいことだ。
しかし、スマホでもそれなりの絵が誰にでも簡単に撮れるようになってしまったことで、「何となくそれっぽい写真」でみんなが満足してしまっているのも事実だと思う。
敢えてちょっと人と違うカメラを使ったり、独自の撮り方を開拓することで、自分なりの写真の楽しみ方ができるし、写真を撮るという行為そのものも、もっと面白くなってくるのではないだろうか。
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